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やさしいひと





「結局、どうしますか。あの緋装束の人」


再び資料室へ戻ると、後ろから彼とリンクが入ってきた。振り返って問いかけると、どうしようもないだろと返されそうですねと笑った。リンクは相変わらず僕らを見ているだけだ。
少し様子がおかしいように見えるのは気のせいではない。24時間、ずっと一緒にいたのだ。あの緋装束の男について何か知っているのかもしれない。聞こうとは思わなかった。さっきジジに尋ねた時もリンクは押し黙っていたのだから、きっと言いたくないことなんだろう。

ランプに火を灯し、少し前まで使っていた机を明るく照らす。僕はペン先をインクに浸すと、報告書の続きを書き始めた。しょうがないから、あの男については適当に書いておこう。俯いた拍子に、前が数本垂れた。ペンを走らせながら、気付かれないように髪の隙間からこっそり隣の人物を窺う。
いつも高いところできっちり結われている黒髪は、今日は項の辺りで緩く結ばれている。ランプの赤い光が黒髪に反射して、普段とは違った雰囲気を見せた。


「面倒くせぇ」


溜め息混じりに誰にともなく吐き捨てると、神田は水の入ったコップを傾けた。
つくづく絵になる人だ、と思う。綺麗な人はたくさん見てきたが、そんな僕でも神田は思わず目を奪われるほど綺麗だった。多少の自覚はあるらしいが、自身の容姿にあまり関心のない彼は自分がどれだけの人を惹きつけているかなんて知らないんだろうな。
闇を溶かしたような、黒い瞳。ランプの灯りにゆらゆら揺れて、それをぼんやりと眺めていたらそれがゆっくりとこちらに向けられた。怪訝そうに眉が寄せられる。


「何だよ」

「いえ、別に」

「だったらこっち見んな」

「いいじゃないですか。見てるだけなんですから」


穏やかに反論すると、不機嫌を露わに顔を反らされ少し傷付く。
本当に短気なんだから。
口には出さず、そう心の中で呟いた。


「落ち着かねぇんだよ」


間があって、僕が漸く神田から目を離した後に隠しきれない戸惑いの色を微かに残した声が耳に入ってきた。手を止め、驚いたような顔をして再び神田に視線をやると、彼と一瞬目が合った。瞳が大きく揺れ、気まずそうに反らされる。
ずっと前にもそんなこと言われた気がする。あの時は君と僕はまだ恋人ではなかった。


――おかしいんだよ、な

――はい?何が?

――最近、お前を見てると落ち着かないんだ


珍しく食堂には誰もいなくて。珍しく僕に近付きたがらない君が早めの朝食をとる僕の前の席にやってきて。珍しく声をかけられたと思った言葉は、そんな内容だった。
最初は意味が分からなくて。ある一つの仮説を立てた僕は冗談半分、戸惑い半分に僕のことが好きだからじゃないですかと言った。馬鹿とか、んなわけねぇだろとかいつも通りの返事を待っていたのだけれど、返ってきたのはそうかもしれないという曖昧な肯定の言葉。

それから色々あって、神田とは軽いキスも大人なキスもすませたし、体も重ねた。男とそういうことをするのは初めてで、どんどん神田に夢中になっていく自分の心に恐れを抱いたこともあるけれど、そんな不安も神田を見るとどこかへいってしまう。
人が人を好きになるのに理由なんかないんだろう。

神田が今さっき言った落ち着かないは、その時に言った落ち着かないとは込められている感情が違う。
己の体内に棲む得体の知れないものが表に現れたのは僕以外に神田だけが知っている。
神田はエクソシスト。任務を忠実にこなす。だけど彼は僕を斬らなかった。否、実際は彼は僕を斬ろうとした。でも体が勝手に動き、刀を避けた。続いて神田がしたことは、再び刀を振るうことではなく僕を呼ぶことだった。ぼんやりとした思考がしっかりして、僕は僕を消そうとする何者かを押さえ込み体を取り戻すことができた。神田には感謝しきれない。でもその出来事が更に僕と神田を気まずくさせた。
神田は僕を殺そうとして、僕は一回消えかけた。なのに僕らは近くにいて一緒に報告書を作成している。何かがおかしい気がして落ち着かない。


「ごめん」


溝をどうにか埋めたくて、でも何を言えばいいのか分からなくてただ謝る。それに神田は益々機嫌を悪くするのだろう。


「ごめん」


完全に手は止まっていた。辺りはしんと静まり返っている。その中で、規則正しい寝息が聞こえてふと隣を見る。
笑いたくなった。あまりの無防備な姿に。ペンを置いて髪を撫でれば、小さく唸って身じろぎをする君。その体を優しくソファーに横たえて、膝を暖めてくれた毛布をかけた。


「もっと警戒しなきゃいけないでしょう」


苦笑しながらそう囁くと、涙が出てきた。
神田、神田。君がいなかったら僕は戻ってこれなかった。僕は君に救われたんだ。ありがとう。大好きだ。愛してる。


「全く。面倒な人たちですね」


既に空気と化していたリンクが、呆れ顔でそう言った。


「どうしてそう思うの?」

「どちらもネガティブなんです」


神田が果たしてネガティブなのかは分からないが、面倒なカップルだというのは自分でも思うから困ったように笑って頷いた。






end





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