言わなくても分かるようになれ(マリクとパスカルの子供) 某所にある、マリク宅。 まるで主人など居ないように静まり返った室内。リビングのソファーの上で体育座りをしているのは、齢六つぐらいの男の子である。飲み物を取りに行っていたマリクは、リビングに足を踏み入れた時トレーに乗せた飲み物をひっくり返しそうになった。いじけていますよ、と解説の文字が表示されそうになる程に膨らんだ頬。しかし面白いからと言って笑ってしまえば、少年は益々機嫌を悪くするだろう。やはりその辺りは生まれた時からの長い付き合い。笑いをこらえ、自然な表情で飲み物をテーブルに置く。 「まだ拗ねているのか?」 「………」 「寂しいのは分かるが、な」 沈黙。 やれやれ、困ったものだとわざとらしく肩を竦める。せっかく彼が大好きな、バナナジュースを持ってきたというのに。その辺りは母親そっくりだが、一度機嫌を損ねると中々に難しい。一体誰に似たのやら、と他人事のようにぼんやり考えてみたりして。飲まないなら俺が全て飲み干すぞ、と軽く脅してみる。すると慌ててカップに口を付ける辺り、少年はまだまだ可愛らしい子供であった。そのままわしわしと、頭を撫でてやる。 「マリク父さん、」 「ん?」 「…母さん、直ぐに帰ってくる?」 幼い瞳がユラユラと悲しげに揺れる。母が大好きなのはいい事だが、それを少しでも素直に父にも向けられないだろうか。なんて事を思うのは、彼が母にべったりだからで。つい先程もパスカルが研究の為暫く家を空けるという話で、散々嫌だ嫌だと騒いでいたのだ。此処は叱るよりも、諭すのが良かろうとマリクは頭を掻いた。 「母さんも今やるべきことがあるからな。なに、お前がいい子にしていたら、2〜3日で戻るさ」 「でも…」 「父さんの話が信じられないか?」 「ううん。そうじゃない…」 「寂しいのは、パスカルも同じだ。お互いにな」 「…うん」 ぽんぽん、と頭を軽く叩く。 漸く膨れっ面が萎んできた。しかしまだ何かあるのか、口を尖らせていまにも泣きそうな表情になっていく。まあ、原因は分からなくもないのだけれど。そのまま見つめていると、ぽろぽろと涙が零れ始める。 「……マリク父さん、」 「どうした?」 出来るだけ優しく、頭に手を置いたまま問い掛ける。 「父さんは、僕のことがきらいになっちゃった?」 「……」 「僕がわがまま、ばっかりいうから…っ、だから、」 ヒック、ヒック。 嗚咽で上手く喋れないのか途切れ途切れになる言葉。そんなものは我が儘にすらなりはしない可愛いものだと言うのに。玄関の辺りからバタバタと近付いてくる足音に気付き、ふう、と息を一つ吐いてからマリクは優しく微笑んだ。 「いや。そんなことはないぞ」 「何故それを貴方が答えるんですか」 「!」 いきなり現れた青い髪に、驚きで言葉にならず口をパクパクさせるのは息子である。共に旅をしていた頃よりは大分大人びた彼。はあ…とため息をついてから眼鏡を指で押し上げる動作をする。 「早かったな。ヒューバート」 「…これでも捜し回ったんですがね。まさか、よりにもよって教官の自宅に来ているとは」 「それは心外だな。それほどに俺に懐いているということだぞ?」 そう。 ヒューバートとパスカルの一粒種である彼は、頭脳明晰な両親を持つだけあり、たった一人でシャトルを操作して此処まで来てしまっていた。要は家出である。『今日からしばし母は不在』の話を父から聞かされて、嫌だ嫌だとごねてしまったところ、父に雷を落とされたのだ。それには息子も更に泣きじゃくり、『父さんなんか大嫌い!』と捨て台詞を吐いて家を一目散に飛び出していく。呆然とするヒューバートと、慌てて息子を追いかけようとするパスカルを尻目にシャトルを発進させてしまったのである。 「それが気に食わないんですよ!全く…余計なことばかり教えて!何故未だに『マリク父さん』と呼ばせてるんですか!」 「俺の趣味だ」 「真顔で言わないで下さい!」 「おじさんと呼ばれるのは、余計に歳を取ったようで気に食わんからな」 「実際僕より歳上でしょうが…」 やいのやいのと大人達が言い争いを繰り広げるのを見つめる。泣きたい気持ちよりも驚きのほうが強かったのか、もうすっかり涙は零れなくなっていた。視線に気付いたマリクが息子を抱き寄せて膝に乗せる。何故か勝ち誇ったように鼻で笑うので、一瞬だけ殺意が芽生えてしまったヒューバート。返しなさい、と冷静ぶって言っても、この悪戯好きの大人が素直に聞いてくれる筈が無かった。 「父親は僕ですよ」 「知っている」 「…何が言いたいんですか」 「それはお前が一番分かってるんじゃないのか?」 「……」 ちらりと息子を目をやれば。 目が合ったことにまた不安げに眉を寄せる。ああもう、全く。そんな顔なんてして欲しくないのに。 「全く…どれだけ心配したと思ってる」 「ごめん、なさい…」 じわりじわりと涙が滲む。 ヒューバートが子供を泣かした!と茶化すマリクに五月蝿い!と怒るヒューバート。ゴホンと咳払いをしてから、息子を真っすぐに見据えた。 「でももう、僕は怒ってない」 「…ほん、と?」 「父さんが言い過ぎたから…だから、その…」 ゴニョゴニョ、と小さくなる声。自分の子供相手に恥ずかしがるなよと茶化してやりたかったけれど、マリクはそれらをグッ飲み込む。長年の付き合いで、それ以上からかうと悪化すると本能で気付いたからである。 「僕のこと、きらいに…なって、ない?」 「……ああ。というか、嫌いになる理由がない」 「父さ、ごめ、なさい…!うわあああん!」 今度こそマリクの手を離れ、父の胸に飛び込む。泣きじゃくる息子の背中をぽんぽんと撫でる手が想像以上に優しくて、マリクはほう…と感嘆する。成長したな、と告げれば、貴方には関係ありませんなんて返ってくる辺りは全く変わっていないけれど。 「嫌いになる理由がない、か。まさかお前がそれを言う立場になるとはな」 「五月蝿いと言った筈ですよ」 「…フッ」 それは昔、パスカルがヒューバートに言った言葉だったと記憶している。実に彼女らしい、そして当初のヒューバートにはない筈の言葉だったけれど(自分でもらしくないだろうと自覚しているから、五月蝿いと言うのかもしれない)。 (やはり、パスカルの影響力は凄まじいようだな) この堅物に、其処まで言わせるようにするとは。奴に良い意味で影響を与えるパスカルに、こちらまで幸せを分けて貰った気分だ。ヒューバートの恋を成就させる為の協力をして良かったと、マリクは心底思うのだった。 なんだ、幸せか。 (末永く幸せにな!) ------ 『マリク』と『パスカルの子供』の話でした。表記で嘘は付いてない(キッパリ)わざとあんな風に書いてみたり…すみません。 読者さまをちょっと引っ掛けるようなお話が書きたかったのです。マリパスか?と一瞬でも思われた方が居るなら、ちょっと嬉しい。『マリクおじさん』もいいけど、『マリク父さん』って呼ばせてたらいい。ホントに教官って絶妙のポジションに居るし、美味しいキャラだ。これでも、ヒューバートの家族関係を心配したりしてるのよ(多分本人に全く伝わってないが) |