接触
「どんな情報ですか?」
僕はさり気ない様子で訊ねてみた。すると、彼はさらににこやかに微笑んで続ける。
「舞踏会の時、行商人って入るのかな? 色々物入りだろうし、必要なものがあればと思ってね」
「どうでしょう」
僕は首を傾げる。「もう色々準備は進んでますから、特に必要ないかもしれません」
僕にしてみれば、上手くとぼけてみせたと思う。にこにこと笑って答えていたけれど、相手も本音の表情は見せない。
「君は召使い?」
彼は言う。
「いえ、庭師です。だからあまり城の内情は解らないです」
「なるほど……」
彼は少し考え込んだ後、軽く僕に頭を下げた。「ありがとう。城の他の人にも訊いてみるよ」
「そのほうがいいですね」
そこで僕も彼に頭を下げて、その場を離れた。何となく気になって、振り返ってみたかったけれど、近くの民家の角を曲がるまで我慢した。
しばらくその民家の壁に寄りかかり、そっと彼のほうを覗く。
彼はその時、黒い服に身を包んだ背の高い男性と何か話をしていた。
――仲間だろうか。
僕はじっと彼らを見つめた。
黒い服の男性は、目深にフードを被っていて、その顔立ちは見て取れない。ただ、立っている位置の近さから、親密な関係だと解る。
――声が聞ければ、襲撃してきた男たちの一人かどうか解るだろうに。
そうも考えたが、あまりにも危険すぎる。
僕は民家の陰に頭を引っ込めて、少し息を整えた。そのまま、ゆっくりと彼らから遠ざかる。
少しだけ歩いたところで、突然、僕は立ち止まることになる。
目の前にさっきの彼がいるからだ。
背後にも気配。
黒い服の男だろうか。
僕は目の前にいる金髪の青年を見つめ、曖昧に微笑んだ。
「覗いていた?」
彼の笑顔は崩れない。
しかし、気味の悪いまでの圧迫感を感じた。
「何がですか?」
僕はしらを切る戦法に出た。しかし、成功したとは言えなかった。
「ラースが君を見たそうだ」
「ラース?」
背後の男性のことか、とそっと肩越しに彼を見た。そこで息を呑む。
彼は若く、酷く痩せていた。そして、その目を開いてこちらを見ていたが、その瞳には虹彩がなかった。ただ、真っ白。
盲目。
僕はそう思った。
彼が目が見えるはずがない、と。
「彼は魔術師でね」
金髪の青年が静かに言った。僕はラースという男性を見つめながら眉を顰める。
「見えたと言いましたよね。でも彼は」
「私は盲目ですが、熱が見えるのです。人間の姿も、他の生き物も区別がつきます」
少し神経質そうな声が魔術師から漏れる。
声が違う。僕を襲った奴じゃない。
「熱?」
そう言えばジーンが言っていた。あらゆるものには熱があるのだ、と。
魔術師というからには、そういったものさえ『見える』のかもしれない。
「しかし、僕じゃない可能性もありますよね。辺りには……」
いつもより人通りが多い道。こうして会話をしてる間にも、すぐそばを誰かがすり抜けて歩いていく。
「区別はつきます。それぞれ構成式が違いますから。だから、あなたに間違いありません」
彼が何を言っているのか解らない。しかし、誤魔化しがきく相手ではないと納得はした。
だから、素直に言った。
「すみません、認めます。怪しかったから気になりました」
「怪しかった?」
青年が怪訝そうに首を傾げた。
僕は彼に向き直り、小さく頷く。
「あなたは僕に『城で働いてるのか』と訊ねました。城からここまで、結構な距離があります。つまり、僕が城を出てから、ずっと後を付けていたのですよね」
「確かに」
彼は苦笑した。「ただ、話しかけるタイミングを計っていただけなんだけどね」
「それに、最近はこの街にも夜盗が出ていますから。知らない相手は警戒して当たり前です」
僕がそう言い放った後、青年は少し沈黙した。何か言葉を探していたようだった。
「……夜盗ね。夜盗ならいいが、そうでない可能性もある」
彼はやがて呟くように言う。
「違う可能性……」
僕は少し悩んだけれど、こう続けた。「門番がいないらしい――そう言って、意味は解りますか?」
ふと、青年の目が細められた。
直感的に解る。
彼は何か心当たりがある。
「誰が言った」
その双眸には剣呑な色。
「数日前に夜盗に襲われました。彼らが言っていた言葉です」
「彼ら、か。解った。それで充分だ」
青年が軽く息を吐いて、疲れたように頭を掻いた。「ラース、記憶を消せ」
とても簡単に、何でもないことを言うかのような口調。
記憶を消す?
そんな魔術があるのか? と驚いて身を引いた途端、ラースに手首を握られた。
振り払おうとした瞬間、凄まじい激痛が走る。覚えのある痛み。
「離せ!」
そう叫んで彼の手を振りほどくと、ラースが驚いたように言った。
「弾かれた」
それを聞いて青年が意外そうな視線をラースに投げた。
「失敗したのか、珍しいな」
「いえ、イリアス様、彼には何か魔術がかけてある」
ラースはどこか茫然としているように見える。直立不動で、虹彩のない瞳で空を見つめながら、夢を見ているかのように話す。
名前はイリアスというのか、と僕が頭にその名前を叩き込んだ時、明らかに青年が名前を呼ばれたことに苛立ったようだった。
しかし、平静を装った声で言葉を返す。
「魔術が?」
すると、ラースは困惑したように首を傾げた。
「おそらく。多分、ですが。あまりにも強すぎて、見破るのは困難です。でも、凄い」
何の話?
僕も戸惑っていた。
僕に魔術がかけてある?
じゃあ、誰にかけられた?
どうして?
「こんな構成式は初めてだ。凄い」
ラースの口調は静かだったが興奮している。「私が触れる前に誰かが触れた。構成式に傷がある。だから私にも見えた」
「何……?」
僕はただ彼の言葉に驚き、毒気を抜かれて立っていた。
掴まれた手首はまだ痛い。その手首をもう片方の手で抑えながら、ラースの痩せた顔を見つめていたのだった。
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