準備は進む
目の回る忙しさとは、こういうことを言うのだろう。
僕はそれから数日の間、城の召使いたちに混じって城内に切り花を運び入れた。城内の倉庫には花瓶がたくさん仕舞われていて、それらを見栄えのいい場所へと設置する。
城の大広間には、鉢植えも運び込む。観葉植物として人気のものを選んで運んでいると、忙しく駆け回る召使いたちとぶつかりそうになることも多かった。
そんな状態であったから、僕は魔術師の部屋に通うことも剣の稽古も中断してしまっていた。
わずかな休憩時間に厨房に寄っては食事を取る。
「あなたも大変よねー」
気疲れしてぐったりしていると、料理人のセーラが気遣ってハーブティーのカップを僕の前に置いてくれた。
「早く終わって欲しいですよね」
僕がそう言いながらカップに口をつけると、セーラが意味深に笑って首を傾げる。
「何言ってるの、若いんだから楽しまなきゃダメでしょ」
「いや、そんなこと言ったって、僕たちは関係ないじゃないですか」
「あるわよ」
セーラは笑いながらばしばしと僕の肩を叩く。この城には乱暴な人が多い。
「舞踏会は三日間あるでしょ? 最終日は仮面舞踏会よ!」
「はあ……」
それが何の関係があるんだと不思議に思っていると、彼女は呆れたように続けた。
「知らないの? 最終日は一般人も参加できるのよ。だから、我々にも玉の輿のチャンスがあるってわけ」
「……ジュリエッタ様のお婿さん探しがメインですよね?」
「チッチッチッ」
彼女は目の前で人差し指を立てて振ってみせる。「ジュリエッタ様狙いでくる王子様が何十人もいるわけでしょ? 必然的に王子様が大量に余るわけ。そこを狙う女の子もいっぱい」
「はー……」
僕はぽかんとして口を開きっぱなしになってしまった。何だか想像すると恐ろしい話だ。
「あなたもそんな他人事みたいな顔してないで、ちょっとはいい服を持ってきなさいよ」
「僕がですか?」
さらに僕は予想外のことを言われて固まる。
「そうよ! もしかしたら、どこかの貴族のお嬢様に見初められるかもしれないでしょ?」
「いやー」
――その前にクリスティアナ様に見初められそうだけど。
僕は曖昧に笑って見せた。
しかし、こうも考えた。
一般人が参加できるなら、不審者だって簡単に参加できるだろう。
「柄の悪い連中が増えたな」
夜になり、宿舎の食堂にいくとアイザックがお茶を飲んでいた。
「街の見回りをしてるんですか?」
今夜の夕食のメニューはスペアリブの香草焼き、ジャガイモのグラタン、野菜スープ。
僕が食事のトレイをテーブルに置いた途端、アイザックがスペアリブを一本くすねた。
「あっ」
「いっぱいあるんだからケチケチすんな」
「今度おごってくれる約束ですよね」
とりあえず彼に釘を刺してから食べ始める。
「見回りは交代でしてるけど、ちょっと変な連中がいるな」
「変?」
「酒を飲んで浮かれるわけでもなく、ただ大人しく街の中を見物してる。観光客ではなくて、多分、他の国の側近か何かだろう。危険な場所がないか、下調べしてるって感じだ」
「なるほど」
僕を襲ったのはそういう連中だろうか。『陛下も』とか何とか言っていたはず。
何だか嫌な感じだ。
多分、何か起きる。悪いことが。
剣の練習、もう少ししておいたほうがよかったか。
そんなことを考えながら食事を済ませ、椅子から立ち上がった。
昼間なら、少し家の様子を見てきても大丈夫だろうか。
次の日、僕は朝一番に思い立った。城にも姿を見せないのだから、まだ父は帰ってきていないだろう。
でも、数日の間、家を留守にしたことで何か変化があるのか気になっていたし、街の様子も見たかった。
僕は仕事に区切りをつけ、久しぶりに城外へと出た。
街はすごく活気があった。いつもの倍以上の人間が行き交う大通り。これだけ人がたくさんいれば、何が起きても不思議じゃない。
「お、シリウスじゃないか」
いつもの商店に立ち寄ると、主がにこにこしながら声をかけてくる。「何だ、最近見なかったねえ」
「仕事が忙しくて」
そう答えながら辺りを見回すと、前に立ち寄った時よりも繁盛している。
「凄いね。儲かってる?」
僕が笑うと、彼は上機嫌で頷いた。
「しばらく遊んで暮らせるよ。騎士団の人たちも見回りしてくれてるから、酔っ払いが騒いで暴れるなんてことも減ったし」
僕は少しだけ立ち話してから店を出た。そして、家に向かおうとしたところで、後ろから声をかけられた。
「ちょっと、君!」
振り向くと、僕より少し年上らしい青年がいた。多分、十八歳とかその辺り。とても落ち着いている雰囲気を持っていて、少年とは呼べない感じだ。
「君、城で働いてるの?」
親しみやすい口調、整った顔立ち、短い金髪。派手ではないけど、仕立てのよい服。
「そうですが、あなたは?」
「ちょっと、商売でここにきてね。色々情報を集めてるところなんだ」
彼の口調は穏やかだし、とても悪い人間には見えない。
でも多分、嘘をついていると思った。
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