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「普通ですけど」
 僕は骨付き肉にかぶりつく。
 普通が一番だ、と父はよく言う。『特別』であるということは、時に足枷になることもあるのだ、と。足枷のない生活は自由で、一番気楽なんだと。
「普通の庭師なら父親に剣なんぞ習わんだろ。よっぽど特別な事情があるのか?」
 僕が顔を上げると、彼は神妙な目つきで僕を見つめている。根は真面目な人なんだろう。何となく、そう思う。
「……あるのかもしれません」
 僕はやがて小さく言った。「ただ、僕が知らないだけで」

 与えられた部屋は小さかったが、居心地は良かった。
 身体の大きい人間が寝るためか、ベッドは大きめで造りはしっかりしている。よく乾いて固く感じる白いシーツ、薄目の毛布。
 部屋の壁際にある衣装ケース、木の机と椅子。小さめの窓からは月明かり。
 剣の練習などしたせいで、ひどく疲れているはずなのに、ベッドに倒れ込むように横になっても、なかなか寝付けなかった。

 普通。
 特別。
 その違いはどのくらいあるんだろう。
 父には何か秘密にしていることがあることは解っている。僕が幼い頃から感じていたことだ。
 それを教えてもらえないことが寂しいと感じたこともある。でも、「お前はまだ知らないほうがいい」と言われてもいたから、いつかは教えてもらえると考えていた。

 そんなことを考えながらベッドでゴロゴロしているうちに、僕は浅い眠りについた。
 そして、夢を見た。

「シリウス、大人しくしてるんだぞ」
 父の声。
 僕が幼い頃、父はとても大きく感じた。頭を撫でる手のひらも、凄く大きかった。
「お留守番だねえ」
 それはとても懐かしい声。
 父が仕事で国をよく出ていくから、僕は近所に住んでいるおばあさんに預けられることが多かった。
 おばあさんは夫と一人息子を戦さで亡くしたといって、一人暮らしだった。だから寂しかったのだろう、僕のことを本当の子供のように可愛がってくれた。
「シリウスも大人しく待てるよねえ」
 おばあさんは何かと色々よくしてくれて、僕も彼女に懐いていた。
 それでもやっぱり、父がいないのは寂しかったし、暇さえあればおばあさんの家の窓から外を見つめていた。
 今のイスガルドより、昔のほうが騒然としていた気がする。
 人々の動きも、こんなに穏やかじゃなかった。

 黒い旗。
 風に揺れている。
「王妃様が」
 家の外を行き交う人々が騒々しい。
「病気?」
「しばらく姿をお見かけしなかった」
「棺が釘で」
「やっぱり病気だよ」
「近づくと危険だから釘打ちされてるんだ」
 ひそひそと囁かれる誰かの声。
「王妃様がいないと不安だねえ」
 そう言って不安げに僕を抱きしめたおばあさんに、僕もしがみついた。
 黒い旗が下げられて数日経ってから。
 父が仕事から帰ってきた。
 酷く強張った表情で僕を迎えにきて、自分たちの家に戻る。
 父はほとんど何も話さなかった。
 いつもと様子が違う父に戸惑い、早めにベッドに入る。
 そしてその夜、怖い夢を見る。飛び起きて、ベッドから降りて父の部屋へ向かう。

 父は暗い部屋の中で、椅子に座って俯いている。
 僕は声をかけることができなかった。
 父は泣いていた。

 夢からの覚醒は緩やかだ。酷く胸が苦しいかのような感覚。足元がふわふわしている。
 もう父の姿は見えない。あるのは暗闇。
 そして、目が覚める直前の闇の中、誰がが叫んでいた。
「裏切り者がいる!」
「隠せ! 気配を消せ!」
 煙る血の匂い。
 悲鳴。

 そして、気づくと僕は天井を見上げていた。宿舎の天井。飾り気のない部屋。
 でも、鼻の奥に血の匂いが残っている気がして気分が悪かった。

「顔色悪いわよ」
 クリスティアナ様が僕の顔を覗き込んでいる。
「ちょっと、寝つきが悪くて」
 僕は何とか微笑んで見せると、魔術師の部屋を見回した。
 仕事が終わってここに寄ったけれど、ジーンの姿はない。待っていてもいつ戻るか解らないだろう。
 僕は手持ち無沙汰で、棚に並んでいる石を取っていじり回した。
 相変わらず冷たい感触。
「……二人きりだね」
 突然、クリスティアナ様が小さく囁いて、僕はびっくりして咳き込む。
 何を言い出すのかと彼女を見れば、クリスティアナ様は僕の手から石を取り上げて棚に戻している。
「邪魔者が帰ってくる前に庭にでも出ようか」
 彼女は意味深な笑顔を見せる。僕は眉を顰めて言ってみた。
「何回も同じようなこと言うようですが、ご自分が王女様だという立場は解ってらっしゃいますよね?」
「もちろん」
 彼女は目を細めた。「ただし、三女! 舞踏会で婿探しはしなくていいの!」
「いや、それでもまずいですよ」
 たとえ魔術師に弟子入りしたとしても、剣士に弟子入りしたとしても、庭師は庭師なのだ。立場の違いすぎる人間が必要以上に一緒にいるのは問題がある。
「わたしのことはわたしが決めるわ」
 クリスティアナ様は腕を組んでニヤリと笑う。「自分の人生は自分で切り開く!」
「……うーん……」
 僕が呆れて言葉を失っていると、僕の周りをぐるぐると歩き回りながら「キャー、格好いいこと言っちゃった!」と頬を染めている彼女。
 可愛いのは確かなんだけどなー。
 僕はため息をついた。

 そして、慌ただしい数日間が過ぎて舞踏会の日が迫ってきた。

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