門番の不在
このまま、何も聞かなかったふりでとぼけてみたら?
一瞬、そう思う。
でも、多分無理だ。本能的に感じる。
背後からの圧迫感。
それが殺気であることくらい、僕にも解った。
腕の中に抱えた紙袋が騒々しい音を立てる。それが邪魔で、僕は思い切り遠くへ投げ捨てる。
これで、相手もこちらが人間であることを確信しただろう。
だから暗闇を必死に走る。どこにどんな木があるのか、僕は解っている。身を隠す場所くらい検討がつくじゃないか。
相手の気配に意識を集中させ、できるだけ遠くに逃げなくては!
「チッ」
わずかに聞こえた舌打ち。
そして、風を切る音。
走りながら素早く振り向くと、突然頬が熱くなった。
その理由に気がつく前に、僕は近くにあった岩陰に身を隠した。ちょうど、木の葉の陰になって、僕の身体はすっぽりと隠される。
男たちの足音が近づき、そして遠ざかる。
充分離れたことを確信すると、僕は岩陰から出て彼らが消えた方向とは反対へと走り出した。
その途中で、木の幹に光る何かが刺さっているのを見つけて足をとめた。
それはとても小さな剣。何の飾り気も特徴もなく、使い込まれた柄の短剣。
僕はそれを幹から引き抜くと、また走り出した。
頬が熱い。
剣を持たないもう片方の手の甲で右頬を撫でると、濡れた感触があった。
血だ。
血?
僕はハッと息を呑んだ。そして、ゆっくりと足をとめて辺りの気配を窺った。
このまままっすぐ進めば僕の家がある。
血は地面に落ちただろうか。
もし落ちていたら、あいつらに夜が明けた後に辿られる可能性がある。
僕はやがて、進む方向を変えて街中の方へと走り出した。
――じゃあシリウス、寄り道しないで帰ってね。
クリスティアナ様の台詞を急に思い出す。
しかし、今更だ。
とりあえず、どこか安心して寝られる場所を探さなくては。
夜が明けるまでが酷く長く感じた。
川の水で顔の血を洗い流してから、まだ夜が明けて間もない時間に城門の前に立った。
門番のケインズはいつもと変わらずそこに立っている。
「おはようございます」
僕がそう声をかけると、ケインズはいつもよりずっと早い時間に僕が姿を現したことに驚いたようだった。さらに、ぼくの顔の傷を見て表情を引き締めた。
「どうした、それ」
ケインズの視線が鋭い。
僕は夜中考えていた台詞を口にする。
「盗賊にやられました。昨日の帰り、買った食料とか盗られてしまって……」
「盗賊か」
ケインズは忌々しそうに言葉を吐き出した。「街でも噂になってるな。舞踏会があるからって、他国の連中がたくさん入ってきてるんだろ」
「そうみたいですね」
「とにかく、食料だけで済んでよかったな。相手は何人だ?」
「二人です。暗かったけど、男性二人の声が聞こえました」
「そうか、解った。俺からも城の騎士団の連中に伝えとくよ。全く物騒になったもんだ」
「ありがとうございます」
僕は彼に頭を下げてから城の中に入った。
――門番がいないらしい。
そういえば、昨夜の連中は何の話をしていたんだろう。
少なくとも、イスガルドの門番はいる。別の国の話、それとも門番がいる貴族の屋敷のこと?
僕にはよく解らない。
ジーンに相談してみようか。
そう思いつつも、まずは僕は城の召使いの姿を探した。
仕事が忙しくて時間が足りないなら、部屋を準備しようと言ってくれた人がいるはずだ。
「あらあ」
寝泊まりできる部屋を確保してすぐに魔術師の部屋にいくと、彼は寝起き直後だったらしい。わずかにもつれた長い髪を自分の手で梳きながら、眠そうに僕を見たが、すぐに目を見開いてため息をついた。
「イケメンの顔に傷がついてるじゃない」
「イケメンじゃないです」
僕が脱力した声音で返すと、ジーンは薄く笑った。
「冗談よ。来なさい、薬をつけてあげる」
僕だって、家に帰れば傷薬くらい調合できる。でも、しばらくは帰らないほうが安全だし、ジーンの言葉に甘えることにした。
そして、手当てを受けながら昨夜の出来事を説明する。
話が『門番』のところに差し掛かった時、ジーンは明らかにその身体を強ばらせたようだった。しかし何も僕に質問しないまま、最後まで話を聞いた後、ただこれだけを僕に質問した。
「相手は魔術師ではなかったのね?」
「魔術師なら剣で戦うより魔術を使いますよね?」
僕は質問を質問で返した。彼は無表情で頷いた後、僕の肩を軽く叩いた。治療完了の合図らしい。
「ありがとうございます」
そうお礼を言ったが、ジーンは聞こえていないようだ。何やら考え込んだ後、「また後で話しましょ」と言い残して部屋を出ていってしまう。
僕はその背中を見送った後、自分の仕事をやるために庭に向かった。
今、解らないことはたくさんあるけれど、多分ジーンが何か教えてくれるだろうと思った。
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