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それぞれの過去
「何も入ってないですよね」
 僕は目の前に出されたお茶のカップを猜疑心たっぷりの目で見つめていた。
 断りきれずに僕は魔術師の部屋に連れてこられ、年季の入ったテーブルと椅子を前に立ち尽くしたままで。
「何も入れてないわよー」
 魔術師は明るく笑う。「まだね」
「……入れる気満々じゃないですか」
 僕が小さく唸ると、彼はわざとらしく首を傾げて見せた。
「ま、とにかく座りなさい」
 ジーンの言葉に、僕は仕方なく椅子に座った。でも、お茶は無視することにした。
「さて、なぜあなたの過去が見えないのか」
 ジーンは自分のお茶を飲みながら本題らしき話を切り出した。「私はね、多少の過去くらいは遡って見ることができるのよ。あなたが生まれる前のことくらいはね」
「はあ……そうですか」
「あなたのお母さんの様子とか見たかったんだけどね、謎だわ」
「……僕も母のことは知りません。だから見えないんじゃ」
「私の力はそういうんじゃないの。上手く説明できないけどね。で、あなたはお父さんから何て聞いてるの?」
「母は亡くなったとしか知りません。あの、王妃様も亡くなったんですよね。僕、その時は子供だったけど、黒い旗が国中に登っていたのを覚えてます」
「そうね、王妃様が亡くなったのはクリスティアナ様が生まれてすぐの頃だって聞いてるわ」
「聞いてる?」
「私はその時はまだ見習い魔術師だもの。この国じゃなくて、隣国で色々やってたわね」
「隣国……クランツ王国ですね」
 僕だって近隣諸国の名前は解る。ただ、クランツ王国は軍事国家としても有名で、僕が子供の頃、この国と諍いを起こしていたとも知っている。
「そう。かなり好戦的な国でね、私は嫌いだったわあ」
 嫌い……。
 僕は視線だけで彼に意味を問う。すると、彼は苦々しく笑った。
「あなたはその時、幼すぎて解らなかったかしら。クランツ王はたくさんの国に戦さを仕掛けてね、たくさんの人間が死んだのよ。私の両親も、魔術の師匠も。目の前でたくさんの死体を見てね、私は逃げ出したの」
「えっ」
「色々汚いものを見すぎたのよ。人間の心ってやつね」
 彼の瞳が暗く輝いている。それは、明らかに苦痛や悲しみの色で、僕は何も言うことができなかった。
 やがてジーンは少し冗談めかして続ける。
「こう見えても苦労してんのよ、私。可哀想でしょ?」
「自分で言わないで下さい」
 だから僕も冗談めかして応えた。「……まあ、私は家族も失ったし、心残りもなかったから、この国にきたの。その時は、クランツ王国もこの国を攻撃することをやめていてね、平和だったから」
「そういえば、クランツ王国はなぜこの国との戦さをやめたんですか? 僕が物心つく頃には、何だか色々平和で……」
「それが、解らないのよ」
 魔術師は肩をすくめる。「クランツ王国はそれからも他国を攻め入って力を伸ばしてきたけど、ここにはやってこない。他の国だってここには戦さを仕掛けない。理由が解らないのよね」

 平和なのはいいことだと思う。
 人が死ぬのは見たくないし、特にそれが身内ならどんなに苦しいだろう。

「それは私が宮廷魔術師になってからもよく解らなかったわ」
 彼の話は続いた。「私はこの国で有名な魔術師のところに弟子入りして、そこそこ名前を売って、この美貌やら師匠のコネやら何やらを使いまくって地位を得てね」
「……美貌……」
「あ、貞操は売ってないわよ」
 思わず咳き込みそうになったがこらえる。
 美貌……そういう使い方があるのか……と、つい遠い目をしていると、ジーンに頭を軽く叩かれた。
「想像しないように」
 じゃあ、変なこと言わないように。
 僕はそう思う。
「私がここの宮廷魔術師になれたのは、前にここにいた宮廷魔術師が老衰で亡くなったから。たくさん教えてもらいたいことはあったのに、時間は有限だったわね……」
 彼はそこでニヤリと笑って続ける。「でも、私は地道に色々探ってるわけ。クリスティアナ様たちに触る機会があった時、過去を見たわ」
「えっ」
「王妃様はとても美しい方だったということは解った。断片的にしか見えなかったから、何があったのかはよく解らないけど」
「何が……」
「でも、何か事件らしきものがあったのは間違いないの。だからね、いつか国王陛下の身体に触れる機会があったら狙おうと思って。私の過去を見る力は、相手に触れないと発揮できないから」
「なるほど……」
「でもね」
 ジーンはテーブルの上に肘をつき、頬杖をして僕を見つめ直す。「私が過去を見られなかった相手はあなたが初めてなの」
「え?」
「今一番気になるのは、この国の過去に何があったのかじゃないわ。なぜ、あなたの過去が見えないのかの方が気になる」
「いや、そんなことを言われても」
「だからね、本気であなたを弟子にしたいのよ」
「は?」
 僕は眉を顰めていると、彼は重ねて言った。
「弟子にしたいの」

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