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冷たい空気が静けさをもって夜を包む。風が頬を首筋を肌を撫でて横を通り過ぎる度、自分のものではない派手な羽織りがばたばたと音をたてはためく。

飛ばされては困るので、新八は羽織りの裾をぎゅっと握る。すぐに手は風の冷たさにかじかみ固まったが、そこを動く気はなかった。

―空に浮かぶこの船の先端から。


思い出すのはいつかの日。
町外れの丘の上、唯一の大木のその真下で流れる星を眺めたあの日のこと。
目の前に広がる光景はまるであの日のよう。星の瞬きも、静けさも、包む空気もあの日のようだ。
――違うのは、両脇の温もりがいないこと。
ここに立っているのは自分だけだということ。


捨ててきたのだ。
暖かな居場所も、大事だった人たちも、輝いていた日常も、文字通りなにもかも捨ててきた。
それらと引き換えにしても欲しいものが僕にはあったから。

そして僕はここにいる。指名手配犯がわんさかいる、この船の上に。その、どうしても欲しかったものを手に入れて…。




『隣にいれることがなによりも』



暖かな場所を捨ててから幾月。




選んだのは自分だ。
後悔はない。




ただ、





「寂しくでもなったか?」


ふいにかけられた声。それに振り向くと、そこにいたのは夜に映える一人の男。


「違いますよ。ただ思い出しただけです」


僕にすべてを捨てる決意をさせた唯一の男、高杉晋助がいた。
珍しくその腰に刀はない。

そこまで信頼されている位置に自分はいるのかと思うと自然に頬が緩んだ。


「寝ていたんじゃないんですか?」
綺麗な空気を平然と煙で汚す男を見て疑問を口にする。新八が床を出る時、確かに男は寝ていたのだ。新八が一人出ていったことにも気付かないほどには。

「隣にあるはずの湯たんぽがなかったからな」
そう言って、暗に新八が子供体温だと肩を揺らす高杉にむっとする。
「そこまで子供じゃありません」
「どうかな」
だが、そんなささやかな反論に高杉はまた笑うだけだ。


「お前こそどうした。こんな夜中にこんな場所で。らしくねぇじゃねぇか」

「変に目が覚めちゃいまして。
それにさっき言ったでしょ?空を見ていたら思い出しただけですよ」

だから安心してくださいと、新八は言外に告げる。
なぜなら、

「そうかい。後悔でもしてんのかと思ったぜ」

皮肉げにそう笑った高杉の、瞳の奥に揺れる光に新八は気付いていたから。新八は苦笑する。

その揺らぎは迷いの証拠。
己の道をひたすらに突き進み、迷うことなどありえない彼が僕のことで迷っている証拠。

そう、この人は今でも迷っている。
僕を連れて来てよかったのかと、浚ってしまってよかったのかと、すべてを捨てさせてしまってよかったのかと、
この人は今でも迷っている。

、この瞬間も。


「……馬鹿な人」

迷いなんて当の昔に消え去った。
後悔なんてするはずもないのに。


それでも今この瞬間にも迷っている男を僕はあの時選んだのだから。
目の前にいるこの人だけを選びとったのだから。



「後悔なんてするはずないじゃないですか」



あきゅろす。
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