有間皇子 ありまのみこ/ありまおうじ 【生没年】 640年〜658年 【系譜】 父:孝徳天皇 母:小足媛 【年譜】 640年:誕生 645年:孝徳天皇即位 653年:中大兄皇子が都を飛鳥に戻す 654年:孝徳天皇崩御 658年:謀反の罪で絞首刑に処される 【人物】 有間皇子は心の病を装って温泉に療養に行く。 その後斉明天皇が行幸している間、飛鳥に帰ってきていた有間皇子に葛城皇子の意を受けた蘇我赤兄が近づき、自分は皇子の味方である事を伝え斉明天皇と中大兄皇子打倒の計画を練った。 しかし、赤兄の密告によりこの謀反計画は露見し、捕らえられた。 葛城皇子に尋問された際、有間皇子は「全ては天と赤兄だけが知っている。私は何も知らぬ」とだけ答え、藤白坂で絞首刑に処せられた。 辞世の歌が万葉集に二首残されている。 【雑感】 亡くなった時の若さに驚きました。 確かに謀反は葛城にとって危険なものではありますけどね。 でもあの若さで親を失って、その一因でもある天智を憎むなと言う方が難しいと思うし。 とにもかくにも切なくなってしまう御方です。 【妄想】 あまりきらきらしいのではなくて素朴で優しげな顔立ち。 ちょっと頼りない父を支えながら暮らしてきたので若くてもしっかりしていて賢い。天智はそれで存在を危うく思ったのかも。 優しくも憂いを帯びた瞳でモテるんです。 |