恋する111の動詞
拗ねる
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「草壁様」
部屋の外から投げ掛けられた呼び声に草壁は体を大きくびくつかせた。
その声の主、草壁の妻である阿閉皇女は、返事が一向に返ってこないことに対する苛立ちを色濃く滲ませながら再度草壁の名を呼んだ。
「草壁様、いらっしゃるのでしょう。返事くらいなさったらいかが?」
「……はい」
やっとのことで返事をした草壁、その聞き取り辛いほどに掠れた声を聞いて阿閉は深く溜め息を吐いた。
「その声、また御風邪を召しておいでなのね」
阿閉が呆れたように言うと、草壁は消え入るような声で「すみません」と呟いた。
さして躊躇することもなく草壁の部屋に入ってきた阿閉は、再びうんざりとした様子で溜め息を吐いた。
「本当に、貴方はお体が弱くていらっしゃるのだから」
「ごめんなさい……」
草壁はこの日何度目か分からない謝罪の言葉を口にした。この気が強く頑固な皇后にはそれが一番よい対応なのである。
阿閉は草壁の臥す寝床の枕元に座して姿勢を真っ直ぐに正す。何とも言えぬ威圧感に草壁は戦々恐々と身を竦ませる。
いつものように叱られるかと思っていた草壁は、予想に反して押し黙ったままの阿閉に訝しげな視線を向ける。
「……何をしに来たんだい、阿閉?」
「何って、見て分かりませんか?」
そう問われた草壁は横に座る阿閉の全身を眺めた。
姿勢がとてもいいことやら父に似て整った顔立ちだということやら他愛もない感想ばかり抱くが、一向に答えには辿り着かない。
「私のことを叱りにきたのではなく?」
「違います。何故私が貴方のことを叱ることがありましょうか」
阿閉の強い口調に草壁は既に十分叱られたような気分になる。
しかしながら、いくら考えても答えは見出だせそうにない。
草壁は困り果てた。
このままでは阿閉の機嫌が悪くなる一方である。
「何かやらねばならないことでもあったかい?」
「それは私がすませておきました」
「……そうか」
この答えもあっという間に一蹴される。
草壁は心の中で頭を抱え悩み込んだ。
残る答えはもうひとつしか考え付かない。
「もしかして、私を心配して来てくれた、とか?」
まさかないだろう、と思って口にした言葉に阿閉はサッと頬を紅く染めて応えた。
「……本当に?」
「心外ですわね。私がそんなに薄情な女に見えますの?」
「いや、そんなことない、そんなこと思っていません!」
目を吊り上げる阿閉を見て草壁は慌てて手を大きく振って否定する。
草壁は覚悟を決めて首を竦めて叱りを待つが、阿閉は怒りを顕にしながらもどこか拗ねているような様子で俯いている。
「阿閉?」
草壁は横たえていた体を少し起こして阿閉の顔を見上げた。
「そんなに見ないでください」
阿閉は語気を強めて草壁から顔を背ける。その頬はまだうっすらと朱に染まっていた。
草壁がくすりと笑みを零すと、阿閉は目を怒らせて草壁を睨んだ。
しかし、この状況ではそんな様子も微笑ましく思ってしまうのだから不思議なものだ。
「ありがとう、阿閉」
「……一応、妻としての務めです。気になさらないで下さい」
草壁がそれでも笑っていると、阿閉が「早くお休みになって下さい」と草壁の起こしていた半身を軽く押した。草壁もそれに抗うことなく素直に横たわる。
「頑張って早く治すよ」
「早々に治していただかないと困ります」
「……やっぱり君は手厳しいな……」
握ったその手は冷たく、熱を保った草壁の体を冷ましてくれる。
その心地よさに身を浸しながら、草壁は静かに目を閉じた。
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