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「なあ、」
先程までの余韻か呟いた声は思いの外掠れていて少しだけ瞬いだ。布団に刻まれた皺はどこか嫌らしく、じわじわと背徳感が襲ってくる。自分よりも一回り──は言い過ぎかもしれないが、一〜二センチほど指先が抜きん出ている掌を弄んでいるさなか、ん?と間の抜けた声が下りてきた。
それに答える間はなく、ゴツゴツしている甲を滑って、平に戻り、指先に感じる剣胼胝はまだ落ちる事はないだろうと少し可笑しくなった頃、漸くそれに唇を動かす。この唇で先程まで嫌らしい事を色々していたのだから、これまた滑稽である。

「I LOVE YOUって、どういう意味だと思う?」
「は?」

再度抜けた声を漏らして、俺が独占しているのとは別の──つまり左手で、顎をなぞった。解答に困る、と言うよりは、提出された質問に困ったような表情を浮かべて、絡めていた指先がきゅと握られる。

「私はあなたが好き。じゃったけ、そんなんじゃなかったかの?」
「ああ、違う違う、そんなんじゃなくてだな」

自分の言葉に語弊があった事に気付いて、──まあ普通ならこれが正確なのだろうから本当に語弊があるのかは分からないのだが。とりあえず身振りを入れながら訂正した。最近若い者の中で流行っているらしく、てっきり小耳程度には挟んでいると思ったのだが。可笑しな所で情報通のくせに、とことん変な奴である。

「どっかの偉人さんがな、これを‘月が綺麗ですね’って訳したらしいんだよ。で、今ネットとかで流行ってるらしーぜ。I LOVE YOUを自分なりに訳すのが」
「はあ…」

理解の範疇を越えてしまったのか開けた口はそのままに、珍しく眉間に皺が出来ている。こて、と支柱にしていた右腕を折り頭の下に敷くとなると、自然に上目になってしまうのだが、気にも止めていないようなのでこの際どうでもいい。
辰馬の右手はお返しと言わんばかりにふにふにと俺の左手を揉みほぐしている。まあ実質男の手なんて骨と皮ばかりなのでぐにぐに、と言った方が近いものなのかもしれないが。それにしても、本人の状態と右手が何てリンクしていない男なのだろう。
顎をなぞっていた左手は、いつの間やら掌に顔が納められていた。

「おめーは何て訳すよ?」
「訳すも何も…」

いよいよ眉が下がってきている。困り顔なんて物珍しいものだから凝視してみるが、あまり感興はないらしい。もごもご口ごもる事数秒間、俺が痺れを切らした事を察知したのか漸く言葉らしい言葉を口にした。

「…いや、あいらぶゆーは、あいらぶゆーじゃろ」
「…はい?」

間の抜けた声は俺も同じく。いつの間やら恋人繋ぎ──正式名称かどうかは知らないが─になっていた掌にグッ、と力が入った。怪訝そうに重い一重の目が細められているが俺も似たようなものだろう。ぶるりと震えて思い出したのだが、まだ何も身に付けていないのである。背中の中側までずり落ちていた薄い布団を手繰り寄せた。

「ちゅーか、それ日本人からしちゃあ‘すき’を違う意味で言え、ちゅうとるわけじゃろ?意味が分からんちや」
「…まあ、確かに」
「日本人は感性の意義を取り違うとる」

そもそも日本人なら日本語を使え、と吐き捨てられた言葉を最後に、(最もである)踏ん張っていた左手はくたりと力を無くす。薄く閉じられた目は外界からの意識はもう全く感興に無いらしい。白い布団から生えた足は俺のと絡まって、じわりと体温が浸透する。──温かい馬鹿なのか、馬鹿だから温かいのか。
後頭部に圧迫を感じる暇も虚しく、辰馬の骨ばった胸板に額を押し付けられる。右腕は繋がったままなので、腕枕の状態になるのだが。これが女なら──まあ少なからず思う所ではあるが、中年男の唇を尖らせた姿など出来れば見たくないもので。口は横に結んだ。
人肌の体温はまどろみに誘うアイテムには強すぎる。瞼の開閉が早くなっている事に気が付いた。

「風呂、入んねーの」
「入りたかったら入ってきいや」

…と言う割にはホールドがきつい気がするのだが。別に良い、漏らした声は辰馬の胸の中に篭る。ゆっくりとした呼吸に眠ってしまったか、と思った矢先、唐突に空気が震えた。

「金時」
「銀時」
「…銀時」
「なに」

むにゃむにゃと語尾を引きずっているが、それが自分にとって言いにくい言葉という風ではなく。きゅう、と、重なった掌はお互い少し汗ばみ、小さく小さく力が入ったような気がして、指先がピクリと反応した。

「あいらぶゆー、じゃ」

ビクリ。濁点が変わると雰囲気も一転する。ひたすら眠そうに呟かれた言葉は喜悦として取ればよいのか、素直に驚倒すれば良いのか──いや驚喜すれば良いのか。体の中はやけに熱いのに、口から短く吐かれる息はそこはかとなく冷えたような気もして。思うとただ単に照れ臭いだけなのかもしれない。六分の一ほどは意識が浮遊している男の真っ平らな胸に頬を擦ってみると、無意識の中で奴の左手は俺の後頭部をすいた。何だかんだと言いながら、俺の意識も紙一重。どうせ手放してしまうなら、と、もう一度だけ繋がっている左手に力をこめる。

瞼が下がりきる直前に言った言葉は、夢か現か判別は中々難しい。









「日本人なら、日本語使え」

END












漱石さんホント良い訳し方だと思います。ウチの坂本が捻くれてるだけです


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