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スプーン一杯の砂糖じゃ、とても足りない.2

※スプーン一杯の〜続き



「また来たのか」

「うん、来た」

 その日は、昼という時間もあってか割と店内は混み合っていて、利央はおお、と感嘆の声をあげた。見回せば、幸いカウンターには何席か空きがある。

「ねえ、いつもお昼はこんななの」

 利央が席に着いたのを確認すると、呂佳は次にカレンダーを見た。平日の夕方しか訪れたことのなかったため、利央が昼の時間帯にここに来るのは初めてのことだった。

「大体はな。まさか学校サボって来たんじゃね−だろうな」

「テスト期間は午前中だけなんですー。呂佳サンのバカ」

 声は震えていないだろうか、早口になっていないだろうか、と利央が考えているとは全く気付かないまま、呂佳は嘲笑した。

「バカはお前だ。テストどうだったんだよ」

「そ、れは、別に良いじゃんかっ」

「ほれみろ。バカじゃねーか」

 利央は、酷いことを言われているとわかっていたが、やはりどこかくすぐったく感じていた。
 そのやり取りを聞いていたのか、利央の隣に座る男が笑い声を漏らした。途端に恥ずかしくなって、利央は頬を赤く染める。それを呂佳は、こいつにも羞恥心はあったのか、とにやにやして放置した。客の男は、ちらりと利央の方を見て、ごめんごめん、と謝り微笑む。

「君、呂佳と仲良いんだな」

 男は滝井と名乗り、利央の頭を優しく撫でた。

「俺らね、同じ大学だったんだ」

 だから、こんなに親しげに呂佳と話しているのか。

 利央はぐいっと滝井のほうへ身を乗り出した。

「へー。ねえ、呂佳サンって、そのころからふてぶてしかったの」

 呂佳は目を吊り上げて、滝井にそう尋ねる利央の目の前にマグカップを置いた。

「お前に、年上への口の聞き方を教えてやろうか」

 もちろん嫌味も忘れない。利央は相変わらず笑顔のままで、恋は盲目とはこのことかもしれない。

「そうだな、ふてぶてしかったな」

「よーし。滝井、お前のコーヒーにだけ、タバスコ混ぜてやっても良いんだぜ」

「呂佳てめー、それでも喫茶店のマスターかよ」

 別に豆板醤でもいいけどな。

 なんで豆板醤があるんだ、ここ中華系のメニューひとつも無いだろ。

 そこで、滝井は思い出したように付け加えた。

「そういやお前、彼女とはどうなってんの」

「彼、えっ」

 呂佳よりも早く反応を示したのは、悩める青少年利央だった。

「彼女って、何」

 無意識に出た冷たい声に、利央は自分でも驚いていた。驚いたのは利央だけでなく、呂佳もだった。滝井をただ見る利央を、呂佳が見つめる。急に変わった雰囲気に気付かないのは滝井だけだった。そして滝井は続ける。

「こいつな、結婚寸前までいった恋人がいんだよ」

 結婚寸前。
 その言葉に、利央は目の前が真っ暗になった。

 報われないだろうとは思っていたけど、こんなに早くに失恋なんて。だって彼女がいるだなんて言ってなかったのに。聞いてもいないけど。そういえば呂佳さんのこと、何も知らないや。

 利央の涙腺が限界まで来たところで、それまで黙っていた呂佳が穏やかな声で言った。

「ああ。それな、別れた」

 あまりにあっさりとした声に、利央の涙も引っ込んだ。

「え」

 利央と滝井の声が重なる。

「もう1年も前の話だし。あいつが留学先で記憶喪失になって、結局そのまま、俺のこと思い出せなかったってだけだよ」

 利央は、淡々と語る呂佳が信じられなかった。自分なら悲しくて堪らないであろう出来事を、原稿でも読み上げるように、呂佳はさらりと言ってのけたのだ。
 それは残念だったな、と滝井が呂佳に声をかけているのを、利央はただ遠くで聞いていた。

「だから今はフリーだよ。自由人ばんざいってな」

 和やかに笑う呂佳と滝井を、利央は額縁の外から見ている事しかできなかった。それでも不恰好に震えながら、唇は勝手に言葉を紡ぐ。

「嘘つき」

 呂佳は、はっとして利央に向きなおった。か細い声に気付いたのは呂佳だけで、利央は今度は唇の動きだけで、苦しげに発した。

 どうせ未練があるんでしょ。

 利央は俯いて、クマの泳ぐ水面を見つめた。
 もうここには来れないかもしれない。こんな酷いことを言う奴なんて、相手にしてもらえないに決まってる。
 涙が零れる前に一息で飲み干し、利央はこれで最後だから、と顔をあげ、固まった。
 いつの間にか近くにあった呂佳の顔に、思わず身を引くが、彼の腕が利央の肩をがっしり掴んでいて、それは叶わなかった。わずかな身じろぎも、彼の唇の動きを見て完全に止まった。

 お前がそれを言うのか。

 それだけ呟くと、呂佳は苦笑した。利央は、なぜ彼がそんな顔をするのか、さっぱりわからなかった。





 少なくとも嫌われてはないようだ。

 呂佳に会わずに1週間、散々悩んで利央が辿り着いた結論はそこだった。その間、家でコーヒーに生クリームを絞って飲んでみたりもしたが、呂佳の入れるカフェラテの味には似ても似つかなかった。砂糖の量を足してみたり、少なくしてみたり、クリームの種類を変えてみたり。

 結局最後は、呂佳の顔が浮かぶ。

 ベッドに潜り込んで、好きだ好きだと呟いているうちに、もういっそ告白してしまったほうが、楽なのかもしれないと利央は考えた。

 そして利央は一週間ぶりに喫茶店のドアを開けた。優しいベルの音を聞きながら、利央はゆっくり瞬きした。カウンターに見慣れぬ女性がいる。呂佳はその女性の隣に座っていた。そして、呂佳が利央を捉えて、目を見開いた。

 ああ、あれが恋人だった人なんだ。

 利央は直感的に思った。

 ドアは開けたものの、足が一歩も動かない。そんな利央に、呂佳がいつもの調子で声をかけた。

「よう」

「う、ん」

 利央は自分が上手く声を出せたか心配だった。もしかしたらお邪魔かもしれない、利央がそう考えていることを感じ取ったのか、呂佳は立ち上がり、緊張で冷たくなった手を掴んで中へ引っ張り込んだ。

「店の入り口塞がれちゃ困る。突っ立ってないで早く入れよ」

 その後で、呂佳が利央の耳元にほっとしたように囁いた。

もう、来ないんじゃねぇかと思った。

 それを聞いて利央は涙が零れそうになった。必死で奥歯を噛んで耐える。
 もしかして、最初からこの人のことを好きだったんじゃないか、とまで思えてくる。
 今まで知らなかったが、自分はどうもこの人のことになると、涙もろくなるらしい。利央はそう心で呟きながら、呂佳の後に続いた。

 女性のいる席から、ひとつ分の席を空けて利央は座った。

「いつものでいいだろ」

 利央が頷いたのを確認すると、呂佳は慣れた手つきで作業を行いながら、女性に話しかけた。

「久しぶり、記憶戻ったんだな」

 やはり、あの人なのだ。

 身構える利央の隣で、女性が躊躇いがちに頷いた。

「仲沢くんは、前より物静かになったわね」

「まあ、人間1年もあれば、誰だって変わるさ」

 オレの知らない呂佳さんを、知っているんだ。羨ましいのか、悔しいのか、わからない。この人は、一体何のために呂佳さんに会いに来たんだ。

 女性は、そっと視線をガラスケースに向けた。

「約束守ってくれたのに、ごめんなさい」

 約束って、何。何が、ごめんなさいなの。

 透明な声が響いた。

「私、結婚するの」

「おお、そりゃおめでとう」

 結婚式いつ。予定では6月かな。ジューンブライドか。そう。それまでにせいぜいダイエット頑張れよ。何よそれ、失礼ね。いや、本当のことだろうが。

 穏やかな雰囲気の中で、利央は一人だった。

 取られなくて良かった。そう喜びたいのに、できない。
 だって好きだと、一度でも思ったんでしょ。
 どうして。
 そんなにあっさり、自分から離れていくことを、どうして喜べるんだよ。

 まだ好きでいるからかな。あの人への愛はそんなに深かったの。
 約束って何。

 呂佳さんのこと、何も知らない。

「泣くなよ。利央」

 利央の目元を、大きな手が乱暴な動きで擦った。泣いてない、そう言おうとした口からは嗚咽が零れた。

 気付けばもう呂佳さんの元恋人はいなかった。

「利央」

「オレさ、何もっ知らないん、だよ」

 あの人が知っている呂佳サンのことを、全部オレにも教えてよ。

「いいぜ。泣き止んだら、全部話してやる」

 利央が気付くことはなかったが、涙でぐしゃぐしゃの顔を見て呂佳の顔が綻んだ。まつげに付いた水滴が頬を伝っていく回数を数えながら、呂佳は利央の涙が止むまでずっと涙を拭い続ける。

 やっと落ち着いた利央の隣に座り、あやすように背中を擦ってやりながら呂佳は語った。

 大学時代のときから付き合っていた彼女は、そのまま院へ上がり留学。結婚指輪はどんな物が良いかと聞けば、返ってきたのは付箋が貼られたテディベアのカタログ。子どもっぽいのか、可愛らしいのか、とにかく思い出に残るものをと言うものだから。数日後、事故にあったという連絡が入り。

「そして記憶を失くしたまま、あいつは帰国した」

 静かに聴きながら、利央は呂佳の顔を見上げる。遠くを見るように話していた呂佳も、利央の赤くなった瞳を真正面から見つめた。ウサギみてぇ、と利央に少し笑いかけ呂佳は続けた。

「まるで抜け殻だったよ。それで怖くなったんだ」

 一番支えてやらないといけない時に、俺はあいつに何もしてやらなかった。

「今までのが夢で、これが現実なんだと思うことにした。あいつと俺は他人同士、付き合ってなんていなかった、てさ。そうやって全部から逃げてるうちに、気付けば俺が抜け殻になってた」

 そこで呂佳は一息吐くと立ち上がり、先ほど元恋人と談笑しながら作っていたマグカップを持ち上げた。冷たくなってしまった中身に顔をしかめ、小さな鍋を取り出してコンロに火をかけた。

「全部忘れたくて、でもあのクマだけはどうも他所へやれなくて。それでも、やっと忘れられそうになった所によ」

 砂糖をスプーンで量り鍋の中に入れる。手際は良いがいつもとやり方が違うな、と違和感を持ちながら、利央は目で呂佳の手を追いかけた。

「利央が来たもんだから、参った」

 急に自分の名が呼ばれ、利央はびくっと肩を震わせた。呂佳はこれ以上ないほど優しい表情で、鍋の中身をマグカップに注いでいる。そんなに驚くなよ、と言いながら白いクリームの入ったピッチャーを手に取った。

「今どき、クマ見て喜ぶ男子高校生なんて、お前くらいだっつーの」

 なんだよ、人が真剣に話聞いてるのに、からかうのか。

「ふん。悪かったですねー」

「そうだ、お前は悪い」

 なんでこんなガキに、とぶつぶつ言って、呂佳はそっと模様を描いていった。

「思わずラテにクマ描いて、嫌な事思い出した俺の気も知らず、来る度クマ描けクマ描けっていい加減にしろよ」

 棘のない優しい声で呂佳はそう呟いた。利央の前に、コトンとマグカップが置かれる。沈んだ表情の利央は、中を覗いてぽかんと口を開けた。

「2度とクマなんか描いてやるか。お前にはこれで十分だ」

 いつものクマはなく、綺麗なハートがひとつ。

 呂佳はいたずらっぽい視線を利央に向けた。利央の顔に血が集まり、みるみるうちに赤くなる。

「未練ってなんだよ。お前がそれを言うのか、未練なんてあるわけねーだろ」

「も、もういい。いやだ、もうなんか、恥ずいし」

 マグを持ち上げた利央に呂佳が声をかけた。

「ああ、それ」

 わざとらしく、利央が咳き込むのと同時に続きを言う。

「いつもより苦いから気をつけろよ」

「苦っ、しかも遅っ、もっと早く言ってよ」

 苦い、と舌を出す利央に呂佳は爆笑した。
 ごつい指が利央の頬に触れた。さらに体温のあがる利央を気にせず、呂佳は舌を伸ばして、彼の苦味を訴えるそれを舐めた。

「俺、甘いのよりは苦いほうが好きだから」

 そう言って、呂佳は笑った。




スプーン一杯の砂糖じゃ、とても足りない


end



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