short onion... 兄ちゃんはもう覚えてないかもしれないけど。 玉ねぎのきざみ方、後ろに立って大きな手を被せて教えてくれた。 その体温に一体どれだけどきどきしながら、あなたの言葉一言一句にかじりついてたことか、知らなかったでしょう。 onion... 小学生の時から、どうしても家庭科が苦手だった。 包丁で指を傷付けたらどうしようだとか、グローブはめられなくなったらどうしよう、なんて今思えば大げさかもしれないが、あの頃のオレは本気でそう思っていた。 でも慣れれば、怖い怖いと感じていたことなんてすっかり忘れてしまう。 流石に高校に入る頃にはもう、カレー位は普通に作れるようになった。 とは言っても、兄ちゃんと違ってオレは自分から進んで料理はしないから、滅多に作らない。 じゃがいも1つだって、兄ちゃんは包丁でするするやるけど、こっちはピーラーだし。 しょうがないじゃん、ピーラー便利なんだから。 物覚えの悪いオレに、兄ちゃんは根気よく教えてくれた。 オレの作るカレーは、準さんのとことか迅のとこのと比べて、甘い。 お袋の味ならぬ、兄貴の味。 いや、兄貴だなんて一度も呼んだことないけど。 「……あ」 冷蔵庫を開けたら、ラップにくるまれた玉ねぎがあった。 皮が剥かれて、しかも半分しか残ってない。 これ、いつのだろう、そろそろ食べないとマズいんじゃないの。 ていうかもう腐ってたりして。 見たところ腐ってないけど、念のためラップを外して、玉ねぎに鼻を近付けた。 問題ない。 どうしようか。 たまには自分の夕食ぐらい作ってみようか、と冷蔵庫を開けてはみたけど。 こんな微妙な量、何に使えばいいんだ。 とりあえず切って、野菜炒めとか。 いややっぱり野菜炒めってちょっと、肉食べたいし。 まな板に玉ねぎを乗せて、包丁を手に取った。 暫く触ってなかった包丁だけど、なんだ、大丈夫じゃん。 黙々と、ザクザク。 何回目かのザクっのときに目の刺激に涙が出た。 うう、やるな。 「滲みるぅ」 擦りたい、でも、手にも玉ねぎの汁は飛び散ってるし。 痛い、痒い、うわ、睫毛が、ああ最悪。 ぎゅっと目を瞑って堪えようとしたら、睫毛まで一緒に目の中に入った。 でも擦れない、蛇口どこだよぉ。 遠くでチャイムが聞こえた気がした。 でも動けない。 ここまな板だよね、包丁置いて大丈夫だよね、でも万が一まな板滑り落ちて足の上に落ちたらどうしよう。 動けない。 そうこうしていたら、リビングのドアが軋むのがわかった。 よかった、お母さん帰ってきたんだ。 「あ、お母さん、ちょっと助けて」 玉ねぎと睫毛が…… 「誰がお母さんだ。阿呆」 「あれ、兄ちゃん」 お母さんだと思ったら、帰ってきたのは兄ちゃんだった。 なんでここにいるの、とかもうどうでもいいや。 「兄ちゃんでもいいや。助けてくださいー、目が、玉ねぎと睫毛が」 「はぁ?」 でもいいや、だと、利央てめぇ。 いや、今そういうのいらないから、本当に助けて。 「何、お前が料理ってめずらしいじゃん」 兄ちゃんがオレの側に来た。 さあ早く助けてと、期待してたのに、兄ちゃんはオレをスルーして冷蔵庫を開けた。 音でわかる。 麦茶をごくごく飲んでる。 今冷蔵庫を閉めた。 「ちょっと、兄ちゃん」 「あ?」 つか、さっさと包丁置いて手を洗えば良いだろ。 「だって、間違って落として、足にグサッと」 「ならねーよ!」 包丁の重みが消えた。 閉じたままの目に、湿った物があたった。 「そのまま目ぇ開けろ」 べろん。 べろん? うっわ。 「あああ、何、この奇妙な感覚っ」 「舌」 「わかるよぉ」 「じゃあ聞くな」 異物感のなくなった目をぱちぱちすれば、ぺっと兄ちゃんが睫毛をティッシュにくるむのが見えた。 いやあ。 どきどきする。 「お前、何作ろうとしてたの」 「別に、何も」 ただ切ってただけ。 お前マジで馬鹿だよな。 「馬鹿でいいし」 じゃあ、兄ちゃんが帰ってきた所で。 「オレ、チャーハンがいい」 「このお前の乱雑に切った玉ねぎから、更に微塵切りにしろと?」 ぶつぶつ言いながらやってくれちゃう兄ちゃんは、まぁかっこいい。 かっこいい、と心で呟いて、舐められた目を閉じて、またどきどきする。 何年経っても、どきどきに慣れない。 ちくしょう、何もかも滲みる。 end [*前へ][次へ#] [戻る] |