short 連れて行って 静まり返った部屋で一人、利央は部誌にペンを走らせていた。 それほど遅い時間ではないが、外はもう真っ暗でおまけに風も強い。 先ほどまでは大勢人がいたため室温は高かったが、今は驚くほど寒くなってしまった。 本当なら今日はすぐに帰れるはずだったのに。 あらかた記入を終えた所で利央は、なぜ自分は今この寒い中一人で他人の仕事をしているのだろう、とため息を吐いた。 頭に浮かぶのは、忘れ物したからお前ちょっと部誌書いといて、すぐ戻ってくるから、と言って30分前に出て行ったきり戻ってこない一つ上の先輩。 準さんは薄情だ。 どうせ戻って来ないに違いないから、後で部室のチェックをしよう。 そう思って利央は部誌から少し顔を上げて横目で部屋を見回した。 すると、すぐにベンチの上に置きっぱなしのお菓子に目が止まった。 利央は顔をしかめてそれを見なかった事にしようと部誌に向き合う。 いつもは忘れ物とか無いじゃん、なんで今日に限ってさぁ。 食べたらちゃんと持って帰るのが常識でしょ。 誰かが部室に忘れて帰ってしまったのだろうか。 チラチラ目に入る緑色のパッケージが気になり、利央は部誌を書く手を止めて立ち上がった。 箱を持ち上げると少し重みがある。 中身はかなり残っているらしい。 「“連れて行ってフック付き”……」 文字を読み、菓子箱を裏返すと、切り込みが入っている。 なんとなく説明通りに指で押してやると、ペラペラのフックが出来た。 ほう、と利央は頷く。 確かに“連れて行って”と言っている感じがする。 連れて行って。 懐かしいなぁ。 昔は良く兄が出掛けるときは、連れて行ってとねだったものだ。 小さい頃を思い出し、利央は目を細めて箱を見つめる。 その度に呂佳は舌打ちをしたが、結局は連れて行ってくれた。 成長した今は、そんな機会はなくなってしまった。 しかし、昔よりも今の方が互いに向ける感情が大きく重くなったように、利央には感じられた。 連れて行って、今度言って見ようかな。 でもそんな暇ないや、そしてこのお菓子は一体どうすれば、と利央は箱を片手に、2つぶんのため息を吐いた。 試しに自分のバックの縁にフックを掛けてみたところ、以外としっかり固定された。 ちょっと愛らしいかも、利央はそう頭の片隅で思ったが、これから帰るだけの自分にはこの画期的な機能は必要無いのでは、と気付いた。 箱を手に取り、とりあえず中身を食べてしまおうとベンチに座って一つ口に運ぶ。 その時、いきなり部室のドアが開き、冷気と共に部屋に入り込んだ人物に、利央は目を見開いた。 「マジすげーさみぃんだけど……利央、お前部誌サボって何食ってんの」 「準さん」 帰って来ないと思ってた、と菓子が口の中に残ったままもごもご言う利央の隣に高瀬がどさっと座った。 「は?すぐ帰って来るって言っただろ」 そして利央の手から菓子箱を奪い取った。 利央はその様子を呆れ顔で見つめ、唇を尖らせる。 「30分って、すぐじゃないじゃん」 「つーかこの箱何、何で飛び出てんだ」 人の話聞いてよね。 利央は、高瀬によって中身が無くなりつつある箱の文字を指で示した。 「バックとかにフックがかけられるんだって」 「はー、なるほど」 高瀬はそう言いながら最後の菓子を口に突っ込み、空き箱を利央の頭にのせた。 数秒の間、利央はきょとんとしていたが、急に我に返り高瀬を睨み付けた。 「自分が食べたんだから、準さんが持って帰ってよっ」 そして空き箱のフックを高瀬のバックにかけた。 高瀬はすかさずその箱を利央のバックにかけ直す。 二人の間を行き交う菓子箱、ぎゃあぎゃあ喚く利央とげらげら笑う高瀬。 これではきりがない。 そう思った利央は、これで最後だとばかりに高瀬のバックに菓子箱をねじりこんだ。 すぐにバックを引っ付かんでドアノブに手をかけ叫ぶ。 「部誌はちゃんと書いたから、あとはゴミ捨てておいてね準さん!」 素早くドアを閉め、意外としつこい美人投手が追いかけて来ない内に。 利央は全速力で自転車をこいだ。 そんな利央を見送る高瀬の笑い声には気付かずに。 家に着いた利央は疲れていた。 リビングのソファーに寝転がり、目を覆った利央の隣に呂佳が腰を降ろした。 利央が疲れている原因は、キツい練習の後にくだらない理由で自転車を全力でこいだから、だけではなかった。 「なんだ、こりゃ」 呂佳はそう言って、利央のバックから顔を覗かせる菓子箱を指先でつまみ上げた。 本当準さん最低。 確かに高瀬のバックに入れた、と思っていた空き箱は、いつの間にか利央のバックに入り込んでいた。 たかが空き箱。 されど空き箱。 「ああ、くやしー……」 その様子をみた呂佳は、くくくっと笑いながら利央の髪をかき混ぜた。 「例の美形のピッチャーか?」 美形、と聞き利央の目がつり上がる。 呂佳の手を払いのけた。 「美形。美形ね、ショタコンが」 今度は呂佳の目がつり上がる。 「お前、兄貴に向かってなんつったよ」 利央は寝そべる体勢からがばっと起き上がり、呂佳の唇に自分の唇が触れる程の距離で向かい合った。 「オレね、今イラついてんの」 「それはこっちも同じだ。なんだ、拗ねてんのかよ。お前は可愛いから心配するな」 「全然違うから。一発殴らせてくれませんか、兄ちゃん」 利央はそう言うと、またソファーに寝転がった。 先ほどの機嫌の悪そうな声とは一転、弱々しい声が呂佳を呼ぶ。 「兄ちゃんー、もう疲れた、寒い、空き箱捨てといてー、後でキスして、寒いから」 呂佳は利央の頭を軽く叩くと無言で立ち上がり、空き箱を片手にリビングを去った。 珍しい。 捨てに行ってくれちゃった。 利央が呂佳の行動に驚いていると、すぐに呂佳は利央の隣に戻ってきた。 しかし、依然として呂佳の手には菓子箱が握られていた。 呂佳は無言で利央にそれを差し出す。 なんだ自分で捨てろと言いたいのか、と利央はしぶしぶそれを受け取り、若干の重みに首を傾げた。 「あ」 返された箱の中には色とりどりの飴がぎゅうぎゅうに詰まっていた。 利央の表情がみるみる明るくなっていく。 それを見る呂佳の表情も明るい。 「オレね、意味もなく兄ちゃんのことが本当に好きだなぁって思う時があるんだけど、それってこういうさりげない優しさの積み重ねなのかも」 呂佳は苦笑した。 「お前なぁ、餌付けすれば誰にでもなびくのかよ」 そう言って利央にかすめるだけのキスをする。 利央は満足そうに微笑み、小さな欠伸をした。 それを見て、眠いのか、呂佳がそう聞くと、利央は首を横に振り耳元に唇を寄せた。 連れて行って end [*前へ][次へ#] [戻る] |