short ぞわっ、と ※呂佳(→)+利央 「兄ちゃん」 「何だ」 「そこ、邪魔なんだけど」 「だから何だよ」 その言葉を聞いて、利央はムッとした。 冷蔵庫に手を伸ばそうとした利央の前に、呂佳が立ち塞がったのだ。 利央が何も言い返さない様子を見た呂佳は、しばらくの無言の後、その場を去った。 その去り際の背中を見た利央は、自身の身体に鳥肌が立つのを感じた。 ぞわっ、と 兄ちゃんがわからない。 その事で利央は悩んでいた。 最近よく、呂佳は気持ち悪いニヤニヤ笑いをせず、気付けば利央の傍にいるようになった。 利央がテレビを見ていて、ふと隣を見ると音も立てずに呂佳がいて、急にチャンネルを変えられたり。 それくらいなら別にいい。 それを無表情で行うから恐いのだ。 ていうか、気持ち悪い。 利央は初めの頃は特に気にしていなかったが、この状態が毎日続いていると段々心配になってきたらしい。 だが、誰かに相談するほどの事でもなく、しかし利央にとっては重要な問題で、ため息と、鳥肌がたつ回数は増えて行く一方だった。 いつから兄は変になったのだろう、と利央は考えてみるが、 そもそも変とは何だろう、 兄はもともと変だった、 ではこれは正常なのでは、 いや、正常だったら今こんなに悩んでいない、 やっぱり変なのだ、 だからそれは一体いつから…… というループを繰り返すだけで、なんの進展もないのだった。 それでも利央は頑張って自分の記憶を探った。 最初の頃の、ある日の事。 「兄ちゃん」 「何だ」 「肩が、邪魔なんだけど」 「だから何だよ」 何、考えてるんだよぉ。 利央がリビングから部屋に戻ろうとした時、呂佳が利央の肩を掴み壁に押し付けた。 利央の頭に浮かんだのは、この人は一体どうしたんだろう、というもの。 この時はまだ恐いと言うよりも、心配の気持ちの方が大きかった。 いつもと違う兄を心配する、ただそれだけだった。 最近の、ある日の事。 「に、兄ちゃん」 「何だ」 「足、邪魔なんだけど」 「だから何だよ」 それを聞きたいのはオレ何だけど。 と、利央は心で呟いた。 利央がシャワーを浴びようと浴室のドアを閉めかけた瞬間、にゅっと足が割って入ってきた。 素っ裸の利央を、ほんの少しの隙間から見つめ、ただ無表情で呂佳はそこにいた。 これには利央も驚き、冷静に出したつもりの声が震える。 「寒いから、閉めたいんだけど」 わざとらしい笑みを唇に乗せて、利央はひきつる顔を隠した。 どうしよう。 兄ちゃんがわからない。 このままではまずい。 感情表現豊かな利央は、無表情な人を苦手としている。 そのためか、利央は無意識に呂佳を避けはじめていた。 呂佳が家にいるときは、寝たふりをしたり、わけもなく外出をした。 行き先は大抵友達の家や野球部の仲間の家だったり、日替わりである。 しかし、毎回毎回押し掛けていれば不思議に思われるのは当たり前で。 迅からは、優秀なお兄さんがいるから家に居場所がないのかもしれない、というような可哀想な物を見る目で見られ、準太からは、タダでおやつを食いに来ているのかもしれない、という全くもってかけ離れた視線を浴びせられた。 一番酷いと利央が思ったのは慎吾の家に押し掛けた時の事である。 利央が慎吾の部屋に入ってから数分後、 AV見るから帰れ、 と一言。 人選ミスだ、と心の中で利央は呟いた。 押し掛けた人間が言えるセリフではない。 利央が呂佳とギクシャクしてから約1ヶ月。 何かあったのか、と利央に優しく声をかけたのは2年の青木毅彦だった。 「とりあえず、何があったんだ」 青木はそう言うと、利央の手にココアを持たせて、自身のベッドに腰かけた。 部活終わりの遅い時間、利央の様子がおかしい事を気にしていた青木は、自分の家へ悩める後輩を誘ったのだった。 利央は、手元のココアを見つめて強ばった表情を緩めた。 「とりあえずさ、タケさんって、いい先輩だよねぇ」 「誰と比べてだよ」 「慎吾さんとか、準さんとか、あと慎吾さん」 慎吾さんと準太か。 うーん、と青木は考えてから苦い顔をした。 「……何か、あんまり嬉しくねぇな」 「えー、タケさんひどーい」 利央が明るく笑ったのを確認して、青木は話を本題へ戻した。 「呂佳さんが変、ね」 つっても、オレはあの人の事を良く知ってる訳じゃないからな。 青木が空になったコップを机に置いて、利央に向き直った。 「兄弟が互いを全部知ってなきゃいけないって事はないだろ。もしかしたら、お前が気付かなかっただけで昔から呂佳さんがそんな風だったかもしれねーし」 「そうかなぁ」 利央は首を傾げて、瞬きを何度かした。 「嫌なら嫌って言ったほうがいい。悩んでる利央は、正直変だ」 「うっ」 「それに、」 避けられてる方って結構キツいと思うぞ。 青木のその言葉に、利央の肩はびくんと跳ねて、すぐに落ちた。 直接的な説教ではないが、的確な青木の意見で利央はしょんぼりとしている。 青木は苦笑して、言葉を付け足した。 「まあ、裸眺められるのはちょっと、て気はするな」 青木の表情に緊張が解れたのか、利央は明るく相づちを打った。 「眺める、どころかさぁ、舐めるような感じなんだもん」 ぞわってくるよねぇ……。 利央がしみじみと言うので、青木は思わず噴き出した。 その日の夜、玄関にて。 玄関に仁王立ちの呂佳がいる。 利央は深呼吸してから、そっと呼び掛けた。 「兄ちゃん」 「何だ」 「家、入りたいんだけど」 どうせこの後は「だから何だよ」と来るのだろう、という利央の予想に反して、呂佳はこう言った。 「なんで最近避けてんの」 気付いてたんだ。 利央は、低い呂佳の声に背筋を強張らせたが、青木の言葉を思いだし勢い良く頭を下げた。 呂佳が目を丸くする。 「兄ちゃん、ごめんねっ」 「おっお前、何やってんの」 「最近の兄ちゃんが、なんか変だから……いや、変っていうか、うん、あの避けてた。ごめんね」 そう言った後、利央は頭を上げて呂佳の顔を覗きこんだ。 「ねぇ、兄ちゃんも、なんか悩んでるんでしょ」 呂佳は、必死な利央を無言で見つめている。 「悩み事聞くから、話してよぉ」 「……話したら、どうにかなると思うか」 相変わらず呂佳の声は低い。 それに臆せず、利央は食らい付いた。 「なる事もあると思う」 「じゃあ、頼み事聞いてくんねぇか」 目ぇつぶれ。 なんだそんな事で良いのか、と呂佳の言う通りに利央が目を閉じる。 サンドバッグになるのだろうか、日頃のうっぷんだろうか。 が、何も起きない。 しびれを切らした利央が目を開こうとした瞬間、唇が生暖かい何かに触れた。 同時に、ぞわっとくる鳥肌。 とっさに、利央は手探りで呂佳の腕を掴んではっとした。 呂佳の腕にも鳥肌が立っていた。 その腕を離そうとしたが、結局それはしなかった。 自分にも兄にも鳥肌が立っているのだ。 それは何故だろう。 ぞわって一体何だ。 ぞわっ…… ぞくぞく……あれ。 そして、生暖かい感覚は去り、利央は目を開けた。 「兄ちゃん」 「何だ」 「今の何なの」 呂佳は何か吹っ切れたような顔をしていた。 「わからん」 ぞわっ、と、ぞくぞくは何だったのだろう。 オレも兄ちゃんも変だ。 「じゃあオレもわかんないや」 利央は、今までの呂佳の行動と、今の行為を自分が嫌だと感じたかどうかもわからずに、ただため息を吐いた。 end [*前へ][次へ#] [戻る] |