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Adler



――俺はずっと君を知っていたこと、君は知らなかっただろう。
口にされた言葉の意味が判らず、平和島静雄は首を傾げた。そう告げた側である折原臨也はただ無表情でおり、それから彼の様子に苦笑した。眉を寄せた困った顔には、さすがの臨也でも今まで見たことはなかったのだ。こんな顔を見れただけでも今に感謝すべきなのか、もう判らない。この気持ちだけが、臨也に今在る真実だ。
その一部屋で住んできた半年を思い出す必要もなく、二人は鮮明に憶えていた。忘れることの出来ない時間の流れを、確かに二人で生きてきた。臨也が限界を感じてしまった、この瞬間までを。静雄は理解が出来なかった。出来ない分だけ臨也と同じ場所に立てなかった。同じ時間を生きてきたはずなのに、この違いは何なのか。目の前にいるはずなのに、この遠さは何なのか。彼が気付くにはもう少し後のことになる。だからこそ今、静雄は何も言わずに立ち尽くすしか出来ないのだ。



それは半年ほど前、田中トムの一言から始まった。

「そういえば静雄、俺さ来月結婚するんだわ」
「……え?」

トムの作ったオムライスを頬張りながらも、持っていたフォークを落とすほどには驚き、思わず声を上げたのは平和島静雄である。彼は信じられないという顔に丸い目を貼り付け、何度か瞬きをしてトムを凝視していた。何故そこまで驚いているのかと言えば、その一言は静雄にとって大きな影響を及ぼすことになると判っていたからだ。
平和島静雄と田中トムは同じ借金の取り立てという仕事をする、同僚という間柄であった。中学での先輩後輩だったという縁もあり、トムが静雄にこの仕事を誘ったことが、二人の関係が上司と部下に変わるきっかけだ。丁度、静雄もある事件に巻き込まれた所為で職を失っていたので、彼にとってトムは恩人とも言える人間だった。
そんなトムから仕事のついでにと、静雄へもう一つ誘われたことがある。それが今もこうして続いている、このルームシェアという暮らし方だった。だが、初めは一人暮らしをするよりも少し大きめのアパートを借り、共同して住むというそれには家賃や生活費的にも静雄には魅力的な提案だったが、彼には人とは違い、少し備わっている力が大きすぎるという特異体質を持っていた為、すぐに返事は出来ずにいた。それでも昔からの知り合いということもあり、トムはそれを考慮した上での誘いだからと、渋る静雄を半ば強引に同意させたのだ。ルームシェアによって家族以外の人間と共に生活をすることは、静雄にとって初めてのことばかりで始めは戸惑っていたものの、今ではすっかり慣れてしまっている。家事や家賃、生活費も半分でいいこの生活は、自分を理解していて気の許す先輩ということもあり、中々に快適であった。
しかし、そうして続いてきた数年のルームシェア生活も、このトムのたった一言から変わる。彼の話曰く、ずっと交際していた彼女と結婚が決まり、来週から同棲を始めたいとのことだった。勿論、静雄としては上司の結婚など本当に嬉しいことではあったが、生活的に言えば素直に喜べないのだ。それはつまりこのルームシェアも出来ず、静雄は一人暮らしに戻るということ。一人暮らしに懸念はなくとも、問題は金銭面だ。引っ越しには随分なお金がかかるが、静雄には社長に対する借金がある為、貯金はない。かと言って、このままこの部屋に住み続けるほどのお金もなかった。口ではおめでとうございますと言えても、内心は素直に喜べず複雑な気持ちになって静雄は俯けば、その気持ちを悟った様子でトムは提案を持ちかけた。

「それで、この部屋のことなんだけどよ、俺の代わりを紹介してやろうと思って」
「代わり……ですか?」

トム自身も、誘っておきながら勝手に出てしまうことに後ろめたさがあったのだろう。後がまとして見つけておいた人間のことを、渋った顔の静雄になるべく笑いながら話す。

「ずっと家を探してた奴でさ、金に困ってる風じゃねぇんだが、どうだ? その方が静雄も問題ないべ」
「い、いや、問題しかないですよ。知らない奴なんて、俺は……!」
「大丈夫だって。そいつはお前を平和島静雄だって知って、いいって言ったんだからよ」

知らない奴だからというよりも、静雄は自分の力を他人に受け入れられないことを考えて声を上げている。警察の前でトムに再会した時もそうだった。仕事や住居に誘っても、また迷惑をかけるからと困った顔をして首を振っていた。トムとしてはそんな我慢を続けてきた彼に、少しでも世話をかけたいのだ。元々ある世話焼きな面も含めて。
首と一緒に手まで振り出した静雄の肩に手を置いて、トムは笑う。心配ないからという意味と、これはきっとずっと彼には伝わることのない、お前の為になるからだという意味も込められている。だから彼は断れなかったのだ。

「だからよ、今度そいつに会うだけ会ってみろよ」

紹介されることになる人間の名前と、待ち合わせの時間と場所の書かれた紙を無理矢理に静雄に握らせる。もう此処まで話が進んでいるとなると、全て否定して押しつけるわけにもいかなかった。納得はいかないものの、彼は気乗りしないまま頷く。その様子にトムは嬉しそうにして、そうかそうかと彼の背中を何度も軽く叩いていた。
だが、そんな上司には悪いが、静雄は端っから断るつもりでいた。トムが下手に心配しても申し訳ないので、一緒に住むことになったと嘘はつくかもしれないが、さすがの静雄でもいくら自分のことを判った上でとはいえ、見ず知らずの他人とは暮らせない。おそらく、これは自己防衛に似ている。それこそ、もう自分が誰も傷つけないように。
指定された待ち合わせ場所は今日の夕方、駅の近くにあるファミレスだった。いくら春になったばかりで少し肌寒い時もあるとはいえ、未だに黒いファーコートを着ているからすぐ判ると言われていたので、店内に入ると案内をしようとする店員に断り、その人物を探す。見回してみれば、一番隅の席で傍らに言われたコートを置き、ノートパソコンを動かしている者を見つけた。おそらく彼が、トムの紹介してくれた新たなルームメイトだろう。紙に書かれた名前を一度確認してから、歩み寄っては声をかけた。

「あの、折原臨也さん、ですか」
「え、ああ、うん。そうだよ」

名前を呼んだ瞬間、何故か折原臨也というその青年は、静雄を見るなり変な顔をした。眉をひそめて静雄を見た後で、ぱっと一変させては笑顔になる。そのまま使っていたパソコンを閉じて、向かいの席を勧めるので、素直に静雄は腰を下ろした。

「初めまして、平和島静雄です。あの、来てもらって悪いんですが、この話……」
「静雄くん、歳いくつ?」

すると、不意に話の途中で年齢を訊かれる。

「二十四ですけど」
「そっか。なら同い年だし、敬語はいいよ。名前も臨也って呼んで」
「判った……」

とっさに答えるものの、年齢くらいトムから聞いていないのかと相手を訝しんだ。妙に親しげにかけられた口調から、臨也は話しをするのが口下手な静雄よりもずっと得意だということがすぐに判った。都合が悪い話しさえ、折ることも。
臨也は両手を口の前で絡めては、そのまま唇に指を当てる。その仕草が口元の卑しい笑みを隠す為であることに彼は気づかない。断る為だけに静雄は此処へ来たというのに、未だにその話題にさえ触れることを臨也が許さなかった。

「それと、この話を断るのも駄目だよ」
「なんでだよ」
「だって、そういう運命だからね」
「はあ?」

運命だなんてどこかの漫画やドラマ以外、ましてや現実世界で滅多に聞くことのない言葉を口にされ、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。電波かと内心変人を見る心持ちになってしまうが、それでも世話になった上司の紹介だからと顔に出すことは意識して阻止をする。終始ペースの掴めない相手にいつものイライラも越えて、困惑をしていた。
しかし臨也の方は至って普通だった。この日の為にどうやって静雄を引き止めるか、いくつも台詞を用意してきたものの、相手を目の前にすると全てが無碍になる。だからこそ今思う意気込みを伝えるしかない。彼には聞こえても、今は届かない想いを口にするしかない。

「臨也って名前、珍しいだろう? 由来はさ、預言者イザヤから来てる。あとはそれに臨む者を当てはめて名付けられたんだ。だから俺は神様でもなんでもいい、そういう者が決めたこの運命に臨むことに決めたんだよ」
「ちょっと待ってくれ。何言ってんだ、あんた。意味判らねぇよ」

まるでこうして出会うことが決まっていたことのように言う臨也に、静雄はついていけない。それでも、どういうことなのかと意味を求めるより先に、臨也の珍しい赤眼は真っ直ぐに彼だけを捉えていた。

「俺と一緒に暮らして欲しい」

その言葉を以前聞いたことのあるようなデジャヴに、静雄はおかされる。でも、どうしても思い出せない。思い出したくない。上司から受け取った紙を握りしめ、静雄は口を開けても声が出せなかった。
臨也は言う。

「頼むよ、シズちゃん」

臨也は懇願する。たかがルームシェアをするだけに、こんなにも真剣に。それを理解できないながら、拒んではいけないと彼は思ってしまった。相手の目を見ていられなくなって逸らし、その方向に見受けられたのはこの店にある期間限定のデザートの宣伝だ。
それは半年ほど前のこと、静雄の一言から始まった。

「……だったらパフェ、奢ってくれるか」

その声に、その日初めて臨也は彼に向けて、本当に微笑んだのだ。

これが半年間のルームシェアの始まりになる。臨也が全てを賭けた一瞬のことだ。そうして互いに知らないと思い込んだ共同生活。生きていくことを共有する。彼は臨也となら一緒に生きていけると思ったのではなく、臨也と生きていかなければならないと思った。
それが三月末のこれからを何も知らなかった、静雄の出会いだった。

「シズちゃん、俺はね、空を飛ぶんだよ」


Adler
(120330)

独:アドラー(鷲)



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