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掻き消したい僕の存在意義を君に託し今消失へ誘う



「二兎を追う者は一兎をも得ず」

闇医者である岸谷新羅は、目の前にいる人物へと語りかける。話始めはとある諺から。今年の干支である兎から開始されるとは、なんとも縁起の良いことだと思うだろう。だがこれから始められる話というのは決して縁起の良いことではない。ましてや悪い方と言えば近しい。
それはとある男、二人の話。目の前にいるこの人物もまた当事者である。新羅はそれを知りながら話をし、また何故彼自身がその話を知っているのかと思わせるほど詳細深く話すのだ。男はそれでも冷や汗一つかかず、ただ真っ直ぐに向かい合う新羅を見つめ続けていた。おとなしくもソファに座り、彼のいれた珈琲を啜りもせず。

「さて、話をしようか」

事の始まりは去年の大晦日。人間は来たる初詣の為に街へ繰り出し、電車には終電さえなく引っ切り無しに走り続けていた。年に最も賑わう夜の中、一人の男は人混みを掻き分け、ひたすら逃げ出していた。その男というのが他ならぬ平和島静雄だった。最強と言われた静雄が逃げているのは、本来ならば恐れるはずもない人間からである。逃げ出してからそうは時間が経っていない。それでも追走者は警官から一般人までと、数だけならば恐ろしいほどの多さだった。
一週間ほど前だったか。静雄はいつものように耐え切れず暴力を振るっていた。偶然出くわした折原臨也に対して、近くにあった自販機を投げる。池袋に少し長くいる者ならばよく見る光景だ。自販機やごみ箱、標識が頭上をのぼるなど、最早非現実的な事柄ではない。しかし、そんな当たり前になりつつあった日に限って、当たり前は起こらないものだ。投げ飛ばされた自販機を臨也は悠然にもかわして見せる。その自販機はそのまま地面に落ちればよかったのだが、ずりずりと勢いのまま滑ったそれは、たまたま通りかかった少女と衝突してしまった。事故とは言え、頭から血を流す少女はぐったりとする。母親が駆け寄っては名前を叫び、キッと固まっていた静雄を睨むのだ。謝って許されないことだとは判っていた。しかし何もできずにいる彼に対し、追い打ちをかけるように臨也は面白がっては言う。

「人殺し」

まだ母親の様子からすると死んではいないだろうが、静雄にはそれが判断できないので鵜呑みにしてしまう。人殺しになってしまったのだと、そう。冷静になれば、すぐ気付くことだったのだが。
暫く続いた沈黙。やがて足を引きずり、走り出したのは静雄の方だった。逃げたのだ、彼は。目前にある現実から逃亡を図った。
臨也にはそれが意外だったのだろう。追いかけもしなければ何も口にせず、ただ舌打ちをして見るからに苛立っていた。普通の人間らしい行動に、静雄を化け物としていた臨也は許せなかった。許せないまま、彼もその場を後にして。
警察側はその一連の出来事を聞き付けたものの、それを事故としては処理しなかった。理由は今までの静雄の行動から必ず捕まえたかったというのも有り、その為には正当な理由がなかったので、今まではできなかったことだったのだ。だからこそこうして理由ができた今、彼を捕まえる他ない。ただ平和島静雄という身体能力の持ち主に対し、ましてや本人に逃亡意欲があるのならば、尚更捕まえるのは困難だった。男が何人防ごうと拳銃を使おうと、なんにせよこの男には歯が立たない。
そこで懸賞金を出してみると、面白いほど一般人だけではなく取材陣までもが広く騒ぎ立てた。テレビで大きく取り上げられてしまうと、静雄はやはり逃げるしかない。始めから逃げることしかしていないが、誰を頼るわけにもいかないことなど本人が一番よく判っていた。だからこそこうした夜中になっても逃げ回り、隠れてはまた逃げているのだ。
幸い、この身体はこういった場面に対しては大変適していた。いくら走ろうとも息切れはせず、何より足が限界を訴えるなど、まず有りはしないだろう。その前に何故自分が逃げ続けているのか、そちらの方が怪訝だった。あの場で謝ってしまえば済んだのかもしれない。これでは自分から犯人だと訴えているではないか。
街で見かけた電光板のニュースでは、少女重傷により殺人未遂となっていた。警察は相当静雄を捕まえたいらしい。いくら頭が良くなくとも、それぐらいの予想はついたので、静雄はやはり逃げるしかなかった。

逃げているだけでは埒があかないと考え始めた頃、たどり着いた先は新宿の折原臨也のいるマンションだった。さすがに警察も一般人も取材陣も、仇敵である臨也に匿われるはずがないと考えていたのだろう。誰もいない静かな街並みの中、静雄は漸く安堵して壁に背をついた。息をつくと白が揺れる。あと十分ほどで新年を迎えるとはとても思えない夜だ。去年は実家で弟と一緒に穏やかにも過ごしていたと言うのに。
しかしそうした状況が長く続かないというのも、また現状であった。コツリコツリとコンクリートを踏み鳴らす足音を耳にして、静雄は思わず肩を震わす。その音を頼りに視線を向かえば、発見した人物を目の当たりにして、無意識にも安心してしまった。そんな自分が苛立たしい。

「君が此処に来る予想はしていたよ、シズちゃん」

それは折原臨也だった。当然だ、ここは彼のマンションなのだから、臨也がいても何もおかしくはない。それを承知で来たはずなのに、何故か全く予想していなかったかのように静雄は驚いていた。数日以来の仇敵は、相変わらずの饒舌をしていた。

「吃驚した顔してる。君が今、懸賞金かかってるのは知ってるかい?実は俺、それを狙っている人物から依頼を受けてね。君を見つけることになっているんだ。伊達に情報屋じゃないさ。単細胞の君の考えていることなんて、手にとるように判るよ」

訊きもしていない話をべらべらと語り、その顔は終始微笑んではいたものの、話が変わると同時にその笑みは消える。

「でも、一つ訊きたくてね」

――俺にはない。

「なんで逃げた。逃げなければ事故として処理されたかもしれない。それなのに逃げて、こんなことになって。君はもう後戻りできない。これじゃあ俺に嵌められた時と同じじゃないか」
「なんで手前がそんなこと気にするんだよ。手前にとっては、俺が捕まった方が嬉しいんじゃねぇのか」
「あの頃は若気の至りってやつでね。今は違う。君を殺したいと思ってる」

今日は寒いばかりで風は吹いていなかった。それでも吹きすさぶ木枯らしが間を割っていたのなら、その長いコートは翻っていただろうか。
馬鹿なことを思う。現実逃避の表れだ。逃げたいと言う心情を必死に押さえ付け、あと少しと言った小さな呟きは臨也には届かない。
そんな彼はもう一度言う。

「だから殺しに来たんだ」
「……そうか」

仕事を蹴ってでも優先したい私情。踊らされている、そう判っていても辿り着きたかった現実である。臨也はコートのポケットに突っ込んだままの手を震わせる。それには当然静雄は気付かず、手はいつの間にか常時携帯している煙草を持っていた。一本くわえ、ライターに火をつけ、カチンとそれが閉じる頃には既に煙が空気を汚している。普段と変わらないことだけが、今はただ愛おしい。

「多分、俺はこの後本当に人殺しになるだろうな。逃げる為に、保身の為に力を使う。その前に殺されるなら、別にいい」

その言葉は本心だったのだろう。今更にもこの状況の中で静雄は笑えたのだ。可笑しくて堪らない。こんなことをこの人間に言う日が来るなんて、夢にも思わなかったのに。
夢を叶えようという臨也の方が、よっぽど情けない顔をしていた。

「俺が俺でなくなる前に、お前に託してもいいか。今までもこれからも、全部」
「御免だよ。君の存在なんて、俺の過去を目茶苦茶にしただけで十分だ」
「お前が俺を追いかけて来たって聞いて、安心した自分が馬鹿みたいだな。逃げた理由は、多分……怖かったんだろう。逃げ続けたのは、ただ生きたかったからなんだろうな」
「そんなもの?」
「そんなもんだ」

寒空の下、天を仰ぐ。涙の代わりに星が降って、星座は瞬いている。というようなはずもなく、普段と変わらない曇ったような真っ暗な空は何かに似ていた。吸い込まれそうなほどの闇。今までも、そしてこれからも永遠に見ることはないであろうブラックホールに。
臨也の震えていた手が止まる。あと数分で世界が変わる。

「俺はね、何も今まで君一人を追いかけていたわけじゃない。昔から、君を二人追いかけて来たんだ」

彼のポケットから取り出されていく手には何かが握られていた。それは静雄にも見覚えがあるはずのもの。嘗て最強の男に対し、一番重傷を負わせたであろう物。
粟楠会に返さなかった拳銃。突き付けられた銃口。くわえていた煙草は、火のついたまま落ちる。

「殺したい君と会いたい君」

――シズちゃん。

「どっちが本物なんだろうね」

――多分、俺は好きだよ。
煙草を踏むと、じりっと音を立てて火が消える。静雄は笑う。いつまで笑えるのかは、彼も知らない。知らない方が嬉しい。知っている情報屋は、もう笑えないのだから。

「さあな」
「ねぇ、シズちゃん今日はね、世界が生まれ変わる日なんだ」

永久に終わらないはずの日常に終止符を打つ。望んでいたこと、夢、どれとも噛み合わないまま。さようならも言わずに。
引き金を引く、指は白く細く、冷たい。

「A Happy New year」

そうして時計の短針が新しい零を告げる。奇しくも悲しい時を、彼らにへと携えて。



冷めた珈琲を、彼は一度も口をつけないままだった。新羅の話が終わると同じに、静雄を撃った拳銃を取り出してみせる。あの時と同じように新羅へと銃口を向け、引き金を引いた。だが何も起こらない。当然だ、この拳銃には弾が入っていないのだから。
だからこそ平和島静雄は此処に居り、こうして臨也の持っていた拳銃を手にしているのだ。

「どうして君が今生きているのか。俺は全てを聞かないよ。静雄、だけど君は初めて貪欲になった。僕は匿う気はない。しかし、その人間らしさに心底嬉々させてもらうね」

冷めた珈琲を取り上げ、いれ直して来ると言ってキッチンに消える。静雄は改めて自分と臨也の間にあった全てを考え、また悩まされていた。
すると暫くして、携帯の着信を告げるバイブレーションが響いた。取り出した携帯の色は黒。当然、静雄のものではない。それでも構わず電話に出たのは、何故だか判っているからこそなのだろう。

「はい」
「これは折原臨也の携帯だけど、君は平和島静雄だね」
「誰すか」
「九十九屋だ。折原臨也に君を探すよう依頼した者だよ」

電話相手は九十九屋という男だった。ディスプレイも見ずに電話に出たので、その名前も知らなかったのだ。その名の人物は知らない者であったが、以前臨也は依頼されて静雄を探していたと言っていたので、それには聞き覚えがある。何か口にしたかったが、何を言うにしてもまともではなかったので、結局何も言わずに静雄は黙っていた。
そうしていれば九十九屋から話しをする。この手の人物は大体そういうものなのだろうか。

「さて、今日は本来別の言葉を言うべきなんだろうけど、今は敢えて君に言いたい言葉があるんだ」

携帯のスピーカーに耳を寄せる。その後の言いたい言葉というのも、当然九十九屋が言うものだと思っていた。
瞬間、空気が変わる。この時向こう側で携帯を手渡していたことを今知る。

「ハッピーバースデー、シズちゃん」

空気が揺れる。流れ出た息遣いは、まるで吹きすさぶ風のようだった。ヒィヒィと煩い声が自分のものだと気付いた時には、既に口元を掌で押さえ。
それが臨也と静雄が話しをした最期だったなど、知っているのは九十九屋という顔も知れない男、ただ一人。そしてその声に涙を流したと知るのも、その理由を知るのも、静雄だけだった。



掻き消したい僕の存在意義を君に託し今消失へ誘う
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