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world end
静雄が既死。



「またなって言ったら、お前は笑うか?」

世界の終わりを見ているみたいだと、誰かは言った。それがこの景色を見た彼だと、私は勿論知っている。私は傍観者でしかなく、ここへ彼を連れて来たのは運び屋としての仕事を全うしたまでなのだから。
あの時、最初の一言を口にしたのは、静雄の方だったらしい。またなと言ったら笑うかと問う静雄に、答えたのは臨也で。柄にもなく涙を溜めて、こくりと一つ頷いた。

数年も前のことだ。死、というものを間際にした静雄はあまりに冷静だった。それでも「今から死ぬみたいだ」と言って、至って身体は健康そうな静雄が私と新羅の家を訪ねたのは、今でも記憶に新しい。新羅は当然馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたが、私は何故かその出会った瞬間から、こいつは死ぬんだと思っていた。化け物同士の勘という奴だろうか、私から見ても、医者から見ても元気そうな静雄を、死ぬと思ってしまうなんて。自殺かと訊ねても首を振り、まるでさも寿命のようかに断言する静雄に、いつの間にか私たちは否定できなくなっていた。

「悪ぃな。じゃあ、それだけだから」
『待て、静雄!』

本当にそれだけ言って、踵を返そうとする静雄を引き止める私。肩を掴む手により一層力が入るが、彼は痛がる風もなかったので構わなかった。歩みを止めてくれた静雄に対して、私は素早く文字を打ち込み突き付ける。それを見た静雄はただ本当に嬉しそうにして、笑っていた。そして、消え去ってしまった。
それから私は数年もの間、彼を見ることはなく。時間ばかりが過ぎて、街に一時的に広まった噂をも薄れてきた頃、奴は私を訪ねて来た。

「今から君に連れて行ってもらいたい場所がある。交通機関は殆どないから、運び屋に頼みたい」
『誰を?』
「俺を」

それは情報屋の折原臨也だった。嘗ての静雄の仇敵。静雄が消えてからも臨也の噂は絶えることなく、私もまた仕事を請け負うことは何度かあった。だが彼は異様なほどに、数年前と容姿は全く変わっておらず、私にはある種の化け物に見えた。
臨也の連れて行ってもらいたい場所とは、関東の山間部だった。私も未だ踏み込んだことのないような、深い。仕事だと割り切って了承すると、新羅には俺から伝えておくからと現在仕事でいない同居人の名前を口にされ、私は臨也を連れてバイクに跨がった。
コシュタ・バワーを走らせてから、一時間、いや二時間。辺りが大分木々に囲まれ、真夜中では月さえも姿を消し、鬱蒼と茂る森の中は私から見ても不気味に思えた。臨也の指定された場所はここから近い。だが今度は道のない場所に入るということで、徒歩に移動手段を変えることにした。深夜から走り出し、今はもう早朝に近いかという時間帯。新羅からは意外にもお咎めはなく、気をつけてとただ一言だけメールが来ていた。臨也からの連絡に、何か事の内容が含まれていたのだろうか。そういえば、私は何も知らない。
影を使って、前方を行く臨也をつつくと、奴はこちらに振り返った。即座にカタカタと文字を打ち鳴らし見せれば、すんなりと答えてくれる情報屋。

『今更訊くが、何故私にこんなところへ連れて来させた』
「ああ、うん。話してなかったね、いいよ」

話すとは言っても、さりとて歩みを止めることはなく、口ばかりは達者な情報屋はさぞ器用に事を話す。それは話すというよりも、時間を遡り、問い掛けるというかたちで。

「数年前、シズちゃんに最後に会ったあの日。会って早々喧嘩した後にあいつ、なんて言ったと思う?」
『なんだ』
「またなって言ったら笑うか?って、言ってきたんだ」

倒木を飛び越え、生い茂る葉の間を掻き分けながら、昔を懐かしそうに楽しむでもなく、ただ不愉快そうに話す臨也。けれど私は思うんだ。そんなに不愉快な事柄なのに、こんなところへわざわざやって来たのは静雄に関してだと明白している。どうしてお前は、嫌いなことにもそうして足を踏み込むのだろう。器用を装っておきながら、不器用なのか。静雄みたいだな。
臨也の話す過去は、おそらく私のところへ静雄がやって来た後のことだろう。死ぬんだと言われたあの日、なのに臨也の口から死ぬなんて言葉は一言も出ない。

「俺は当然笑ってやったよ。まるで会うのが楽しみみたいに言うからね。でも、あれからそれは叶ってない。君は少し前までに流れていた世間の噂を知っているかい?」
『お前が静雄を殺した、という噂か』
「そう。実際俺は何の関与もしていないが、死んだというのはどうにも腑に落ちなくてね」

漸く出て来たその一言もまた、彼の意思ではなく噂話で。未だ問い掛ける語りをやめない話し方は、最早癖か。
少し前まで街中を駆け回っていたその噂は、静雄がいなくなったことにより、ついに臨也に殺されたのだというものだった。当然静雄や臨也の周りの人間は否定したし、当の本人にも身に覚えのないゴシップだ。しかし、そうした噂でしかない噂話にも耳を傾けてしまう情報屋は、胸につっかえて噛み合わなくなった歯車に歯ぎしりを重ねていたよう。

「あの化け物が消えただけで、何故人間は死んだと思う」
『お前は思っていないのか』
「当たり前だ。死体も見ちゃいない。夢だったんだ、シズちゃんを殺すのは。だから、もしも死んでたら俺は、奴を許さない」

夢を語る、人間の表情ではなかった。苦悩に堪えるその顔は、まるで必死に追いかけたものがなくなり、絶望し、復讐に賭け、また絶望を目の前にする人間のようだった。唇を噛み締めながら、それでも歩みを止めず、彼は言う。いなくなった平和島静雄を探すことにしたのだと。健康なままでなくてもいい、最悪死体でも構わない。消えるなんて許さないと。そうして情報を集め続けて数年を経て、この奥に平和島静雄がいると判ったらしい。
だが臨也はそこまで話しておきながら、それからは話さなかった。彼だって情報屋なのだから、この情報に筋が通っていると核心した上でやって来ているのだろう。わざわざ私を使ってまで。訊ねれば、どうかなとはぐらかされた。
この時の私はまだ知らなかったことなのだが、信憑性に関わらず情報自体が入ったのはこの一件だけだったらしい。情報屋という適任な仕事を何年も熟しながら、数年でたった一件という情報の少なさに、彼はこの一件に全てを賭けていたのだ。
そして、森の奥の更に深くへ行ったところで、すたれた廃墟を見つけた。元は木造の家屋であっただろうそこは、蔦や葉に侵食され、ほぼ緑色と化している。臨也は取り出した一枚の写真と廃墟とを何度も見比べながら、呼吸を整えて呟いた。

「まるで、世界の終わりみたいだ」

まるで世界の終わりを見ているようだと、誰かは言った。その誰かとは臨也であり、植物ばかりが生きるこの景色の中で、彼は確かにそう呟いていたのだ。
そして何かの人影が見えた時、走り出したのは私ではなく臨也の方だった。朝日は漸く顔を出し、きらきらと廃墟の隙間からこぼれ落ちながら、人影をより鮮明に窺わせる。金色の髪、ぼろぼろになったバーテン服と。ああ、確かにそれは静雄だった。

「シズちゃん…?」

静雄という、死体だった。
数年、少なくとも数年は死んでいたはず。なのに朽ちもせず、変わらず綺麗なままそこにあったのは、あの忌ま忌ましい力の所為か。それとも一説に言う、人間が日常的に口にしてしまっている保存料の所為か。だが今は、そんなことなどどうでもよく。もしも私に首があったなら、私は悲鳴を上げて泣き崩れていただろう。大切な友人の、死を目の前にして。

「またなって言うから、大嫌いな君に会いに来てやったんだ。喜べよ。数年も、探したんだからな。…くそ、なんとか言えよッ」

臨也は声を上げながら、静雄の肩を思い切り殴ると、ばきり、何かが折れる音がした。長い年月の中で、静雄は脆い人間に変わってしまっていた。朽ちることなく姿を保ちながら、そうやって中身は無惨にも腐蝕し、嘗ての平和島静雄の面影など、容姿でしかなく。
こぼれた朝日が、身を焦がす。臨也が頬を撫でていて、遠巻きから見つめる私には知れないが、きっとその皮膚は人間のものとは思えないほど、とても冷たい。

「数年だ。数年も死んだままで、こんなに綺麗でいられるはずがない。やっぱり君は化け物なんだね」

まるで、化け物というものに感謝しているかのような言葉だった。
倒れたまま、金色を振りかざしたまま、それは事切れた人形のように。いや、そんなに繊細なものではなく、嘗て王者に君臨していたライオンのように。憧れるような、綺麗な死に様だった。けれど伏せられた目蓋から、またあの双眸が覗くことは二度とない。それはとても寂しいことで、悲しいことで。
臨也は静雄を抱き抱える。そのまま持って帰るものだと思ったので、戻る道を探そうとすると、ついて来ない彼を見つめる。目を細め、あっと声を上げながら、崩れそうになる身体を影で支えた。臨也はあまりに軽く、また静雄は重さなど殆ど感じなかった。中身がぼろぼろどころではなかった。きっと、ないのだ。中身なんて、ないんだ。
彼は静雄に口づけし、私の影を払って再び抱き抱える。とても綺麗な、人間を。

「大嫌いだからね、シズちゃん」

人間は涙をぼろり、流しながら。


あの日、私は静雄を引き止めてまで訊ねたことがある。死ぬんだと言われたあの瞬間に、私はただ一言だけ言ったのだ。お前は世界が好きか、と。そして静雄は嬉しそうに笑って、一言だけ告げた。

「ああ、あいつなんか大嫌いだよ」

ああ、そうか。お前にとっての世界は、きっと。一度終わっても尚、未だ続いているのかと。死はまるで、冷たい夜に似ている。生きているのは暑い昼で。眠って起きるのは穏やかな朝で。
朝日が伸びる今なら、お前は起きてくれるのかな。泣けたなら、どれだけ幸せだっただろう。呼べたなら、どれだけ続けていられただろう。
それができる人間なのに、奴はそれをしない。ただ優しく、優しくも強く、静雄を抱きしめて。ずっと渇望していた涙にただ、堪えていたのだろう。


world end
(100713)

ワールドエンド様に捧ぐ。



あきゅろす。
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