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微笑んだ彼女




夜、仕事からなかなか帰って来ないセルティを、新羅は待っていた。けれど、そうして深夜になってしまうのも困るものなので、仕方なく彼は先に風呂に入ることにする。数十分後に風呂から上がり、リビングに来てみれば、そこにはセルティがいる。いつ帰って来たのだろうと思いつつも、新羅は穏やかに彼女へおかえりと告げた。だがセルティはソファに座ったまま、こちらに振り返りもしなかった。何かあったのかと思って、セルティのない首を見つめれば、それはなんだかとても困惑に満ちていた。

「どうしたのセルティ、そんな顔して」

心配そうな表情をする新羅に、セルティは顔のない自分に『そんな顔』と言われても、いまいち想像出来ない。
彼女は前に、何度かこんなことを訊ねたことがある。何故私の表情が判るのか、と。すると新羅はいつも当然のことのように、判るよとあっさり告げるのだ。
酷く安心する理解者新羅には、セルティもそれなりに信頼をおいている。この二十年間はそういう色々な何かを、確実に生み出しているのである。だからこそ今回は、何故かと首については訊かなかった。彼女は素直に、今自分が考えていることを彼に話すべく、PDAを取り出し打ち込んだ。

『お前がくれた今日の仕事だが、やはり折原臨也が裏にいたようだ』
「臨也が?だったらなんでわざわざ、そんな裏業者を通して君に仕事を頼むさ。彼はいつだって直々に仕事を頼むのに」

話の内容が臨也だと判れば、何故か新羅は先程までの心配した顔を消し、代わりにいつもの笑顔に戻る。
そうだ、臨也がわざわざ他を通してセルティに仕事を頼むのはとても珍しいことであった。それこそ情報屋の仕事から趣味の範囲まで、彼女を運び屋として雇う臨也は、ある意味セルティにとって常連客の域だと言っても過言ではない。にも関わらず、今日は何処かの裏業者を通して、臨也の仕事を依頼されていた。それがセルティには疑問だったのだ。

『私もそれが判らないんだ…。あいつは本当に読めないからな』

判らないから悩んでいる。つまりはそういうことである。折原臨也とセルティは新羅を通して知り合ったものだが、初めて彼に出会った時、こいつはきっと全てを知っているのだろうと彼女は思っていた。人間にして神の思考に一番近く、それでいて神を信じていないような、最も人間らしく歪んだ臨也が、彼女は知らない内に苦手だったのかもしれない。
そんなセルティを見越して、新羅はふと訊いてみた。

「セルティは臨也が嫌い?」

好きと答える者は、まずいないだろう。だが嫌いと答える者もそういるわけではない質問だった。だからこそセルティはこう答える。

『さっきも言っただろう。読めない人間相手に、好きも嫌いもない』

正しい答えだ。折原臨也に対して、その見解はとても正しい。利用されるだけならば嫌かもしれないが、利用し合うとなると、ここまで使える人間はいない。新羅もまた折原臨也を利用し、利用され、セルティはまだ気付いていないだろうが、彼女も彼を利用し、利用されている。だからこそ新羅はその答えに続けた。彼女と折原臨也の話をするなど、早々に終えてしまいたかったが、何故か続けなければ、伝えなければいけない気がした。

「そうか、確かに臨也は読めない。でも大抵の…そう例えば静雄とかは臨也を嫌う。まさに群盲評象、全てを知らないままに…だ」
『何が言いたい?』

新羅の言葉に、セルティはない首を傾げる。不思議と、今の新羅も読めない気がした。

「つまり、臨也は僕たちの知らないところで知らないことをしていて、それが悪いこととは限らないってわけさ。まあ、十中八九悪いことだろうけど、そういう可能性もあるってこと」

漸く判った彼の話。けれどセルティはそれがどうしても納得できない。手元のPDAに『しかし…』と打つと、それを新羅は、だからと加えて、遮った。

「だから、臨也が裏にいるということだけで、訝しんではいけない」
『新羅、お前はどっちの味方なんだ』

それはまるで臨也と同じ立場に、新羅もまた立っているような発言だった。確かに新羅は裏に足を突っ込んでいるわけだが、臨也のように歪んだ人間ではない分、それだけ表にもいる。岸谷新羅の名がこの街に裏の人間として一般人に出回らないように、そうセルティは思っているのだ。しかしそれが逆に、裏にしか名が通らないようにしているとも取れることを、彼女は気付かないまま。
彼女の問いに、新羅は喜ぶように声を上げた。どっちの味方かなんて、彼には二十年前から決まっているのだから。

「勿論、セルティに決まってるじゃないか!」

その言葉は、セルティの悩んでいたことを全て吸い取っていくような、そんな魔法のような言葉にも思えた。彼女の漸く安堵する様子を、新羅は確認してから両手を左右に開いて、飛切りの笑顔を見せる。そして元気よく声を上げる。彼特有の四字熟語を、こっそり添えて。

「さて、一仕事を終えたところで苦尽甘来だ。明日はついに休日だろう?また僕に料理を作ってよ。今度はちゃんと食べたいんだ!」

前はちゃんと食べられなかったからね、と付け加えればセルティはバツが悪そうに黙り込んだ。前に作ってもらった時は、新羅が微妙な誉め言葉を与えたにも関わらず、セルティが全て消してしまったからである。だからこそ、それから暫くして一度しまったPDAを取り出し『仕方ない…』と打ち込んで了承した。新羅はそれが嬉しくてたまらなくて、更に笑顔ではしゃいで見せる。そんな様子を微笑ましくも見つめながら、セルティは風呂場へ向かおうと立ち上がり、踵を返した。

「セルティ」

すると、ふと名前を呼ばれて彼女は振り返る。微笑している顔は、先程までとは打って変わって、まさに歳相応であった。

「好きだよ」

優しい言葉、優しい人間に出会った。新羅の言葉に何故か恥ずかしいとは感じなかった。セルティは暫くしてから、何も言わずに立ち去ってしまう。それを見つめた後に、新羅は息をつくように、ソファの上に座り込んだ。
卑怯だ、と彼は呟いた。彼には彼女の表情が確かに理解できていたのだ。何故なら、もしもその時セルティに顔があったなら、彼女はきっと笑っていたのだろうから。



微笑んだ彼女
(100315)



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