* * *


 ずるずると矢田を引きずりながら歩く。しかし生徒会室からほど近い階段の踊り場までたどり着くと天野は今まで肩に回していた矢田の腕を離した。

「ここからは自分で歩いてよ」

 途端にずるりと床へ顔面から落ちた矢田に対し、踊り場の壁に背を預けながら言う。すると少し経つと気怠げな動きで矢田がむくりと体を起こし、不満そうに頬を膨らました。橋爪に蹴られた頬に手をやって、まだ痛むその箇所を撫でながら口から出たのは「あーあ」と溜め息に似た声。

「もーちょう痛ぇー。かいちょー手加減無しだぜー?」
「そのおかげで頭覚めたでしょ」
「でも勿体無かったー」

 橋爪の蹴りによって確かに少しの間気を失ったが、天野に肩を貸された時点ですでに意識はあった。が、「黙って」という天野からの耳打ちに大人しくしていたのだ。やや不穏そうな雰囲気を察して。出ていく際には多少後ろ髪を引かれたが。

 床に座り込んだままぐちぐちと文句を垂れる矢田を見ながら、高見の見物をしていた天野を睨む橋爪の顔が脳裏に浮かんでいた。あからさまに不機嫌そうな、おもちゃを取られたかのような表情。中等部の頃を含め数年ほど彼と一緒に生徒会をやってきたが、一度も見たことが無い表情。

 孤高の人。
 昔からずっと、あらゆる生徒や教師からもそう思われて崇拝されてきたのだ。あの男は。天野はそんな彼と元より馬が合わなかった。人間臭さが感じられないのだ。あの端正でお綺麗な顔に威厳や麗しさはあったとして、もっと心の底からの、本能や葛藤に似た人間的な感情が見えたことがなかった。
 天野は自分が生きやすいように人の感情や顔色をうまく伺って生きてきたし、これからもそう生きていく自信はある。しかし橋爪は違う。読めなかった。ただただ不気味で気味が悪い。

「……やっぱり面白いかも」

 しかし驚いたことに、あの副会長が現れてから初めて見る表情ばかりだ。留めておいた筈の感情が、いとも簡単にぽろりと落ちてくる。天野が見たくて仕方なかった、人間臭い一面があっさりと出ているのだ。彼の前では。恐らく無自覚で。

「でもこれと言って、特別誰かと違うところとか無いと思うんだけどなー。容姿だって、性格だって、あんなのそのあたりにいっぱいいると思うんだけど。別に癒し系ってわけでもないし。だったら因幡君の方がかなり癒し系だよねー」
「副かいちょーのこと?」
「そ」

 ぶつぶつ悩んでいる天野に、矢田はうーんと一度唸ってから首を傾げた。

「なんて言うかさー、当たり前過ぎて、逆にイイ? みたいなー?」
「はぁ?」
「おれぇ、馬鹿だからよくわかんねーし、うまく言えねー。けどなんとなくそんな感じしたんだよねー」

 当たり前過ぎる。矢田の言葉を反芻したが、いまいちまだ納得のいかない、どこかすっきりしない。しかし矢田は自分で言った言葉に自分でうんうんと納得している。
 「うーん……」と腕を組んで唸っていると、階下から何やら話し声が聞こえてきた。昇ってくる足音に、天野は壁から背を離して腕を解いた。

「やー! さっきのあいつらの顔見ものだったね! ポカーンと口開けちゃってさ、たちまちタコみたいに顔を真っ赤にしちゃって。十秒前に生意気とか何とか言ってた口からいきなりごめんなさいだよ。すかっとしたね! やっぱりこれだよ、これ! 僕が学園生活に求めてたのは! 変装ってわけじゃないけど、まぁ似たようなもんだしね! ただちょっと展開的にはもう少し後でも良かったかな!」
「へ、変装? て、展開的? ……あ」

 階下から現れた見覚えのある顔に一瞬安心したが、その隣でやけにはしゃいでいる人物を視界に捉えると、天野は直ぐ様可愛らしい笑顔を浮かべた。

「あれ? 因幡君! どうしたのこんな所で?」
「あ、天野、せんぱ」

 い、と続けようとした因幡の台詞は、見たことの無い少年によって掻き消された。

「うわああ! 本物の天野千歳先輩! すっごい可愛いいいいいい! うはやっべ涎が止まらんね! 可愛いは正義!」
「どうもありがとう」

 無駄に高いテンションに内心げんなりとしつつ、相手にするのは面倒とばかりに因幡に体を向けた。

「どうしたの? ここら辺の教室は一年生じゃ使わないよね?」
「あ、えっと、田中先輩に…届けるもの、が……」

 因幡の右手を見ると、そこには使い込んである真っ黒なリュックがあった。左手にある真新しい革の鞄は因幡のものだろうから、田中に届けるのは恐らくそれだろう。

「た、田中先輩の、友達の方が…持って行ってくれって。い、一年、は授業が昼まで、なので」
「副会長なら生徒会室だよー」






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あきゅろす。
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