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* * *


 誰も居ない、若干埃くさい更衣室で自分のロッカーを開けて制服を取りだす。もう時計の針は七時を回っていて、窓の外から見る空はとっぷりと暗く対照的に眩し過ぎる学園内の光で頭がくらりとした。
 がらんと静かな更衣室は物哀しい雰囲気だ。この場所を使っている者は自分ぐらいしか居ない、と思う。武道館はそれこそ選択科目のスポーツ以外使うことはないという。広い更衣室には体育祭で使う道具が置いてあったり、昔の生徒の道着が置いてある。掃除、しなきゃなぁ。

 しん、と静かな空間に自分が着替えている音だけが異様に響く。ちなみについ五分ほど前に加賀美が進藤先生を着替える暇も与えず無理やり引きずって帰ったらしく、帰り際に加賀美に問答無用とばかりに武道館の鍵をべしんと投げられた。毎度のことだから気にしないことにする。
 脱いだ稽古着をハンガーにかけて袴を畳みロッカーに入れる。防具は直射日光が当たらないところにでも置いておこう。
 忘れものは無し。ぐるりと更衣室を見渡し、確認してから灯りを消した。さて更衣室の鍵を閉めようか、としたその時。

 がん、と何かを強く蹴るような音がした。気がする。
 バッと武道館の入り口に目を向けるが誰も居ない。いや、武道館内の灯りが明るすぎるせいで外がよく見えないのもあるが…。
 とにかく武道館をさっさと閉めてしまおう。入口付近の灯りを消すと、先ほどまでの明るさが嘘のように闇に包まれる。入口の扉の上の非常口の緑色の光がぼう、と浮かびあがり、なんとも言えない不気味さで思わず手早く靴を履いた。

 一歩外に出れば、相変わらず夜の暗さを人工的な灯りで無理やり誤魔化すような空間があった。武道館は他の校舎よりもだいぶ離れた場所にあり、校舎へと続く外廊下の灯りを目で辿ると、遠くにある校舎はまるで街のようだった。この場所だけ切り離された別の空間に思える。

 耳を澄ませてみる。しかし聞こえてくるのは風の音と、遠くの灯りの群れから聞こえる生徒の声だ。ああ、まだ明日の準備が終わっていないのか。毎年の事ながら力の入れようが凄い。
 どうやら先ほど聞こえてきた音は気のせいだったらしい。風か何かで物が飛んできて壁にぶつかったのかもしれない。そう考えて武道館の鍵を閉め、リュックを肩に背負ってから鍵をポケットに入れた。職員室まで行かなきゃいけないのが億劫だ。どうせ誰も使わないのだから、明日返しても差し支えは無いと思う。そうだ、そうしよう。帰って飯食って風呂入って寝よう。明日は入学式だ。

 さて、と駐輪場に足を向けた時、再び音が聞こえた。

 がんっ、ガサガサガサ、
「…、…っ!!!」
「…っえな、さっさと……」
「…ぐな……は…っている…」
「……!!!」

 今度は気のせいじゃ、ない。
 何だ、何が起こってる?

 音がする方は今まさに俺が向かおうとしている駐輪場辺り、もしくはその奥の林の方だ。駐輪所なんて滅多に使う生徒が居ないからか、その辺りは灯りが少ない。それなのに数人、恐らく男性の声と、何かを蹴る音、舌打ち、もがいている音…?
 嫌な予感がする。この学園は純然たる男子校だが、愛に性別は関係無いとでも言うように同性愛者がたくさんいる。わかりやすいソースは橋爪とその周り。血気盛んなお年頃で、性欲を持て余すお年頃な同性愛者の巣窟は、言わば性犯罪が度々起きてしまっている。強姦だ輪姦だ、なんていう事件がごくたまに起こってしまうのだ。
 こんな灯りの少ない場所でごそごそ数人で隠れるようやることなんてそれしか考えられないだろ。誰かが襲われているかもしれない。

 教師を呼ぶべきか。いや、その間に襲われちゃ意味が無い。と、とにかく様子を見にいってみなければ。もし合意の上だとしたら俺は単なる空気が読めない存在だ。

 一度唾を飲み込んでからそっと、音を立てないように駐輪場へと向かう。そっと駐輪場を覗いてみると、ぼんやりとした照明の下で照らされているのは俺の自転車と置き捨てられた数台の自転車だけで、他には何もない。だが音は近い。林、か。だがもし合意の上の濡れ場を見てしまったらどうしよう。いや、見た事が無いわけではないがショックは大きい。何度見ても。


「…いや、だ…っ…!!!」


 合意なんかじゃねぇ!

 はっきりと聞こえた拒絶の声にすっと血液が下がっていく感覚と同時に、頭の中が真っ赤になった。
 俺はこの学園の奴らはあまり好かないし、正義感があるわけでも、熱血漢なわけでも、そして自分の腕に自信があるわけでもない。武道なんてただの趣味であって実際に使ったことなんて一度もあるわけがない、平凡でぬくぬくとした生活を送ってきたんだから。それでも、目の前で誰かが襲われているのなら話は別だ。胸がむかむかとしてけったくそ悪い、と思うと同時にどこか頭の片隅で冷静な自分がもし敵わなかったらどうする、とか、教師を呼んできた方が無難、と叫ぶ。
 でももう遅い、俺は駈け出していた。

「おい!! 何やってんだ!!!」





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