GEASS 五線譜の上を歩くように 一人でいることを苦痛と感じたことはない。 そもそも孤独感なんてものは、一人ではない人間の感じるものだ。 俺の母は父の愛人だった。それも何人もいる中の、捨て駒の一人。 それを知ってか知らずか、母は俺を産んだ。 でもそれっきりだ。 俺が生まれてすぐに母は死んだ。顔も声すら覚えていない。 父と正妻との間に子供が生まれなかったため、俺は引き取られ、彼の息子となった。 枢木財閥社長枢木ゲンブの息子、枢木スザク。それが今の俺だ。 とんだ成り上がり。たいした苦労も何もせず、地位も金も手に入れてしまった。 所詮は愛人の子、周囲の大人は俺を軽蔑した。 仕方のないことだと、俺は早々に諦めていた。 家族なんてものは名ばかりで、俺は母に一度も名を呼ばれたことはない。父も仕事が忙しく、半年に一回くらいしか顔を合わせない。会ったとしても、会話なんてほぼ皆無だが。 愛情を知らないまま、世間を斜めから見ている嫌な子供となってしまった俺だが、食料だけは与えられていたため、すくすくと身体だけは成長していった。 「ルルーシュ・ランペルージです。よろしくお願いします」 短い挨拶と共に、少年は黒板の前できれいにお辞儀をした。 俗に言う季節外れの転校生って奴だ。 高1の初夏。五月病も終わり、生徒が学校やクラスに慣れ始め、だんだんと仲の良い者同士でつるみ始めるそんな季節。 俺にとってみれば、ただ肌のべたつきがうっとおしい、衣替えを待つだけの季節だ。 少年ももうちょっと早く来れば、馴染み易かっただろうにと思ったが、杞憂に終わりそうだ。 真っ白い肌に、真っ黒の髪、暑苦しさやむさ苦しさを感じさせない涼やかな目元、男にしておくのは勿体無いくらいの美形だ。 なるほど。さっきから女子がうるさいわけだ。 俺はざわつく教室を無視し、眠りにつくことにした。 窓際の後ろから二番目。絶好のポジションだった。 ピアノの音が聞こえる。滑らかで、優しい音が耳に心地良い。 もう少しこの音に浸かっていたい気もしたが、急に音がずれだした。 なんだこれ。気持ち悪い。音酔いしそうだ。 目を開けて、突っ伏していた上体をゆっくり起き上がらせた。枕にしていた腕が痛い。 「あぁすみません。起こしてしまいましたか」 夕焼けに染まる顔に、見覚えがあった。 「ルルーシュ・ランペルージです。今日転校して来たんですが…もしかしたら寝てらっしゃったかもしれませんね」 彼の後ろの壁にかかっている時計を見ると、下校時刻よりゆうに1時間は過ぎていた。また1日無駄にした。別に構わないけど。 「知ってる」 その時は起きてたと、一応名誉のために短く答えた。 「そうですか」 俺の答えにたいして興味もなさそうに、ルルーシュ・ランペルージは相槌をうった。 帰ろう。いつまでもこんなところにいたって仕方ない。 そう思い、俺が来たままの状態で床に放置してある鞄を持ち上げ立ち上がると、 「どの教室にもピアノが置いてあるんですか?変わった学校ですね」 と彼に話しかけられた。 その時の俺は寝起きのせいか上手く頭が働いておらず、どうしてこんな時間までいるのか?とかそういった類の至極真っ当な質問さえ浮かび上がらず、 「理事長の意向だ」 と常の俺なら一蹴しよう質問に、普通に返していた。 「そうか…あの理事長なら…」 含みを込めた彼の言い方が、少し引っかかった。 「…理事長と、知り合いなのか?」 俺は鞄を肩に担ぎ、ゆっくりと彼に近寄った。 人間に興味を抱いたのは、久しぶりだった。 「俺は、理事長にこの学校に入れてもらったんです」 ニコリと爽やかに彼は微笑んだ。 女子なら一発で堕ちるだろう笑みだが、残念ながら俺にそっちの趣味はない。 「胡散臭いな、お前」 「ヒドイな。初めて会った人間にいきなり胡散臭いだなんて」 その笑い方。大人の笑い方だ。 本心では全くもって違うことを考えているのに、表面に出ているのは張り付いた笑み。 「ピアノ…続き弾かねぇの?」 3歩ほど前まで距離が縮まったピアノを、顎でしゃくる。 彼は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに元に戻した。 「ここまでしか分からないんです」 「習ってたんじゃないのか?」 「いえ。いつもここまでしか弾いてくれなくて…それなのに先を聞くことのないまま、もう会えなくなってしまったんです」 おかげで曲名も知らないんですと困った様に、彼は微笑んだ。 誰が?と喉まで出かかった言葉を、押し戻した。 聞いてはいけないと、頭が警鐘を鳴らしたからだ。 それと同時に、彼に近付いてはいけないとも本能が察知したがもう遅い。 俺と彼との距離は…もう… 「枢木スザク」 そう形の良い唇が呟いたかと思うと、瞬間、自分の唇が彼の唇によって塞がれた。 「…っ…ふぁ」 どちらともなく零れる吐息。 首に回された彼の細い腕。ひんやりとしていて気持ちよかった。 俺はゆっくりと彼の細い腰に手を回し、彼を引き寄せた。 頬を艶やかな黒髪が撫ぜた。 「くちゅ…ふぁ…ぁ」 何度も何度も角度を変え、彼の唇を貪り続けた。 教室には不釣合いな水音が、俺の鼓膜を支配した。 この時が永遠に続けばいいとさえ思った。 だが、ゆっくりと彼が後ろに身を引いたので、俺も腰に回した手を離した。 黒髪の間から覗く、上気した肌と、荒い息遣いが、同い年の男とは思えない色気を醸し出していた。 が、ゆっくりと開かれたその口から発せられた音に、一瞬俺は自分の耳を疑った。 「下手くそ」 地獄の底から響くような低い声。 まさか目の前にいる人物が、このような声を発するとは思ってもいなかったため、たじろいでしまった。 「なっ!!」 「そんなキスじゃおちる女もおちないな」 偉そうに髪をかきあげながら、そう彼は毒付いた。 「それがお前の本性か…澄ました転校生君」 俺は何とか動揺を隠しながら、彼を睨み付けた。 「馬鹿か。そんな簡単に人に本当の自分を晒すほど、俺は愚かではない。人を上っ面でしか見てない証拠だな」 つまりこの毒舌女王様気取りの彼も、本当の彼ではないということだ。恐ろしい奴。 「じゃあ俺がお前の面の皮、全部剥いでやるよ」 「やれるものならやってみろ。ただし、俺の被ってる猫を全て剥ぎ取れるかな?お前に」 挑戦的に睨み上げてくる、少し低い位置にある紫の瞳。 先程までの艶やかさはそこにはなく、まるで何かを試すような、悪戯を楽しむような、そんな輝きがそこにはあった。 「宣戦布告か」 「どうとでも」 第一印象は最悪。 むしろ関わりあうのも、出会うことすら避けたい人物。 だが、逆に、俺が初めて興味を抱いた人間だった。 Title by "F'" [次へ#] [戻る] |