babysitter
6日目
「おまえ、イタリアに行く気ないか?」
今思えばそれが始まりだったのかもしれない。
高校を卒業したら働くつもりだって担任に伝えた数日後、職員室に呼ばれてこう言われた。
物心が付くかどうかという頃にパパを亡くした私は、ママに大事に育ててもらった。いつも遅くまで働いて疲れている姿を見てきただけに、さすがに大学に行かせてなんて言えないから働くって決めていたのだ。
「日本人スタッフを募集しているらしい。若いし、語学も習うより慣れろでやれるんじゃないか?」
日本は不景気だぞ、そんな事を言って脅すからとりあえず履歴書だけは書いて預ける事にした。
最悪レジ打ちでもしながら専門学校に通おうかなとか思っていたから、その後返事がなくても全然気にならなかったんだけど。
「じゃあ、採用するって連絡はこなかったの?」
「後で聞いたら通知は送ったんだって」
私はそれを見てないし、来ててもたぶん読めなかったとは思うんだけど、ダイレクトメールだと思って捨てた可能性が果てしなく強かった。
「知らなかったのにどうしてイタリアに来たの?」
かわいらしいベビーカーの中から私を見上げながらマーモン隊長が尋ねる。
私達は今、最近日課になったお散歩の最中なのだ。
がらがらとベビーカーを引く音がお城から続く森の小道に響き渡る。
「私もすっかり忘れてたから花屋でバイトするつもりだったのに、卒業式の帰りに拉致されたの」
「物騒だね、ニッポンって」
いや、日本がじゃなくて、ヴァリアーが、じゃない?
私は卒業証書を手にしたまま黒づくめの集団に車に詰め込まれ、そのまま空港に連行されてしまったんだから。
もう、あの時の身も凍るような恐ろしさは未だに忘れられない。歯がガタガタして震えが止まらなかった。
「それがパパンの会社だったの?」
会社といえるのか、ここは?組織には違いないだろうけど。すごく治外法権な。
ヴァリアーに引っ立てられて「どうして出社しないのか」的な事を散々言われて、イタリア語の全く中身の解らない書類に無理矢理サインさせられた。たぶん雇用契約書かなんかだ。
イタリア語が全く解らないから日本語の話せる人が来てくれてこう聞かれた。
「今までに何人殺った?」
「ヤった?」
さすがイタリア、色々オープンすぎる。なんて破廉恥な事を聞くんだと赤面していたら、改めて聞かれた。
「殺しの実績は?獲物は何を使う?」
その時の私の混乱具合は言葉で表すなんてとうてい無理だ。意識が飛びそうになったら、ぱーんと平手打ちされて呼び戻された。
かろうじてゼロという単語を震える声で告げた。
今考えたらどうして日本の高校に求人票をバラまいていたのかが滅茶苦茶疑問だよ!
暗殺スキルなんか習わないっつうの!
「…良くわからないけど、採用だったの。でも、ここでは私全く役に立たない人間で…」
帰りたかったけど帰れなかった。
お金もないし、どうやったら帰れるかも分からなくて途方に暮れていたらオムツ係の拝命を受けた訳だ。
「でも良かったじゃない!パパンに会えたんだし」
「う、うん…」
良かったのかどうかは分からないけどね。
森を抜け、しばらくそのまま歩き続けると街に着く。
ヴァリアーの隊員の中には、城でなくここに住んでいる人もいるらしい。
私はいつものコースを巡るべく、マーモン隊長を乗せたベビーカーを引いて歩く。
「まずはココからだね」
バックから出した通帳を機械に飲み込ませると、ジジジジッと機械音がして数字の動きを印字するのだ。
「次はあっち」と指示されるまま、他の銀行にも寄って記帳を繰り返す。
これがマーモン隊長のいうところのお散歩だ。
ねえ、毎日記帳するってどうなの?しかもこの残高ハンパないんですけど。
「あっ、今日は月に一度貸金庫のチェックをする日だった。行員を呼んで、ママン!」
色んな記憶を無くしてるくせにこんな事は忘れてないらしい。
行員さんを呼ぶと、マーモン様ようこそお越し下さいましたと腰を低くしながら偉い人がやって来た。
案の定貸金庫の中は見たこともない様な宝の山で溢れていて、私は目が眩んで足も竦んでしまったけど、
「何言ってるの?パパンの足許にも及ばないよ、こんなの!」
宝石の散りばめられた王冠に頬擦りをしながら上機嫌の隊長が言った。
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