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新戦国
4

一瞬息を止め探れば、それは己に向けられた言葉であると気付いた。そしてそれを発した相手は、紛れもなく今思い浮かべていた、名無しだ。ふと見れば、風に打掛の裾が揺れていた。なるほど、こんな場所でこんな打掛の裾が見えれば、姫君の護衛にきていた彼女なら何事かと思うだろう。

「姿を見せられぬか…今宵は秀吉様の花見の席が設けられている。それを知ってそこにいるのか?それとも…そなた、あやかしの類か?」

どうしたものかと思っていたら、穏やかではない言葉と、鞘から刀身を抜く気配がして、左近は慌てて姿を現した。刀を構えた姿のまま、相手は驚いたように目を丸くしている。男装した姿が月の光に照らされて、どこか妖しい雰囲気を醸し出し、左近は魅入った。

「…し、島殿!」

慌てて刀を収める姿に、左近は思わず苦笑いを浮かべた。

「いや、驚かせるつもりはなかったんですけどね」

笑いながらもそういい、名無しに近寄る。そんな彼に不思議そうな顔をして、彼女が尋ねた。

「いえ、気配に気付くべきでした…でも、なぜ、こんな場所へ?」

そういって、彼女の動きが止まった。左近が肩から掛けていた打掛に目を留め、一瞬の逡巡の後、息を止め顔を白くした。悲しげに歪んだ顔が、左近の心を揺さぶり掴む。

「す、すみません!お邪魔しました!」

踵を返し慌ててその場を立ち去ろうとした名無しの腕を掴んだ。咄嗟だったため強く掴みすぎ、痛みに相手が眉を顰める。

「っと。すみませんね、強く掴みすぎた」

力を弱めて頬の傷跡を軽く掻きながら、情けない顔で名無しの顔を覗き込んだ。それから、逃げられない程度の強さで、もう片方の腕を取り、お互い対面になるよう彼女の向きをかえる。

先ほど見た彼女の顔に浮かんだ今にも泣きそうな顔が、左近の中の躊躇いを全て取り去った。燻り続けていた物が、炎を上げて叫びだす。

「誤解しないでほしいんだが、別に逢引していたわけじゃないですぜ。まぁ…これからするかもしれないが」

とりあえず、名無しがしたであろう誤解は解かねばならない。最後の言葉は自分の願望であるが、叶えてみせる勝算はある。名無しの心が己のそれと同じなら、あとは事をどう運ぶかだが、その辺りの経験なら、彼女より左近は一枚も二枚も上手だろう。

「あの…?」

最後の言葉をわざと小声にしたため、聞き取れなかった名無しが戸惑ったように見上げてきた。その表情があまりに可愛らしく、そして扇情的だったため、彼は思わず苦笑したが、肩に掛けていた打掛で名無しを包んでやると、不思議そうな顔の彼女に、甘いと言われる微笑を送ってやった。その途端、赤くなる頬がまた可愛らしく、左近は名無しの耳元へ唇を寄せた。

「男装のまんまの貴女もそそられますけどね。せっかくの美しい桜だ、着飾った貴女を独り占めってのもいいかと思いましてね」

きょとん、と目を見開く名無しは、きっと夢だと思っているのだろう。そうではないと知らせるため、更に耳に唇を当て、甘い言葉を囁いた。

「一夜でも構わない、貴女の花、俺が咲かさせてもいいですかね?」

もちろん、一夜で終わらせるつもりなど毛頭ない。だが、こんな幻想的な夜だから、何もかも忘れてしまえる、そんな時間になる気がする。

小さく震えた彼女の身体を、左近はそっと抱きしめた。漏れた甘い吐息が耳にかかり、思わず腕に力が入る。そのまま囁くように告げられた言葉に、左近は今まで一度も口にした事のない言葉を、名無しの耳と唇に静かに、甘く吹き込んだ。

――白い月と花園と、そして腕に抱いたその人だけが、その言葉を知っている。


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