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戦国拍手ログ
2008年3月

あらら、珍しく女の子を引っ掛けるのに成功したんだ。

木の葉の陰に隠れるように、木の上から主…雑賀孫市を見ていたが、いつ見ても誰か女性に声をかけているよねぇ、と、ちょっと感心してしまった。

まぁ、せっかくの所お邪魔するのもなんなんだけど、一応こちらも仕事だし。

私はそんなことをぶつぶつと呟きつつ、寝転んでいた枝から起き上がると、下に移動した。目的の相手、孫市は、ゆっくり近づいてきて、ちょうど木の真下にくる。腕に抱いた女を幹にもたれさせ、自分は右腕を幹についてこれから甘い言葉を吐こうとでもしているのか。

…ま、仕事だから許してよね。

何処か言い訳がましくそう心で唱えると、私は足だけで枝からぶら下るように、勢いよく上半身を下方へ回転させた。

「…きゃぁ!」

孫市と談笑していた女が、驚いて声を上げる。とっさに孫市にしがみ付きこちらを怯えたように見た。

「おいおい、なんだってそんな所から出てくるんだよ。普通に出てこれないのか?」

孫市の方はというと、全く驚いた様子も見せず、女の肩を抱いてニヤニヤと笑っている。私がここにいることを知った上での行動だと察するが、気付かなかったことにした。

「雑賀の忍は神出鬼没。それは主もご存知のはず」

逆さのままですました顔でそう告げれば、相手は苦笑して女に何やら囁きかける。女は名残惜しそうに彼から離れてその場を立ち去った。

「お楽しみ中申し訳なかったですね」

「という割には全く申し訳なさそうじゃないな、その顔」

「私はいつもこんな顔です」

よっ、と一声かけながら木から下りると彼の前に跪く。溜め息混じりに苦笑すると、孫市は幹に背を預けて腕を組みながらこちらを見た。

「こんな場所で跪くなんて止めてくれ」

「雑賀の忍なれば、それはできません」

「まったく…お前、本当に強情だなぁ」

孫市は呆れたようにそういうと、すっと座り込んで私の顔を覗き込んだ。笑いを堪えていた私は、ぎょっとして思わず息を飲む。

「で?」

「あ…」

促されるように一言聞かれたので、私は思い出したように近隣諸国の情勢を伝えようとした。だが。

「違う違う」

そういうと、相手はさらにぐぐっと近寄って、耳元で囁くように言った。

「いいかげん、俺に君の名前を聞かせてくれてもいいだろう?」

擽ったいやら恥ずかしいやらで思わず仰け反りそうになるが、ぐっと堪えてすました顔を維持することに努める。

「それは以前お教えしたはず」

「仮の名前なんてどうでもいい、本当の名前を聞いてるんだ」

さらに食い下がる相手に、私は答えた。

「孫市様もご承知のはずです。雑賀の忍は例え主であっても本当の名は明かさぬもの。それで今までも通ってきたのですから」

「じゃあ本当の名はなんの為にあるんだ?」

私の言葉に被せるようにそう言うと、孫市は乗り出していた身体を戻し、木の根元に座った。片膝を立ててこちらを半眼で見る姿が、いつもと違ってほんの少し威圧的である。

「それは…」

私は少し考えてから、彼の質問に答えた。

「親兄弟や身内なんかの、極近しい者と話す時だけですね…」

「じゃあ、結婚する前の許婚なんかはどうするんだ?」

興味深そうにそう聞いてくる相手を見て苦笑するが、別に自分の名を明かすわけでもないので説明を続ける。

「結婚する前は、お互い仮名(かりな)で呼び合います」

「じゃあ本名はいつ言うんだよ?」

「それは…夫婦の契りを交わす直前ですね」

「なるほど」

孫市は片方の口端を軽く上げ、一つ頷いた。

「ってことは、俺とお前が夫婦になればいいってことか」

「…まぁ、そうなりますが」

なんだかとんでもない発言ではあるが、上の者が下の者に言うだけなら、別に支障はないだろう。第一、私と彼とでは身分の差がありすぎる。あり得ない話だと思った。現にその後はいつも通り、近隣諸国の情勢を伝え、再び任を与えられるというお決まりの展開だった。

*******

「見通しが甘かったか…」

次の春が来る頃。過去にそんな遣り取りをしたなぁ、と思いだし、私は思わず口走った。斜め上から吹き出すような笑い声が聞こえ、そちらを見て上目遣いで睨む。

「策士と言ってほしいもんだな」

睨む私ににやりと笑うと、孫市はそう言った。

「まんまと嵌められたってことですね」

「嵌めたんじゃない、運命だったのさ」

そういって笑う彼の姿は、いつもの戦に赴く出で立ちではなく、きちんとした正装だ。そういう私も、いわゆる花嫁装束というやつで。

「貴方の横でこんな格好になるなんて」

「似合ってるぞ…綺麗だ」

「…信じられない」

お世辞だと分かっていても、どうしても頬が染まるのを止められない。

「さて、お前の本名を知る、他人の男としては初めてになる栄誉をそろそろ頂いても?」

悔しいから、襟元をぐいっと引き寄せて言ってやった。

「夫婦の契りの時までお預けです」

それを聞いた彼が嬉しそうに笑った顔は、多分他人の女としては、初めて見るであろう笑顔だったんだと思う。


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あきゅろす。
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