戦国拍手ログ
2007年バレンタイン
――会う人会う人に一つずつ、思いを込めて渡していくんです。
籠一杯に甘い菓子を詰め込んで笑った名無しさんの顔を、三成は思い出していた。ふと、回廊の向こう側を見れば、その名無しさんが秀吉とねね夫妻を捕まえている場面に出くわした。
「秀吉様、いつもお世話になってます」
ニコニコ笑うその顔に、夫婦もつられて笑みを浮かべる。
「別に大したことはしとらんて」
「そんなこと。いつも良くして頂いてますから、ほんの、気持ちだけ」
子のない二人は、部下を子供のように可愛がっていた。もう子供ではないのだから、と思ってしまうのだが、三成自身もその心遣いには密かに感謝している。主のそんな心遣いに、名無しさんも感謝しているのだ、たまにはああやって礼を言いたいのだろう。
「おねね様にも、どうぞ」
見ていると、ねねにまで菓子を手渡していた。
「えぇ?アタシも貰っていいの?」
「はい!おねね様にもいつもお世話になっているので。女性にはちょっと可愛いのを贈ってるんですよ」
「あら、ホント」
嬉しそうに手の中の菓子を見つめるねねに、秀吉もそれを見た。
「お、たしかに違うなぁ。ワシのより手が込んでないか?」
「そんなことありませんよ」
笑いながら言う彼女に、ねねが礼を言う。そんな三人を見ていたら、三成の視界に、更に三人が入ってきた。無論、名無しさんはその三人にも菓子を渡す。
「島様、兵法のご講義、いつもありがとうございます」
「なんの、こちらも楽しませてもらってますからねぇ」
…そう言えば、左近にはいつも兵法を教わっていると楽しげに話していたか。
「前田様、いつでもいいのでまたお稽古つけて下さいね!」
「おぉ、望むところだぜ」
…そう言えば、慶次と手合わせしては怪我していたが、最近はそうでもなくなっていた。
「雑賀様、お暇な時にまた火縄を教えて下さいね」
「女性の頼み事ならなんだって最優先するぜ?」
…そう言えば、火縄の扱いは孫市に教えてもらっているんだと、嬉しそうに言っていた。
ふと考えれば、名無しさんはそうやっていろんな人間から色んな物を吸収しているのだと思った。他の者も、明るく熱心な彼女には目を掛けているようだ。
――己は名無しさんに、何かしてやっているだろうか…。
そんなことを考えていると、名無しさんが皆から別れ、足早にこちらへ向っているのが見えた。そして。
「三成様!」
「なんだ?」
呼び止められ、三成は振り返る。彼女の手には、小箱が乗せられている。
「そう言えば、皆に配り歩いているようだな」
三成が何気なくそう言うと、名無しさんが照れたように笑った。
「えぇ、せっかくこんな日ですから。いつもお世話になっているお礼を言いたくて」
「俺は別に何も世話などしていない」
そっけなくそういうと、名無しさんが眼を見開いて驚いたような顔をした。
「そんなこと!」
そして、小さな手に包まれた、綺麗な箱を差し出す。
「三成様は、いつも私を見ていて下さってます。さりげなく、拙い私をいつも手助けして下さってるいでしょう?」
島様も、前田様も、雑賀様も。
「皆さん、たくさんの事を教えて下さいますが、三成様は、いつも私を見守って、私を包んで下さってます。どの方とも貴方は違います、私にとって大事な方です」
ふわり、そう彼女は言って笑みを浮かべる。
――花の様な笑顔に、心の奥が疼きだす。
菓子より甘いその想いに、三成も笑みを浮かべた。
「…返礼は、何を返せばいい」
「お返しなんて、いりませんよ」
そう言うと、頬を染めたまま名無しさんは駆けて行った。
…返礼は受け取って貰わねば困るな。何しろ、こんな感情を芽生えさせてくれたのだから。
三成はそう呟くと、手の中の小箱にそっと口付けを落とした。
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