KYO拍手ログ
2006年7月
こんなことなら。
ゆやは軒先からそっと空を仰いだ。雨粒を引っ切り無しに落としてくるそれは、どんよりと厚い雲に覆われている。
…こんなことならちゃんと傘を持ってくればよかったわ…。
今日もあの我が侭な鬼と朝から派手に口論し、今はその彼の為に購入した酒の徳利を抱えていた。口論で頭に血が上っていたゆやは、既に泣き出しそうな空に気付かずに宿を飛び出してしまったのだ。
ちょっと濡れちゃったから、寒いな。
そう独りごちると、徳利を胸に抱えなおした。雨足が弱くなる事は見込めそうもなく、どうしたものかと考える。
そういえば、アイツはまた遊郭に行っちゃったかな。
ふと、朝の口論を思い出した。酒がないから遊郭へ行く、などと言い出した狂に対し、いつものようにお金の心配をしろ、などと言い返した自分。
――本当は、そんな所に行って欲しくないって言いたかったクセに。
徳利を抱えていた腕に、知らずと力が篭る。寒いのは濡れたせいだけじゃないと、そう認めてしまうと心が折れそうで。思わず唇を噛み締めていたことにゆやは苦笑を漏らした。
…どうせもう濡れてしまっているんだから。
暫くの逡巡の後、ゆやは決心したように雨宿りしていた軒先から飛び出した。だがその直後、黒いモノにぶつかって視界を遮られる。
「…ひゃぁ!!」
ぶつかった拍子に倒れそうになる身体を、伸びてきた腕につかまれてそのまま先程ぶつかった壁に押し当てられた。温かい温度と規則正しい鼓動がゆやの身体に染み渡る。
「ったく、ご主人様の手を煩わす事にかけては一流だな」
その声に背中に回された腕の優しさは欠片もないが、とても柔らかな声色だった。
「あ…ご、ごめん」
今の状況を把握して、とたんにゆやは顔を赤くした。黒い壁は狂の胸であり、抱き締められている状態なのだ。
「…せっかく色街に行こうと思ってたがな。しかたない、戻るぞ」
だが、そんな一言に、ゆやの気分は急降下する。
「そんな…そんなに言うなら遊郭にでもどこにでも行けばいいじゃない」
いつもの食って掛かるような言い方ではなく、俯いて顔を上げない彼女に対し、狂は一つ溜息を漏らした。
「俺様の為にお前が用意してくれた酒の方がいいっていってんだよ」
「…えっ?」
思いがけない言葉にゆやが顔を上げると、紅い瞳がこちらを見下ろしていた。
「…帰るぞ」
そう告げると、ゆやの肩を抱いて狂はきた道を戻る。
「あ、あの、狂?」
「あぁ、俺様を迎えにこさせた礼は、床でしっかりいただくからな」
「なっ…この、エロ魔人がぁぁぁぁ〜!!!」
その日のゆやは、結局部屋から一歩も出られなかった。雨が降っているから、という理由だけではない事は、誰もが承知しているいつものこと。
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