旧戦国
1
空に浮かぶ丸い大きな月と、池の水面に浮かぶ、小さな月。
名無しは一人縁側に腰掛け、二つの月を楽しんでいた。傍らに置いた盆の上にはお茶と団子が乗っている。
「一人で月見ですか?名無し」
暫し夜風に当たりながら白く輝く月を楽しんでいた名無しの背後から、彼女を呼ぶ声がした。振り返ればそこには、美しい顔の一人の青年が、笑みを浮かべ立っていた。彼は織田信長に仕える、森蘭丸だ。
「あらら、めずらしいわね、蘭丸。どうしたの、こんな時間にこんなところにいるなんて」
「名無しこそ、どうしてこんな時間にこんな所にいるんですか?」
そういうと、蘭丸は名無しの横に腰を下ろす。月の光を浴びた彼は、女の名無しが溜息を吐きたくなるほど綺麗だった。
「あなたってホントに、女の私が気後れする位にキレイよねぇ」
「何言ってるんですか」
少しムッとしたように蘭丸は言うと、空を見上げる。彼は綺麗だと言われる事を、あまり好まないらしい。だが、それ以外に言葉が見つからないのだから、仕方がないと名無しは思う。
「褒めてるのに」
そう苦笑すると、名無しは池の月を見た。夜風に細波が立つ水面に揺れるそれを見て、彼女はふと笑った。
「どうしたんですか?」
「いや、小さかった頃を思い出して」
「名無しの子供の頃の話ですか?」
「うん」
名無しはクスクス笑うと話し始めた。
「ほら、この頃の月って凄く綺麗じゃない?だから私、この時期になると決まって『あのお月様が欲しい』って駄々をこねていたらくって。困った大人達は、この時期になると私に夜空を見せまいとしていたらしいのよ」
「…それは可愛い話ですね」
「ふふふっ…今から思えば馬鹿な子供だったなぁ、って思うんだけど、当時はどうしてお月様は手に入らないのか分からなかったなぁ」
「あれだけ綺麗なら欲しくもなりますよ」
「…そうねぇ」
呟くようにそういうと、名無しは空を見上げた。蘭丸は暫くその横顔を見つめていたが、ふと名無しに言った。
「今でも、欲しいんですか?」
「えっ?」
「今でも月が欲しいって顔、してますよ」
「えっ?そ、そんなことないわよ。それにそんなの無理だもの」
薄く頬を染め、少しばかり寂しそうに笑った名無しは、蘭丸から眼を逸らすと横にあった茶に手を伸ばす。
蘭丸には、小さな頃の名無しの、寂しそうな姿が重なって見えた。
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