旧戦国 幸村と雪と どんより曇った冬の朝、鍛錬のために外に出ようとしていた幸村は、ふと窓から見えた人物に目を留めた。 「名無し殿ではないか、何をしている?」 その人は何やら真剣な顔で天を見ている。 「あ、幸村様!おはようございます」 名無しと呼ばれたその人は、いつもの笑顔で幸村に挨拶した。 「あぁ、おはよう。で、こんな寒空の下、そんな薄着で何をしているのだ?」 よく見れば指先や頬が寒さで赤くなっている。随分長いことそこにいるのだろう。 「…雪を…雪を待ってるんです」 そう言うと、名無しは再び空に目をやった。 「雪?たしかに降りそうではあるが…」 幸村も窓から空を見る。この気候ならもう間もなく降るであろう。 「だが、何も降り始めるまで待っていなくても良いのではないか?」 雪が降り出すまでは温かい屋内にいればいいだろうし、それまでに厚着することだってできるだろうに、そう幸村は思ったのだが、名無しは首を振った。 「それじゃ間に合わないんです…最初の一片を捕まえなきゃ…」 そう言うと、名無しはまた空を見上げた。 「理由を聞かせてはもらえぬか?」 彼女のあまりに真剣な顔が気になって、雪村が問う。 「…その年最初の雪の、一番初めの一片が消えるまでに願い事すると、願が叶うそうなんです」 そう答え、彼女はほんのり顔を染めて天を見上げた。それは巷の女性に広まっている他愛ないまじないの一種だ。だが、信じている者は真剣なのだろう。幸村はそんな名無しに愛らしさを感じ、思わず笑みを漏らした。 「信じていない人が見たらやっぱり可笑しいですよね?でも…これでも私、結構真剣なんですよ?」 雪村の笑みを誤解した名無しは、苦笑しつつそう言った。 「そういう意味で笑ったわけではないのだが…誤解を与えたのならすまぬ。私も叶えたい願いがあるのだが、そちらへ行ってもかまわぬか?」 「もちろん!」 幸村の申し出に嬉しそうに笑った名無しは再び空に目をやった。少しして、人の気配に気づいた彼女が振り返ろうとした瞬間。 「名無し殿…そんな薄着では風邪を引く」 幸村の言葉と共に、肩に何かを掛けられた。見ると彼の上着である。 「…!?だ、ダメです、幸村様が風邪を引きます!」 「構わない、私は大丈夫だ」 慌てて返そうとしたが、幸村はなかなか受け取らない。困ったわ…と悩む名無しに、ある案が浮かぶ。悪戯っぽく笑う彼女を、幸村は不審気に見た。 「なら、こうするしかないですね?」 「えっ?…うわぁっ!?」 そう告げた名無しは、なんと彼に抱きついたのだった。慌てる幸村を見て、彼女はクスクス笑う。 「名無し殿!?」 「だって幸村様に風邪を引かれたら私が叱られてしまいますもの」 「しっ、しかし!」 「こうすれば二人とも暖かいでしょう?それに…」 「それに?」 「あ、いえ…あの、幸村様、あまり照れないで下さい。なんだか私も恥ずかしいですし。もし…お嫌でしたら上着はお返しします」 自分のを取りに行けばすむ話ですもんね、そう言って名無しは彼から離れようとした。だが、強い腕に引き止められ、再び彼の胸の中に戻される。 「…嫌ではない。たしかに、そなたは暖かい」 見上げると、照れてそっぽを向きながら、それでもしっかり抱きしめてくれている幸村の姿があった。思いがけない出来事に、名無しは耳まで赤く染めて俯いてしまう。 「…あっ!」 「どうした?」 突然上がった声に幸村も驚く。 「雪が…」 見ると、彼の腕に一片の雪が舞い降りていた。だが体温のせいか、すぐ消えてしまう。お互い願いをいう暇もなかった。 「…また来年がある」 「…そうですね」 「次もまた共に見よう」 「…!」 予想もしない返事に名無しが幸村の顔を見ると、愛しげな眼差しで彼女を見ている彼に出会った。名無しは微笑を浮かべると、再び彼の胸に顔を埋める。彼はそっと腕に力を込めると、空を仰いだ。 ―─次も、その次も…こうして二人でいられるように―─ 二人の思いを乗せた雪は、白く、白く世界を染めていった。 [*前へ][次へ#] |