旧戦国
2
「…それ、ちょっとお借りできますか?」
徐に立ち上がった蘭丸は、名無しの横にあった盆を指差す。
「…これ?いいけど…」
名無しは蘭丸が指差した黒塗りの盆を彼に渡した。すると彼は躊躇いもなく目の前の池に入る。池は蘭丸の膝ぐらいまでの水深ではあったが、名無しは驚いた。
「ちょ。ちょっと蘭丸!何してんの!?止めなさい!」
名無しの制止する声も無視し、月の光を反射している水面を蘭丸は盆でそっとすくうと、再び池から上がって名無しの前に跪く。
「本物には程遠いですが、小さかった頃の貴女に」
そういって差し出された盆の中に、小さいけれど真ん丸な、銀細工のような月があった。彼の手に載せられた盆の中の闇で、静かに浮かんで揺れている。
「…っ!」
無言で目を見開く名無しに、蘭丸は言葉を続けた。
「これが今の私にできる精一杯です。今のこの一瞬だけですが、これは名無しだけの月だ。小さい頃と今の名無し、両方へ…受け取ってもらえませんか」
静かにそう言うと、蘭丸はそっと名無しの膝に盆を置いた。暫く無言でそれを見つめていた名無しは、震える指でそっと水面に触れる。
銀の月は指の先の波紋に揺れ、キラキラと水の中で光を放った。
「やはり、お気に召しませんか…」
「ううん。そんなことない。とても嬉しい。ありがとう」
そう言って微笑む名無しの笑顔は、柔らかな月明かりの下、誰よりも綺麗だと蘭丸は息を飲んだ。
「本当に嬉しい。例え一晩でも、私にこんなステキな月をくれた人は蘭丸が初めてよ」
盆の縁を指でなぞりながら愛しげに見つめる名無しに、蘭丸は言った。
「名無しがよければ、また来年も、その先も、一緒に月を見ませんか?」
「えっ!?」
驚いたように名無しは顔を上げる。軽く水面が跳ね、光が舞った。
「これからも、貴女に月を贈ります。小さかった頃、叶えられなかった分も込めて。その代わり、名無しのその笑顔を、私に下さい」
驚いて暫く何も言えなかった名無しは、ふっと息を漏らすと、ふわりと微笑んだ。
「ありがとう、蘭丸。貴方みたいな大人がいたら、小さい私も泣かずにすんだのにね」
「その分これからは、私が貴女を笑わせますよ」
そういうと、蘭丸は彼女の手の中の月を見た。名無しも小さな盆の空を見る。
――額を寄せ合うように見つめてくる二人に、小さな月は水面で楽しそうに揺れて見せた。
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