旧戦国
慶次と雪と
寒空の下、名無しは祈るような顔で空を見上げていた。吐く息が白く広がり、彼女の指先は寒さで赤くなっている。
「名無し、何をしてるんだい?」
その姿を不思議に思った慶次が、声をかけた。
「…待ってるんです」
名無しは彼を見ずに答えた。
「何をだい?」
慶次は彼女に歩み寄りながら、重ねて尋ねる。
「…雪」
近くにやってきた慶次をチラッと見たが、名無しはすぐに空に視線を移した。
「雪、ねぇ」
彼女の横に立ち、慶次も空を見上げる。たしかにこの様子なら初雪が降ってもおかしくないだろう。
「何か理由でもあるのかい?」
「笑われるのでいいません」
「笑わないさ」
あまりに真剣な顔でいるので、気になった慶次が再び聞いた。最初に返ってきたのはつれない答えだったが、慶次は引き下がることなく言葉を重ねる。すると、観念したのか、名無しが口を開いた。
「…その年最初の雪の、一番初めの一片を見ながら願い事すると、願が叶うそうなんです」
そう言うと彼女はほんのり顔を染めて天を見上げる。それは巷の女性に流行っているまじないのようなものだ。男の自分には解らないが、彼女達は真剣なのだろう。慶次はそんな名無しの愛らしさに笑みを漏らした。
「…やっぱり笑った」
だが、慶次の笑みを誤解した名無しは、怒ったようにふいっ、と背を向けてしまう。
「そうじゃないさ。寒いのを我慢してまで叶えたい願いとはどんなものかと思ってな」
「人に言ったら叶わなくなるじゃないですか」
背中を向け空を見つめながら名無しは言った。さっきよりも顔が赤いのは、寒さのせいだけではないようだ。
「そんなもんかねぇ…それよりお前さん、そんな薄着じゃ風邪引くぞ?」
慶次はそう言うと、自分の上着を彼女に掛けてやった。
「…!?だ、ダメです、慶次様が風邪を引きます!」
だが自分を包む暖かさの正体に気付くと、名無しは初めて慶次をちゃんと見て、上着を返そうとした。
「構わない、俺は大丈夫だ」
慶次は何度もそう言うが、名無しもなかなか引き下がらない。困ったねぇ、と彼は苦笑したが、ふと思い付いたような顔をした。
「なら、これならいいだろ?」
そう名無しに告げると、再び彼女の肩に上着を掛け。
「えっ…ひゃぁっ!?」
慶次は彼女を軽々と抱き上げた。
「あの!それなら自分のを取ってきますから!だから降ろして!」
事態を飲み込んだ名無しは、真っ赤な顔でジタバタと抵抗する。
「おいおい、そんな暴れたら落っこちるぜ?それにそんなヒマはなさそうだ」
慶次は空を見て言った。確かに、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。
「こうしていれば二人とも寒くない。それに、俺も一つ叶えたい願いがあるんでね」
「えっ?慶次様にも?」
「そんな意外そうな顔しなさんなって」
「信じられない!何ですか?」
さっき自分の言ったことも忘れ、名無しは慶次に尋ねた。
「人に言ったらダメになるんだろ?まぁ、多分名無しと同じだろうがな」
悪戯っぽく笑う慶次のその言葉を聞いて、名無しは耳まで赤く染めて俯いてしまう。そんな彼女に目を細め、彼は再び空を仰いだ。
「…お、降ってきたぜ」
「えっ…あっ、本当!」
二人の頭上にヒラリ、ヒラリと一片の雪が舞い降りる。名無しが手を伸ばすと、フワリと掌に乗り、たちまち消えてしまった。
「…願い事、言えたかい?」
「…はい」
「叶うといいな」
「…はい!」
そう答えて微笑み、自分の腕の中で無邪気に雪に手を伸ばす彼女を、慶次は愛おしそうに見つめた。
―─俺の願いはただ一つ、名無しと共に…こうして二人で共に過ごすことだけだ─―
慶次は抱き上げる腕に少し力を込めると、天を見る。雪は二人を包むように、ただしんしんと降り続けた。
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