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旧戦国
慶次と短冊と

廊下の角の向こう側からパタパタと足音が聞こえる。慶次はそれを聞いて笑みを浮かべた。

――足音までも愛おしいとは、これまた俺も酔狂なもんだ。

そしてわざと歩調を緩め、音の主に合わせるように歩いた。

「……っ!!」

とんっ、と胸に衝撃が走る。慶次は予想していたのでそれほどでもなかったが、相手はそうではなかったらしい。

「っつ!…痛いじゃないか、気をつけろ!!」

鼻を押さえながらそう文句を言ってきた。

「おいおい、名無し。廊下を走ってたお前さんがそれを言うか?」

慶次は足音の主――名無しに向かって苦笑した。

名無しは黙って座っていれば多くの異性に言い寄られるであろうが、顔に似合わずその細腕に武器を携えて慶次と共に戦場を駆けていた。普段の言葉も淑やかさに欠けるものだったために、大抵の男は名無しを同性と同じように扱っていた。

だが、慶次は名無しのその姿に惚れた。戦況を的確に読みそれに柔軟に対応できる強さ、時折見せる女性らしい柔らかな微笑み、そしてなによりその瞳に宿る光が好きだったのだ。

「なんだ、慶次か」

「なんだとはご挨拶だな、名無し。ところでなんでそんなに慌ててるんだい?」

慶次は名無しの手に握られていた物を見た。それは美しい色合いの一枚の短冊だった。

「あぁ、今日は七夕だったか」

「別に慌てているわけじゃない。短冊に願い事を書いたから、どうせならいい場所に吊るしたいだろ?慶次も書いてきたらどうだ?」

名無しは指で短冊を挟んでヒラヒラさせながら楽しそうに笑った。

「へぇ。なんて書いたんだい?」

いつになく楽しそうな名無しを見て、慶次はそう尋ねた。と、名無しの頬がほんのりと染まる。

「べっ…別に慶次には関係ないだろう」

ぷいっ、とそっぽを向いてしまった名無しを見て、慶次は可笑しそうに笑った。

――本当に、名無しは幾つの顔を持っているのか。

くるくると変わるその表情を、慶次は見るのが楽しかった。そしてその全てを独占したくなる。一つ手に入れればまた一つ欲しくなる、これでは小さな子供と変わらないが、それが正直な自分の気持ちだった。

「晴れるかな?」

ふと名無しが言葉を漏らす。目線の先の空は薄く曇っていた。

「…晴れるさ」

慶次も同じように空を見て答える。

「慶次がいうと本当に晴れそうだ。せっかくの日だし、空の二人には会って欲しいからなぁ」

名無しはにっこり笑うと慶次を見た。

「俺は一年に一回なんて到底耐えられないねぇ」

「はぁ?」

「…名無しに逢えるのが一年にたった一回だなんて言われたら、きっとそいつを殴り倒してるって言ったのさ」

悪戯っぽく笑って名無しを見ると、頬を朱に染め眼を大きく見開いていた。

「なっ…何バカなこと言ってんだ!慶次に付き合ってる時間はない、もう行くからな!!」

そういうと名無しは再びパタパタと走り出す。

「おい、気をつけなよ!じゃないとまた誰かにぶち当たるぜ?」

「大丈夫だ!それより慶次も短冊貰ってこいよ」

名無しは振り返って慶次にそう告げると、そのまま走っていってしまった。

――やれやれ、逃げられちまったか。

慶次は名無しの背中を見送ると、戯れに短冊を書くのも風情があってよいかと名無しの来た方へ向かった。短冊を一枚貰い、そしてふっと浮かんだ事を書く。なんとなく自分らしくない気もしたが、年に一度のこの日には相応しい気がしたのでそのまま書き込み、そしてそれを持って笹のある場所に向かった。

笹は慶次の予想よりはるかに多くの短冊を見に纏い、少し重そうに頭を垂れていた。どこにつけようかと悩む慶次の目に、一枚の短冊が飛び込んでくる。それには見覚えのある名無しの字が綺麗に並んでいた。それを見て、慶次は驚きの表情を浮かべ、そして実に楽しそうに笑う。

――こりゃ、まいったねぇ。彦星さんに織姫さんよ、アンタら粋なことしてくれるじゃないか。

その短冊と自分の短冊を並べてつけ、慶次は空を見上げた。雲の隙間から太陽が顔を出している。

――さて、名無しを捕まえに行くかね。

慶次は一人そう呟くとゆっくりと戻っていた。笹に吊るされた二枚の短冊は、同じ想いを乗せ、さらさらと揺れていた。

――これからも、二人が同じ時を共に過ごせるように…――


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あきゅろす。
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