旧戦国
孫市と短冊と
名無しは筆を置くと、ふぅ、っと息を吐いた。そして今書いていた物を手に取る。それは一枚の短冊だった。柔らかな色合いの短冊には、
『いつも無事に帰ってきますように』
と書かれている。
──例え子供だましだと言われようと、願うぐらいはいいわよね。
名無しは相手の名の抜けたその一文をそっと指でなぞった。
「おいおい、それはないだろう?」
その時、突然頭上から声がした。驚いた名無しが振り返る。
「孫市!」
そこには雑賀の若頭領・孫市の姿があった。
「もう、勝手に入ってこないでよ!」
そう怒鳴る名無しを気にも止めず、孫市は彼女が手にしている短冊を見ていた。
「そういや今日は七夕だったな」
名無しは孫市の視線の先が自分の書いた短冊であることに気付き、慌てて隠した。
「か、勝手に見ないでよ!」
「あぁ、悪い。あんまり真剣な顔をしてたんで気になったのさ。だが…」
「…あっ!!」
孫市は名無しの手から、するりと短冊を抜き取った。
「これならわざわざ夜空に願わなくとも、名無しという勝利の女神がいれば簡単に叶うだろ?」
そして孫市は名無しにそう囁く。
「…べ、別に!孫市の事じゃないもん!」
名無しは反論するが、真っ赤な顔では図星だったと言っているようなものだ。あまりの可愛さに孫市は堪え切れず笑い出した。
「もう、何よ!」
二人でじゃれ合うようにやり合った後、孫市はふと思い出したように机に向かった。そしておもむろに筆をとる。
「…ちょっ、孫市!?」
何をするのかと見ていた名無しは、せっかく書いた短冊の文字が、黒い線で消されるのを唖然として見ていた。そんな名無しを余所に、彼はその横にさらさらと何かを綴る。
「…これでよし。名無し、どうせ吊すならこれがいい」
そう言って短冊を名無しに渡し、孫市は何時もの独特な笑みを浮かべた。そこに書かれた言葉に更に赤くなった彼女を見て、孫市は笑いながら優しく名無しを抱きしめた。
──願わくば、この命果つるまで共にあらんことを──
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