旧戦国
1
名無しは空を見上げて溜息を一つ吐いた。
「…おいおい名無し、朝っぱらから暗いねぇ。雨ぐらいでそんな溜息吐きなさんなって」
背後からそう言われ、名無しは振り返る。そこには金の鬣に派手な羽織姿の男がいた。傾奇者で有名な、前田慶次その人である。
「だって…」
名無しは慶次の言い分が気に入らず、口を尖らせた。
「だって、せっかく慶次様がいるのに、これじゃ遠乗りも稽古も出来ないんですもの」
そう言うと、名無しはまた恨めしそうに雨空を見た。そんな姿を見て、慶次は苦笑する。
…せっかく慶次様と有意義に過ごせると思ったのに!
名無しがそう思うのも無理はない。自他共に認める戦人は、そうそうこの地に来ることはないのだ。だからたまにここにきて、こうやって何もない時間ができることなど滅多にない。この機会を逃しては、次はいつ会えるのか…名無しは暫く空を睨んだ後、また深々と溜息を吐いた。
「なぁ、名無し。ちょっとこっちにきてくれや」
ふと見ると、慶次が座って何やら手で床を叩いている。
「なんですか?」
名無しは立ち上がって彼の横に行き、叩かれていた辺りに座った。と…慶次がゴロリ、と横になる。彼の頭の下には、ちょうど名無しの膝があった。
「えっ、ちょっ、慶次様!?」
名無しは自分の膝に乗せられた重みを見て、思わず立ち上がろうとする。すかさず慶次が名無しの腰に手を回した。
「この状態で立たれたら、いくら俺でもコブが出来ちまうねぇ」
慶次は名無しが立ち上がれないように腰を押さえたまま、膝の上から彼女を見上げてニヤリと笑った。
「け、慶次様…」
立つに立てず、彼の腕から逃れることも叶わず、名無しは赤い顔で困ったように慶次を見下ろす。
「たまにはな、名無しとこうやって過ごしたかったからな。この雨は俺にとっちゃまさに恵みの雨だ」
悪戯っ子のような顔でそう言うと、慶次はゆっくりと瞳を閉じた。そんな無防備な彼に、名無しは驚いた。
「ここで寝ては風邪をひきますよ」
と彼に言っても、
「大丈夫だ」
と、動く気配すらない。名無しはまだ幾分顔を赤く染めたまま、暫く慶次を見つめていた。
…なんか、すごく不思議な気分。あの虎とも獅子とも形容される人が、自分の膝に頭を預けているなんて…
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