旧KYO
恋の始まりは(ゆや←サスケ)
穏やかな昼下がり、サスケは同行していたゆやに頼み事があって彼女の部屋を訪ねた。
「ゆやねぇちゃん、ちょっとい…」
開いていた障子の隙間から顔だけを覗かせたが、中の様子を見て思わず言葉を引っ込めた。彼女はたしかに部屋にいた。日の入る明るい場所に座り、手には針と着物を持っている。ただ一つ、目が…新緑を思わせる瞳が、閉じられているのだ。こくり、こくりと頭を動かしている姿からも、相手がうたた寝をしていることは容易に分かる。
――そりゃそだよな、毎晩アイツらに付き合ってる上に、雑用もこなしてるんだし――
疲れているのだろう、用はまたにするか…、と部屋から離れようとしたが、やはり針を持ったままということが気になった。女性の部屋に無断で入ることは躊躇われたが、ゆやが怪我するかもしれないのに見て見ぬ振りはできない。少し迷ったが、結局部屋に静かに滑り込んだ。
途中でゆやが起きるのではないかと思ったが、どうやら熟睡の域に入っているようだ。サスケはゆやの手からそっと針を抜き取り片付けると、手近な着物を肩に掛けてやった。ほっと息を一つ吐き、自分が息を詰めていた事に気づく。
――ナニ緊張してんだよ、オレ――
何故か居心地の悪さを感じる。顔が熱かった。
もう部屋を出ようと立ち上がった。出る前にもう一度だけゆやを見る。針もちゃんと片付けたし大丈夫、そう思い、視線を彼女から外そうとしたができなかった。今まで針に気を取られて気が付かなかったが、陽の光を浴びた彼女はとても穏やかで綺麗だった。髪はいっそう光り輝き、いつもは翡翠の瞳を縁取っている睫の曲線も、ちゃんと見たのは今日が初めてだ。気付けば近くで見たくて屈んでいた。
――睫、長いんだな――
無意識に手が伸び、指が届くかと思った瞬間、事は起こった。
思考が正常に回復したサスケは、自分がゆやの下敷きになっていること認識した。見る間に顔が赤くなる。何故こうなったのか――そう、睫に触れようとした時に、ゆやの体がグラリと揺れ――サスケの上に覆い被さるように倒れこんだのだ。突然の出来事に対処のしようがなく、サスケは気付けば彼女に押し倒されたような格好になっていたのだ。
――っ、おい!ねぇちゃん、熟睡はいいけど今は起きてくれ〜!いや、でもこの状態で起きるのは止めてくれ!――
パニックで混乱したサスケの耳に、くすっ、という笑い声が聞こえた。
サスケは出入り口に顔を向ける。
「みぃちゃった!サスケってば色男!いいなぁ」
そこには実に楽しそうな顔をした彼の主、真田幸村がいたのだ。
「おっ…おい、何ニヤニヤ見てるんだよ!」
思わず大声を出しそうになって、ゆやが至近距離で寝ていることを思い出し、サスケは小声で幸村に言った。
「いや〜、サスケも男になったなぁって嬉しいんだよ」
「バカヤロウ、何ワケ分かんないこと言ってんだよ!!それより早くなんとかしてくれよ!」
「分かったから、そんなに怒らないでよ〜。ゆやさん起きちゃうよ?」
真っ赤なサスケを見て、幸村は苦笑した。これ以上やるとあとが怖いからなぁ、と呟きながら、幸村は部屋に入る。
「で、ゆやさんを移動させればいいんだね?」
「あぁ、そっとだぞ」
「はいはい」
どちらが主か分からない会話をしながら、幸村はゆやをそっと抱き上げた。解放されたサスケは、やれやれ、といった感じで起き上がる。
「ホント、よく寝てるな〜」
ゆやを抱き上げたまま、幸村は感心するように言った。
「そりゃそうだろ。毎晩お前らに付き合わされた上に昼間も働いてるんだぜ」
サスケは幸村を睨みつけ言った。
「もうっ、サスケってば怖いんだから〜」
「ふざけてないで、さっさとねぇちゃん下ろしやがれ!」
「え〜っ、ヤだ。せっかくだし、ゆやさんをボクの部屋に運んでいって、そこでゆっくり休んでもらおうかな〜」
いつもの悪ふざけなのか本気なのかわからない笑顔で、幸村はとんでもないことを言い出した。
「おい、幸村!?何言い出すんだよ!!」
ゆやがまだ眠っていたのを忘れ、サスケはつい大声を上げてしまう。それがきっかけで、ゆやが目を覚ました。
「…んっ…」
「お目覚めかな?お姫様」
腕の中の気配を感じ、幸村はゆやに言った。
「…っ!?なっ…なんでー!?」
起き抜けに間近で幸村の顔を見て、真っ赤になって叫ぶゆや。
「だからねぇちゃんを早く下ろせっつてんだろ!!」
サスケはきつく幸村を睨みつけた。本人は気付いていないようだが、わずかに殺気も放っている。
「分かったってば、そんなに怒らないでよ〜」
幸村は苦笑しながらそういうと、ゆやを下ろした。
「大丈夫か?ゆやねぇちゃん」
「あっ、う、うん。ちょっとびっくりしただけよ」
心配そうに問うサスケに、ゆやは笑顔で返した。
「ならいいけど…あ、幸村は何にもしてねーから心配ないぜ」
ゆやの笑顔を見て胸を撫で下ろしたサスケだったが、
「でもサスケはゆやさんにやられちゃったもんね」
という幸村の一言で、また顔が火照ってくるのを感じた。
「おい、幸村!余計なことは言うなよ!!」
「えぇっ、ホントですか!?私、サスケ君に何かした?」
驚いて眼を見開き、ゆやはサスケに慌てて訊く。
「なんでもないよ!」
「ホントに?だってサスケ君顔赤いよ?もしかして…私、変なことした?」
詰め寄るゆやを押し返すようにサスケは言った。
「本当に、ねぇちゃんが気にするような事はなんにもないって!」
本当は何かあったのはサスケの様子から明白だったが、彼があまりにも頑なな為、ゆやもそれ以上は追求しなかった。
「そう?…ならいいんだけど…」
「それよりねぇちゃん、針持ったまま寝るのは止めときなよ」
「あ、私そういえば繕い物してたんだ!じゃあサスケ君が片付けてくれたの?ありがとう!」
「いいって」
ゆやの感謝の笑みに、サスケは照れてそっぽを向いてしまった。側で見ていた幸村は、サスケのこんな少年らしい表情は久しぶりだ、と楽しそうに眼を細める。それもゆやの成せる技なのだと、傍に居る少女に心の中で密かに礼を言った。
「…さて、ゆやさんもまだやることあるだろうし、邪魔しないように退散するね」
「邪魔だなんて!」
「いいや、幸村は絶対邪魔するから今のうちに追い出しといた方がいい」
「うわぁ、サスケったら酷いなぁ!」
そんなやりとりのあと、三人は顔を見合わせ笑った。
「ふふふ…あー、笑いすぎておなか痛くなっちゃうよ!そうなる前に行くね」
「そうだな。ねぇちゃん、なんかあったら言ってくれよ」
そういうと、二人は連れ立って部屋を出て行った。後ろ姿が親子みたいだ、とゆやはそっと微笑み、また日常の雑務へ戻っていった。
「おい、幸村」
「ん〜?」
「お前、ねぇちゃんに余計なこと言うなよ」
「それってサスケがゆやさんの睫に触ろうとしたこと?それともゆやさんが倒れる瞬間にサスケのおでこにチューしちゃったこと?」
「てめぇ、どっから見てたんだよ!」
一瞬で耳まで赤くなり、額を隠しながら怒るサスケに、幸村は
「大丈夫!誰にも言わないからさ〜」
と言いながら逃げてしまった。
「あっ、オイ!待ちやがれっ!」
幸村を追ってサスケも走り出す。額に残る熱に、風が心地よかった。
少年が心に灯った火に気付くのは、もう少し後のお話。
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