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制裁を待つ青き獣(ナカタロ+α)

曇天を写した海は鉛色の化け物だった。磯の匂いがべたべたと膚に纏わり付いて不快感を煽る。今にも降り出しそうだというのに、天候に不釣り合いな明るい色のサーフボードを抱えてそいつは何が楽しいのかずっとふらふら鉛にたゆたっている。見ていて面白くもないが視線を逸らせば忽ち不愉快になることが分かっているのでじっとそれを見ている。先刻よりからころと騒ぎ立てる音が邪魔して思考に沈むことも儘ならない。
「成程確かに手前にとったら何の思い入れも無いのかも痴れん。ただの過去、捨て去るべき郷愁。自然淘汰、大いに結構」
からん、とまた一つ下駄を鳴らす。隣に立つ男の大袈裟な身振りで派手な色のマフラーが翻りぱたぱたとそれすらも音を立てた。目障りなくらい鮮やかな学帽を叩きたくなる。
「けどな小生、そんなん単なるエゴやで。手前も自分やったら分かるやろ、エゴの正当性を叫んでええんはシアワセな人間サマだけや」
左側にちらつく自分に瓜二つなその顔を、極力見ないようにする。不快感で押し潰されそうになるから。ただ肩に掛けた相棒がこの潮風にやられないかを危惧している。

波を待っているのだ、と言った。
きっと冷たいだろうに慣れてしまっているのか、鳥肌ひとつ立てず奴は鉛の中で漂っている。ひゅうと追い風に乗って白い鳥が横切った。
鳥――否。
目の前で旋回したそれは。
(紙、飛行機)
どくりと心臓が撥ねる。まさか、と振り返る。今度こそ心臓が止まるかと思った。
「ナカジくん、早くしないと電車遅れちゃうよ」
声色までそっくりだった。だが二つ結びにされた彼女の髪は黒でなく明るいブラウンで、その呼びかけも俺にではなく隣の男に向けられたものだった。
応、と答えて男は彼女の方へ歩いて行く。去り際にまたな、と手を振った。
「また、は無い」
「いいや。またすぐ会うことになる」
そっちの彼女にもよろしくな、と云って最後に俺と殆ど変わらない顔でにやりと笑う。
「彼女?タローは男だぞ」
訊き返すものの聞こえていないのか、奴はしかしもう振り返らなかった。

「えーっなにーっ、ナカジ呼んだーっ?」
再び鉛の化け物に目をやれば自分の名前に敏感に反応したのかサーファー小僧が大声で呼びかけてくる。何でもない、と返すがその時ふと気付いたことに目を曳かれ自然と尻窄みになった。
「何ー聞こえないー!ってあ、ちょっと待ってやばい来る来る!」
突如慌てた様子でサーフボードを取り直し上に乗る。波が来たのか、と分かる間もなく俺の視線は奴に釘付けになっていた。鉛の海を御するように一直線に横切っていく太陽の色。
(ああそうか、何かに似てると思ったら)
何のことはない、先程の女の明るい髪色は今海を翔けている奴のそれにひどくよく似ていたのだった。

満足したのだろう、満面の笑みを浮かべてやがて奴は岸に上がって来る。気が済んだなら帰るぞと踵を返すと待ってよナカジーとぱたぱた駆けてきた。ひどいよ置いてくなよ。此処まで付き合った丈でも感謝しろ。あれっさっきの人は?帰ったんだろ。そっかー残念。何がだ。呑気な延長線上の会話。だがそれも悪くない気がしてしまう辺り、あの男が云っていたのはこういう意味なのかと思う。そういうことに、しておきたい。
「あれ、ナカジそのこ、」
「……?何だ」
何を思ったか俺の左上を見つめて不意に立ち止まる。思わず振り返るが当然誰もいない。
「……いや、やっぱりなんでもない」
行こう、と手を曳かれつられて走る。俺の下駄はあの男みたいに軽やかには鳴らなかった。









制裁を待つ青き獣
(後方で空気が揺れた気がした)

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