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「小娘め…!おかしなことすんじゃねーつったろうが…!!」
ヤクザは抑え切れぬ怒りに顔を醜く歪めていた。こうなれば顔を見られた藍楽を始末するしかなく 乱暴に刃物を振り上げる男。藍楽は苦しくありませんように、と走馬灯が駆け巡る中そんなことを考え強く目を瞑ったのだった。
しかし痛みが来るよりも早く身体が後ろへ引っ張られる。 突然の出来事に藍楽が目を見開くと 目の前には腕を途中まで振り下ろしたまま口を半開きにしている男がいた。何事かと不審に思い 自分を見る。
「…………は?」
彼女がそこで見たものは 手品のような自分の姿だった。なんと身体が半分扉の中にめり込んでいたのだ。そのまま扉の向こうから何かがグイグイと彼女を引っ張り――藍楽はあっという間に扉の中へ引き込まれてしまう。
ここで彼女が一番不思議に思ったことは、扉の向こうが自宅ではなく真っ暗な世界だったこと。振り向けば自宅の扉はなく、男も追ってくる様子はない。ひとまず逃げ切ったことに安堵した藍楽だったが、今度は時間の流れの分からぬ空間に取り込まれ 自分すらも見えない暗闇の中で自分という存在を見失ってしまいそうであった。
皮肉なことにそれをさせなかったのは先程怪我をした顔の焼けるような痛みだったのだが 何処が地面かも分からない暗闇で彼女はへたりこんでしまう。疲れた身体を横たえると浮遊感に包みまれ 藍楽はゆりかごの中にいるような錯覚をおこした。藍楽の顔を伝っていた血が固まってきたのを感じながらゆっくりと意識を闇と同化させて行く。
眠りと覚醒の間。
藍楽は自分が起きているのか寝ているのか分からない状態で漆黒の中をたゆたう。与えられた時間はたっぷりあり、暗闇という檻に入れられた自分の身に 立て続けに起きた不思議な出来事を回想していた。するとそんな彼女の目を唐突に一条の光が突き刺す。
「う…眩し…」
思わず目を細める藍楽。そうしてポンッと音がしたかと思うと紫色の煙に包まれて彼女は何処かへ放り出されてしまった。まさか放り出されるとは想像していなかった藍楽は着地に失敗し 見事なまでに地面へ突っ伏した。
「いた!」
彼女は情けない声を上げつつ 突然明るい場所に出たことに首を傾げる。しかし 不意にあのヤクザらしき男がいるのでは、と言う考えが頭を過ぎり ワタワタと慌てふためき始めた。
「うわ…さ、さっきのヤクザがいたらどうしよう…!」
「ヤクザ…?まぁ…イタリアのヤクザならここにいるけど」
「え、えと…やっぱりここはお金でお引き取りを……って、今の声 誰…?」
パニックに陥っていた藍楽だったが 例の男のものではない声に気が付き動作を止めた。すると声の主は煙の向こうで小さな箱のようなものを持ち 尻餅をついている彼女を見下ろしているではないか。非常に整った顔立ちで瞳には橙色の炎、この人はきっとモテモテなのだろうなと思いつつ藍楽が見上げていると、橙色は人好きのするにこやかな笑みを浮かべて手を差し出した。
「お手をどうぞ」
「え?あ…はい…」
ヤクザだと名乗ったのは彼なのか非常に気になるところだったが 彼の動作は非常に優雅でそんな風には見えない。笑みが少々不自然な感じもしたが、洗練されている紳士的な彼の行動を見てついつい信用してしまう藍楽。彼の手をとり立ち上がると制服についた埃を払い お礼を言おうと彼の方を見――だが、それよりも早く突然何かが彼女のふくよかな胸を鷲掴みにしていた。
「ふーん…匣にしては人間っぽいんだな」
「…!!?…っ…ぎゃぁぁぁ――!!!」
「で!?」
彼女の胸を揉んでいる何か――それは目の前にいる彼の右手。藍楽は紳士だと思っていた彼の行為に一瞬絶句し、それから我に帰ると 耐え切れないと言った風に絶叫した。未だ胸の上に手を置いている橙色へ 乙女の鉄拳がお見舞いされたのだった。
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