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恋雨
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私の大学は私の自宅の最寄り駅から4駅目にある。時間にすると25分くらいである。

「どう望、進んだ?資格の勉強。」

学校のカフェテリアで友人の祗倉木時音(しぐらぎ ときね)がアイスミルクティーを飲みながら私の広げているテキストを覗き込んだ。

「小テストではようやく高得点とれるようになったよ。」

「そっかー凄いじゃん。入った頃は全くわからないってよく言ってたもんねー。」

「そうだねー何か懐かしい。」

あのスケジュールの調整以来、藤橋先生には会っていない。たまたま組んだスケジュールが項をそうしたのか、授業の担当が菊名先生と宝先生が互いに半分ずつを占めるような割合になっていた。授業以外でも休憩スペースなどでも見なくなった。

「あ、美菜からメールだ。」

「塾一緒の子だっけ?」

「うん。」

私が美菜にメールしていると、4人掛けの席に1人座ってくる人影が見えた。

「ああ、勝(しょう)じゃん。お疲れー。」

時音の発言に私は顔を上げた。空いている席に座って来たのは、クラスメートの鷹森勝(たかもり しょう)であった。私と時音、この勝はだいたい選択している授業が一緒なのである。それは3年生の今でも一緒であった。

「よう。勉強してたのか。課題?」

「私は課題。望は資格塾の勉強やってたの。」

「そっかーみんな大変だな。」

2人の会話に入らず、私はただスマートフォンを握りしめて美菜からの返信を待っていた。
そんな私の姿を見た勝が一瞬寂しそうな顔をしていたことに、私は気付いていなかった。


その授業の後に私は塾へ向かった。休憩スペースにある自動販売機のあたりで座っていた美菜と合流して教室に入った。

「今日プレテストでしょ?望勉強してきた?」

「学校にいる間ずっとテキストめくってたんだけど大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。一緒に合格しよう。」

「うん。頑張ろう!!」

プレテストとは小テストと違い、本番により近い形で作られているものだ。

そのプレテストの監督は久しぶりに見た藤橋先生だった。相変わらずの格好良さだった。そして相変わらずの優しい笑顔だった。

よくよく考えて見れば、こんな素敵な人に彼女がいない訳がないのだ。
そう思いながらも認めたくない自分がいた。

「じゃあみんな初めてのプレテストってことでいいんだよね?今から問題と解答用紙配るから、合図するまで問題は開かないでね。」

先生は一人一人の机に問題と解答用紙を配っていく。そして合図で一斉に問題用紙をめくった。


勉強の成果が出たのだろう、そんなに難しい問題は無かった。これも一生懸命教えてくれた美菜と藤橋先生のお陰なのだ。

「では、結果は明後日発表します。この他にプレテストはあと2回あるので、今回合格点にいっても気を抜かないように。」

テストが終わった後、美菜と帰りの片付けをしていたら、藤橋先生が話しかけてきた。

「久しぶり。2人共、今日のテストはどうだった?できたか?」

美菜は「多分」と言っていたが、私は先生とその彼女と思しき女性の姿を思い出して、声が出なかった。あれから今日までずっと会っていなかった。動揺が隠せない。

「久留米は?」

「…ええ、まぁ…。」

ようやく出た言葉はその一言だった。私はその場から逃げるように「失礼します」と言って去っていった。後ろから美菜が「待ってよー」と言っているのも気にせず、私は塾を出た。


凄く大人げない対応だった。ようやく追い付いた美菜が「どうしたの?」と言う。私は何も言えなかった。認めたくなかった。美菜だけではなく学校の友人にも言えない。藤橋先生を好きになったことなんて。

「望…藤橋先生と何かあったの?」

「いや…何も。ごめん、具合悪いっぽいから帰るわ。」

「そう…お疲れ。」

「お疲れ。またね…。」

私は夜道を歩いて家まで帰った。帰り道、何度か涙がこぼれそうになった。美菜に言いたくても言えないことに対する申し訳ない気持ちと、先生と彼女のことが頭をぐるぐるとかき回した。

「何一人で勝手にやきもち妬いて怒ってるんだろう。もう意味わからない…。私、自分でどうしたいんだろう。私、自分でどうなりたいんだろう。」

綺麗な星の瞬く夜空の下、私は涙を浮かべながら家路を急いだ。


翌日も学校帰りに塾があった。この日美菜は、学校の用事で塾に行けないとのことでメールが来た。昨日のことを謝ろうと思っていたので少し残念だった。
塾に入ると、喉が渇いたので休憩スペースに直行した。すると…

「おお、久留米。今日も授業か?毎日お疲れ様。」

そこには藤橋先生が座っていた。そしてその隣には…

「あなたが久留米さん?こんにちは。」

先生の彼女と思しきあの女性がいた。

「…どうも。」

私はジュースを買うのを諦め、スペースの外へ出ようとしたところを「まあ、待てって」と先生に呼び止められた。

「まだ授業始まらないだろ?ゆっくり休んでいけよ。」

「そうよ。私も色々久留米さんと話したいな。」

先生の誘いに私は断れず、とりあえず椅子に座った。

「久留米って大学、修英連だよな?」

「…はい。」

「そうなの?私の後輩になるんだ〜。何か嬉しいな〜。」

女性が私の手をとって喜んだ。「はぁ…」としか言えない自分がいた。

「ねぇ、船倉先生ってまだいらっしゃる?」

「はい。私のゼミの先生です。」

「え!嘘!私も船倉ゼミだったの!うわぁー一緒一緒!」

私は正直この彼女のテンションにうんざりしていた。不幸なことに大学が一緒で、ゼミまで一緒だったとは…。

「紗恵の後輩か。良かったな、大学の話ができる子がいて。」

さ…え。先生が女性を呼び捨てで呼んでいた。胸に針が刺さったような痛みがした。

「そういえば紗恵、まだ久留米に自己紹介してねぇだろ。」

「ああ本当だ。嬉しくて忘れてた。私、羽山紗恵(はやま さえ)です。光…あ、藤橋の彼女です。」

心のガラスが割れ、破片が飛び散ったような感覚を覚えた。これ以上聞くに堪えられない話だった。心が壊れてしまいそうだ。

「紗恵の家は羽山グループって言う大手さんなんだよ。この塾も少し資金援助してもらっている。」

「そうそう。パパが光のこととっても気に入ってるからねー。」

「お前、塾では下の名前で呼ぶなよ。」

「えーいいじゃん。」

二人が私そっちのけで話をしている。もうこんな環境にいたくなかった。私は黙って立ち上がった。

「用件は以上ですか?自習したいんで失礼します。」

「ああ、呼び止めてごめん。ありがとう。」

「久留米さん、またお話しましょう。」

一礼だけしてその場を離れた。涙がこぼれそうになった。


その翌日は前に行ったプレテストの合格発表だった。今回合格、不合格ともに何も無いとは思うが、噂では不合格の人は間違い箇所を100回練習すると言うものがあるらしい。何としても合格しなければならなかった。

「今日プレテストの合格発表なんでしょ?」

学校にて時音と授業を受ける教室で話していた。時音が御菓子を差し出しながら質問してきた。

「そうなんだよ…緊張するな…。」

私は溜め息をついた。プレテストの合否も気になるが、またあの紗恵がいるかもしれないという不安もあった。そもそも塾の生徒ではない紗恵は何をしに来ているのだろう。それが疑問だった。出来ることなら本人に聞いてみたいくらいだ。でも、私にはそんな勇気はない。

「望…前から勝と話してたんだけどね…最近元気ないけど悩みとかある?」

「え…元気ないように見えた?ごめんね、心配かけちゃって。大丈夫だよ!!」

「本当のこと言っていいよ…大丈夫、誰にも言わないし、相談にも乗る。だから…望、無理しないで。」

時音の必死な態度に、私は心を打たれる。涙が流れそうになった。

「時音…実は…。」

休み時間、私は時音にすべてのことを話した。認めたくない藤橋先生への気持ち、そして先生の彼女のこと。すべて話した。時音は一つ一つ頷きながら親身になって聞いてくれた。

「そっかー。それは辛いね。」

「…うん。何で彼女が度々塾に来るかもわからないし。いくら彼女持ちだって、そんな頻繁に恋人連れてくるものなの?」

「まぁまぁ落ち着いて。」

その時、勝が私達を見つけてこちらへ向かって来た。

「あ、勝おはよう。」

「おう。」

勝は何か言いたそうな顔でじっと私を見た。

「…何?」

勝は私よりも背が高い。恐らく170pくらいあるだろう彼は立ったまま、座っている私を見下ろしていた。とても威圧感がある。

「お前、あの塾通い始めてから元気ないけど大丈夫なのか?誰か嫌な奴でもいるなら言えよ、俺がぶっとばしてやるなら。」

「勝…。」

「お前には笑顔が似合うんだよ!!だから笑ってないとダメなんだよ!!…あぁもう俺何言ってるんだよ。」

私が思わぬ勝の言葉に呆然としている隣で時音はにこにこしていた。

「だから…その…付き合え!!いや…付き合って下さい!!」

あまりに勝が大きな声で叫んだため、他の生徒が皆こちらを見ていた。これは公開プロポーズなるものではないか?

しかし答えは決まっていた。勝は背も高いし、顔もいい。女子から人気があることも知っている。優しいさそ、気も利く。まるで少女漫画に出てくるような人だ。だけど私は、確実な幸せより、叶わない確率の高い、少し触れれば崩れてしまいそうな恋を優先したいと思っていた。

「ごめん…勝。」

すると勝はにこっと笑った。

「知ってた。」

「へ?」

「知ってたよ。他に好きな人がいることくらい。でも、この気持ちは言わないと、俺が後悔すると思ったから言ったんだ。」

「勝…。」

「頑張れよ。たとえ断られても俺はずっとお前の友達でいることには変わらないからな。」

「ありがとう…勝。」



その日の夜、プレテストの合格発表が行われた。玄関で美菜と待ち合わせをし、二人で指定されている教室に入った。美菜とは藤橋先生の前から逃げた日以来だ。
私は軽い挨拶の後、美菜に頭を下げた。そして逃げた経緯を時音に言ったようにすべて話した。

「あの日は本当にごめん。」

「いや、いいよ。最初は驚いたけど全然気にしてないし。」

美菜は「それより…」と話を続けた。

「望、今日のプレテストの結果、気になるよね。」

「ああ…そうだよ。ダメだったら、100回書き取りだよ…無理。」

「大丈夫だよ。信じよう。」

合格発表はいつも授業が行われる教室で、ホワイトボードに自分たちの会員番号が書かれた紙が貼り出されることになっている。

発表の時間になると大きなロール紙を持って先生が入って来た。担当は藤橋先生だった。

「じゃあ今からこの前のプレテストの結果を貼り出すからな。」

私の番号は502だ。貼り出された紙を見て私は呆然とした。いくら探しても502はない。しかも合格していないのは私だけだ。

「望…?大丈夫?」

「…100回書き取り…。」

「え!?」

「うわぁぁぁぁぁー。」

私は叫びながら机に頭を思いっきりぶつけた。

「ってことで、不合格の人は噂ではなく本当に100回書き取りがあるので、このまま残って下さい。合格した人は今日は授業はないので、自習するなり帰宅するなり自由です。」

この先生の発言を聞いて、私以外の生徒はぞろぞろと教室を出て行った。必然的に広い教室には私と藤橋先生が残される形となった。

「久留米惜しかったなーあと2点だったんだよ。」

そう言いながら、点数の書いてある成績表を私に渡した。確かに、合格点−2点で、点数の横に不合格と書かれた黒くて四角い判子が押してあった。

「はぁ…。」

「じゃあ約束通り、間違った単語の書き取りだな。でも夜も遅いし帰れなくなるといけないから、半分の50回でいいよ。」

私はルーズリーフに黙々と単語を練習し始めた。

練習の間、藤橋先生はずっと教室にいた。特に何を話した訳でもない。ただ、ずっといなくてもいいのにとは思っていた。

「先生…。」

沈黙に耐えきれなくなった私は、先生に話しかけた。

「何だ?」

「いつまで教室にいるんですか?早く帰らないと彼女さん心配しますよ。」

「あいつ、仕事の研修旅行でいないんだ。そもそも一緒に住んでないから大丈夫。」

「そうですか…。」

私は黙って50回書き取りに戻った。すると今度は先生の方が口を開いた。

「そういえば、最近あんまり話しかけてこなくなったよな。菊名先生や宝先生には相談してるようだけど…。俺、教え方悪かった?」

私が藤橋先生に相談しなくなった理由は、距離を置くためであった。まして彼女がいることがわかれば尚更だ。そして2人きりでいると緊張してしまって、肝心の勉強に集中できないことも挙げられる。
けれど、そんなことを先生に直接言えるはずがなかった。

「いや…そんなことないです。たまたまだと思います。私が行く時に先生が休みだったり、他の授業が入っていたり…ってことが多いので。」

「そっか…。」

再び互いに無言になった。そして暫くしてまた先生が口を開いた。

「あともう一つ聞きたいんだけどいいか?」

「はい。」

「何で俺が紗恵といる時、挨拶返してくれなかったり、不機嫌そうに部屋から出て行くんだ?もしや紗恵がここに来ることに問題があるのか?」

何てひどいことを聞く人なのだろうと思った。

「…二人の時間を邪魔しないためです。ただ、紗恵さんがここに来る意味は理解し兼ねます。いくら先生の彼女だからってほぼ毎日職場に来るものでしょうか?」

先生は「そうだよな…」と一言言ったきり、黙ってしまった。
そうこうしている間に私は50回の練習を終えていた。

「先生、終わりました。」

「終わったか、帰っていいぞ。暗いから気を付けろよ。」

「さよなら。」

私は荷物を持って教室を出た。帰り道、先生と久しぶりに会話ができて嬉しい気持ちと、結局紗恵関連の話しか出来なかったという悔しい気持ちがあった。



時は流れた。いよいよ明日のプレテストで合格できれば、私はこの塾を晴れて出ることができる。あの50回書き取りの日以降、幾度か先生の姿は見たが、授業を担当してもらうことは無かった。そして、紗恵も来ていない。

「いよいよ明日で最後だね…頑張ろうね。」

美菜は少し寂しそうに言った。

「そうだね、頑張ろう!お互い合格したらどこかで食事でもしようよ!」

「うん!メールはこれからもするね!」


翌日、プレテストは休日の昼間に行われた。少し早めに家を出て、今までの塾の通学路をゆっくり歩いていく。この道を通って塾まで行き、家まで帰った。笑顔で通ることもあれば、泣きながら通ったこともあった。この道を通るのは今日で最後かもしれない。
思い出を振り返りながら塾へと向かった。

プレテストの監督は藤橋先生では無かった。今日は休日なのだろう。今日でひょっとしたら先生に会えるのは最後だったかもしれないのに。少し残念であった。

プレテストの結果は、即日発表される。不合格なら、後日またプレテストを受けねばならない。それだけは避けたかった。

プレテストは上手くいった。苦手だったところも出題されたが、美菜や藤橋先生のおかげで克服していた。2人にはとても感謝したい。

そして結果は合格。無事に塾を出ることができた。
お世話になった先生や受付嬢の方に御礼を言って、私は認定証を持って塾を後にしたのであった。


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あきゅろす。
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