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あの日に戻ってもう一度お前を殺してやりたい(無関心緑→赤)
【自殺未遂/完遂より鬱】








 なあ、この生っ白い腕のぬるい温もり、泣けてくるくらい離したくないのがそんなに悪いことなのかよ。


「グリーン」
「……だ、嫌だ」
「……」
「……絶対、離してやんねえ……」
「……ぼくは」
「知るかよ!! 俺のエゴだよ、全部!!」
 お前に死んでほしくないんじゃない、俺がお前に死なれるのが嫌なんだよ。だって、今、今この腕、俺が掴んでるんだぜ、両腕で握ってるんだ、体温あるんだぜ? なあ、だから……
「お前は、生きてんだよ……今生きてんだろ……」
 やべ、泣くと力抜ける、危ない落としちまう。
「……シャワーズ、フーディンのボール開けろ」
「グリーン、」
「ふざけんなよ、そんな……人間がそんな、映画みたいに綺麗に死ねるわけないだろ、生きてんだぜ……」
「離して!」
「嫌だっつってんだろ!!」
 俺の怒鳴り声に、気の弱いシャワーズが驚いて飛び跳ねた感じがした。ああ、悪い。急いでくれよ。
「……グリーン、離して、はなしてよ……もう、ぼく」
 これ以上ないってくらい握る手に力を込めると、レッドは黙った。いたい、と蚊の鳴くような声で呟かれた気がした。爪が食い込んで皮膚が裂けて、血がレッドの上着の袖の白い部分に落ち始めた。
 ボールが開く無機質な音がした。
「フーディン、サイコキネシスでこいつ浮かせろ」
「…………グリーン」
 ふっと重みが引いた。レッドの身体が浮き上がって、顔のすぐ近くを通った。近くで見るとますます死にそうな顔色だ、いっそ笑えてくるな。
 死にそう? いや、死んでんのかな、中身は。
 ……脳内で言葉にすんじゃなかった。やっと、滝の轟音が聞こえ始めた。


「ありがとな、フーディン」
 戦闘じゃなくても冷静に技を使える奴でよかった。
 レッドの身体が、岩の上にそっと下ろされた。へたりこんだかと思ったら、そのまま全身の力が抜けたように仰向けに倒れた。
「……レッド?」
 顔を覗きこんでも、レッドは俺を見ていなかった。いつもは何も言わなくても表情が冷めていても、その真っ赤な瞳を向けてきたのに、もうそれは俺もなにも、世界のなにも、映してはいなかった。
「レッド……レッド!」
 いくら叫んでも、こいつの耳に届かずに滝にかき消されているようにしか思えなかった。
 まさか、念力波が強すぎて脳に妙な影響出たとかじゃないだろうな。
「レッド……」
「……グリーンは」
 世界から一歩分浮いたような声だった。
「ぼくが、好きなんだね」
 俺にはそれがどうやっても“愛してるんじゃないんだね”としか、聞こえなかった。








「グリーン、そろそろ八時半になるけど」
「ああ……もうそんな? 行くか……」
「あ、お弁当」
「サンキュ」
 姉ちゃんは毎朝、大きめの弁当箱と小さなタッパーを包んで俺に渡してくれる。栄養バランスは若干適当だけど、毎朝ちゃんと作ってくれるだけでありがたいもんだ。
「もう入れちゃったんだけど、レッドくん、キウイ食べられる?」
「果物は大体食うし大丈夫だろ。……つか、最近はもう、あんま好きじゃないもんも拒否しなくなってるし」
「……そっか。……行ってらっしゃい」
 そして俺は毎朝、ジムの前にレッドの家に行く。


 インターホンを鳴らすと、いつも通りレッドのお袋さんが出た。ひょろっと痩せた、病弱そうな人。うちの姉ちゃんも太っちゃいないが、なんていうかこう、この人は儚い感じがする。目と髪の色がレッドと同じだ。
「おはようございます」
「おはよう……毎日ごめんね、レッド、お願いね」
「はい、お邪魔します」


 二階に上がって扉を開けると、ちょうど正面にいたニドクインが俺を見て嬉しそうに目を細めた。俺も笑って返す。
 半分だけ開けられたカーテンの隙間から、ベッドに陽が差していた。壁に背中を預けてその上に座るレッドは寝巻きのまま、腕の中にピカチュウを抱いて、放り出した脚にバタフリーをとまらせていた。いつもの光景だ、毎朝同じ。
 大柄で家の中で出しっぱなしで生活するには不都合のある残りの三匹のうち、フシギバナとリザードンはぜひ研究所にとじいさんが引き取った。ギャラドスは、俺が私用の手持ちにした。今もボールに入ってポケットの中だ。
「レッド」
 バタフリーの赤い目がこちらに向いた。人間の方は動かない。
「レッド、着替えろ、行くぞ」
 ピカチュウとバタフリーをベッドに下ろすと、レッドは無言で立ち上がり、ベッドサイドに無造作に置かれたいつもの服に着替え始めた。無表情というより、何もかもどうでもいいような、そういう顔。
 もうずっと、これ以外のレッドの顔を見ていない気がする。
 前は、面白くなさそうな顔とか、嫌そうな顔とか、ふてくされた顔とか、ポケモン見て楽しそうな顔とか、そういうのあったんだけどな。


 俺が放っておくと、レッドは部屋から一歩も出ない。
 食事だって家では摂ろうとしない。俺が毎朝こうやって迎えに来て、日中の間ジムに置いてやって、そのときに姉ちゃんが作った弁当を少し食うだけだ。個別に作っても食おうとしない、あくまで俺のを分けてやる程度じゃないと手をつけなかった。もっと言うなら、母親の作ったものは食べたがらない。俺か、俺の姉ちゃんが用意した場合だけ、なんとか食ってくれた。
 ……最初はどうしてかわからなかったし、こういう形に落ち着くまで色々試行錯誤した。
 それで、だんだんわかった。元々“関心があったもの”以外は、恐らくもうこいつの世界には、無いんだ。
 あの日、滝の轟音の中で俺を好きだって言ったのは、関心があったから。バタフリーがジムに手紙を持ってきたあのとき、俺の姉ちゃんがやった万年筆を使ってたのは、小さい頃から一緒に遊んでた姉ちゃんにも関心があったから。
 フシギバナとリザードンを文句も言わず預けたのは、じいさんにも関心があるからだろうな、そもそも四年前に旅に出るときに素直に呼び出しに応じたのだってそうだ。
 ……母親の作ったもんを食わないのは、まあだから、そういうことなんだろう。


 朝に俺に連れ出されて、昼はジムでぼーっと自分よりずっと弱いバトルを眺めて、夕方に家に帰ればもう寝るだけ。
 こういう生活が、半年続いていた。


「……グリーン」
「え、あ、ああ、どした?」
 レッドから話しかけてくることなんざ滅多にない、それは昔っから。けど話しかけたって答えることのほうが少ない今となっては、レッドの細くて小さな声で名前を呼ばれるのは、本当に久しぶりだった。
 声はそんなんでも、意志だけは強そうにハッキリものを言い切ってたと思うんだけどな、昔は。
「……? レッド?」
 レッドは、片方のカーテンが常に閉められている窓に背を向けて、俺をじっと見つめていた。
「つまんない、よ」
 そう、見ていた。赤い瞳で、俺を。
「つまんない……、つまんないよ、なんにもない、なんにも、からっぽ、……つま、んな」
 赤い瞳から、ぼろぼろ大粒の涙を零して、俺を見ていた。
「つまん、ない、よ……」
 俺はこいつの泣き顔を、これまでずっとずっと一緒にいて、初めて知った。
 泣き方がわからないみたいに、ひきつけを起こしたような妙な呼吸だった。年齢不相応に子供じみた顔を歪ませて、レッドはヘタクソに泣いていた。
「つまんないよ……!」


 なあ、あの生っ白い腕のぬるい温もり、泣けてくるくらい離したくなかったのがそんなに悪いことだったのかよ。
「つま、な」
「……レッド、なあ、俺ちゃんとお前の面倒見るから……な……」
「っ、からっ、ぽ、もう、なっ、なんに、も」
 ……はは、そうか、俺が選んだのか。


 生きる意志も、意味も見失って、世界に対する関心をまったく無くしてしまったこいつが、それからなんのために死ぬまでの間、望まない生を保ち続けるっていうんだ。
 どうして俺は気付かなかったんだろうな、気付けなかったんだろうな。俺のエゴでただ命だけを救われて、レッドがどうなるか。
「なあ、お前がいつか死ぬまで、俺がずっと手握っててやるから……」
 できるなら、あの日に戻ってもう一度お前を殺してやりたいよ、レッド。
「……グリー、ン、はなし、て……」
 けど、それはできない。もうダメなんだ、無理なんだ。一度選んだ結末は変えられない。あそこで手を離した方がよかったからって、今ここでお前を窓から突き落とすわけにはいかない。
「……俺のエゴだよ、全部」
 生かすのが、本当に愛してるってことだと思ったんだよ。
 真っ白い頬を、赤い瞳から生まれた初めての涙が伝っていっていた。





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