04

名前が頭に包帯を巻いたあの男が白目を剥いて山に積まれているのを見た瞬間、名前は未だ笑い続ける天人へと飛び出した。
「うあああああああああ!!!!!」
突然の名前の豹変に不意を突かれたのか、一匹の天人の腹が刀傷で大きく裂かれる。ブシュッと鈍い音を立てて血が噴き出した。天人の足元が覚束なくなる。
「てめェ…調子に乗ってんじゃねえぞ!!」
もう一匹の天人が松明を振りかざす。名前はそれが振り下ろされる前に渾身の力で刀を振るった。瞬間、天人の腕が飛ぶ。
「ぎゃあああああああ!!!」
またボタボタと血が垂れる。名前の着物も赤に染まっていた。
自分の呼吸がどこか遠くにあるように感じる。女と男の目が頭から離れない。
「……殺してやる」
瞼が痛いほど引きつっているように思える。目を見開いているのか、それが自分のことなのかどうかすらわからない。ただ生ぬるい液体が濡らした着物がやけに気持ち悪いものだということはわかった。
「ひっ、来んじゃねえ!!!」
「…殺して、やる!!」
怯えて後ずさる天人に向かって容赦なく刀を振るった。どこを狙っているかなんてもうどうでもいい。ただ我武者羅に、忌々しい笑い声を記憶から消したくて力を込めたら、次の瞬間には天人の頭が地面に落ちていた。ややあってドスンと首を無くした体が地面に倒れる音が聞こえる。
……首と、体が離れたら人はどうなるんだったか。
切断した部分は縫うのが基本だ。問題なくくっつけば、後は生命力が自然に働いてくれる。
首の場合はどうだったか―――…?
纏まらない思考でそこまで考えて、ハッと我に返る。
知らない間にカタカタと手が震えて、刀が音をたてていた。
何も持っていないはずの左手の手のひらに何かの感触がある。
目の前まで手を持ってきたら、そこには炎とは違う赤があった。
ポタリ、ポタリと右手の刀から雫の落ちる音がする。
とたんに震えだした全身を抑え込んで前に視線を戻すと、そこには恨みと怯えの籠った両目が、名前を見上げていた。
「あ、ッあああああああ!!!」
逃げるようにそこから走り去る。
殺した、殺した、殺した、殺した!
自分は何を考えていた?命を救う医師となるべく努力をしてきたのではなかったのか。
違う、仕方なかった、だってあの天人は、村人をたくさんころした…
向かう場所があるわけでもなく走り続けていたら、何かに躓いて転んだ。勢いがついて前へ滑る。砂ぼこりにむせながら振り返った名前の目に映ったのは最悪の光景。
「……か、あさん……?」
紛れもない、母の顔だった。
さっき見た女と同じ様に、目が濁っていた。
それが意味するところを今度は間違えるはずもない。
しかしその思考を進めるわけにはいかない。
「母さん……、どうして、倒れて」
転んだ時に肘を擦ったようだ。鈍い痛みが心臓と合わせて脈打つ。
ずるずると体を引きずりながら母の元へと向かう。顔色が極端に悪い。そっと頬に触れたら、あまりの冷たさに一瞬手を引いてしまった。
心臓が煩いほど鼓動する。暴れだして、体を突き破って出てきそうだ。
「……っぁ……」
母にかけようと思った言葉が見つからずに奇妙な音だけが宙に浮かぶ。
自分の心臓とは裏腹に、母のそれは静かすぎるほど、完全なる静寂だった。
また瞼が引きつっていくのを感じる。
その時後ろからザリ、と何かを引きずる音が聞こえた。
「名前、…ッ」
上手く動かない首を叱咤して、体ごと後ろに向ける。
そこにいたのは片腕を無くして、おかしな方向に曲がった足を引きずる父の姿だった。
なるほど、ざりざりと音を立てていたのはこの足だったのか。
引きつる瞼を止められずに、既に修正の利かない思考を無理やり回転させたらそんなことが思い浮かんだ。だけど、もっと重要なことがあるような。
「名前、無事、だっ、た、のか」
父の顔をよく見たら、半分程が赤に染まっていた。
あと一歩で名前のすぐ隣にまで来られるはずの父の体がゆっくりと傾ぐ。
ついにその一歩は踏み出されることなく、前のめりに倒れた父の頭が名前の目の前を通り過ぎて地面にぶつかった。
「……とう、さん?」
腕から流れる赤い液体が地面を濡らす。
うつ伏せに倒れたその体をそっと表に返すと、弱々しく呼吸する父と目があった。
「無事、で……よか、た」
笑おうとしたのだろうか、それは上手くいかずに奇妙な顔になっていた。父のこんな顔は初めて見たな、と行き先を知らない思考はそんな感想を弾きだす。
「結、局、護れな、った、…皆と、かあさ、と、お前…と…」
「と、うさん?上手く聞こえないんだ、もう少し、大きな声で、」
父の声より自分の声のほうが聞き取りにくかった。やたらと震えていて、自分で何をしゃべっているのかわからない。でもどうして声が震えている?
「お、前は、みんな、護れ、る……りっぱな、医師、に、…な、れ…」
もう一本しかない腕がゆっくりと持ち上げられて、座り込んでいた名前の頬に掠った。
すぐに離れてしまったそれがなんだか悲しくて、名前は自分で父の手を握って頬にあてる。
父の顔に浮かんでいたのは、優しい頬笑みだった。「愛、し、て…俺…も、かあさ、も…名前……」
「そう、だ、父さん、母さんが大変なんだ、脈が、無」
名前の手から父の腕がすり抜ける。
おかしく思って顔を見れば、その目は薄く閉じられていた。
「父さん、母さんが、ねえ、医師なら、治さなくちゃ、母さんを、…父さん、を…」
そうだ。
自分は医師になるのだろう。
それならこれくらい両親の様に治せなくてどうするのか?
母も、父まで動かなくなってしまった。
まだ名前は一人で患者を診たことが無いから、両親の手伝いが無ければ上手くいくかどうかわからない。でも両親が動けないのだから自分しかやることはできない。
そうだまずは、道具がなくては。
瞼を伏せた父の顔から眼を離し、顔をあげて周りを見渡した。
炎は燃え盛っているものの、大分燃えてしまったのか勢いは先ほどより弱くなっていた。
近くに医療道具が無いか見渡してみるが見つからない。
見つかるのは倒れ伏した人だけだ。
(皆、倒れて、俺が、助けなきゃ)
道具を探さなくては。
まずは道具がないと何もできない。あれがあれば何とかなるかもしれない。
(道具、道具道具道具道具)
弾かれた様に立ち上がる。父の体が膝から落ちてドサ、と重い音をたてた。
首が千切れそうになるほど何度も何度も周りを見回すけれど、大切な両親の医療道具箱は見つからない。
(ああ、道具は地面に置いておくものじゃない、)
父と母はいつも大切に家に保管していたじゃないか。そうだ、今はこの村の治療場にしまったんだ。
でもここには家はない。もう全部燃えてしまった。
ならどこに?
急に気が急き出す。
早くしないと取り返しのつかないことになってしまうかもしれない―――
動いている人間は自分だけだ。誰かに手伝ってもらうことも出来ないし、それよりも皆が倒れているのだから救えるのは自分だけなのかもしれない。
「っはぁ、はぁ、はぁッ、は、っ」
いつの間にか名前は駆けだしていた。
無い、無い、見つからない、薬も、包帯も、全部あの道具箱に入っているのに。
上手く呼吸が出来ない。走っているせいだろうか、それにしては足も上手く動かない。そういえば頭も上手く働いてくれていない気がする。いつからだっただろうか?きちんと思考を整理しなければ良い医師としてなど働けない、しっかりしろ。
そうだ、女の人が倒れていたのを見た時だ。
そのあと包帯を巻いてあげた、母さんが褒めてくれた、あの男の人に会った。
いや、会ったんじゃない、見ただけだ、どこで?
山、があった。何の?
人、の、…
「ぐ、ッ」
急に吐き気がした。せり上がってくるものを抑えられない。地面に膝をついたら鈍い痛みが走った。
「か、はッ」
カラカラに乾いた口の中からは何も出てこない。ただ絶え間無い衝動が胃の奥から押し寄せる。
何を見た、自分は何を見た。
あれは、人の―――
「おい!!!お前!!!」
急に後ろから思考を中断させる声が響いた。
(やめてくれ、俺は、ちゃんと考えないと、医師として、)
視界がぐるぐるとまわりだす。眼球の奥の痛みがさっきよりもずっとひどくなっていることに今更気がついた。
「生きている者が、ッおい!!!銀時こっちだ!!」
(いきているもの?ぎんとき?)
意味がわからない単語ばかりが聞こえる気がする。揺さぶられる思考が名前の邪魔をする。
眩暈が酷い。
地面が揺れだした。この辺りでは地震なんて珍しいのにどうしてだろうか。
「おい、お前しっかりするんだ!!」
「ヅラァ!!」
「ヅラではない桂だ!それよりも早くこの者を…!」
「わかってらァ!おい、今助けてやっから、死ぬんじゃねえぞ!!」
(たすける?)
先に名前の元へ来た男に肩を掴まれた。少し痛い。患者には乱暴になど絶対にしてはいけないのに、どうしてこの者たちは助けるなどと言うのだろうか?
(たすけるのは、おれの)
そう言おうと思って口を開いて出てきたのは、喉から空気が出るヒュッという音だけだった。
(おれの、とうさんにたのまれた、おれの)
「おい、しっかりしろ馬鹿!!死ぬなっつっただろうがァ!!」
そう怒鳴って思考に割り込んできた者がやけに印象的な白い存在で、それが両親の着ていた白衣を彷彿とさせた。
もう、動かなくなってしまった、両親の。
(とうさん、かあさん)
そこで名前の意識はぷつりと途切れた。



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