02

翌日。
朝早くから治療を続け、その甲斐あってか、昼ごろには全ての患者の治療を完了することができた。あとは経過を見て、それに見合った処置を続けていくだけだ。
未だ痛みは除けないものの、精神的に回復した者が多く、家に帰り普段通りの生活をする者もちらほらと現れた。
それならそれでよい。無理をしているのでなければ、いつも通りの生活が一番落ち着いていて安らげるのだろうから。
仮設の治療所から僅かに人の姿が減って、ほとんど全ての人が安堵に息を吐いた。
その時だった。
「きゃあああああああああ!!!!!」
「!!?」
村の外れの方から大きな悲鳴がこだました。
それを聞いた途端、名前は自らの刀を持って外へ飛び出した。
「名前!!」
後ろから父の呼ぶ声が聞こえるが、止まってなどいられない。
ここに天人がまた現れたなら、満足に戦えるのは自分だけだ。
村の屈強な男たちはほとんどが昨日の襲撃で負傷している。
逸る気持ちを抑え、冷静にと心がけながら走ってゆくと、案の定はずれの方には腰を抜かして座り込んでいる、悲鳴の持ち主だろう女と、背中を大きく切られ倒れた男、そして抜刀している猪の姿をした天人が2匹、見えるだけでは2匹確認出来た。
気配はもう少し多い天人の存在を名前に伝える。
その姿を確認すると同時に名前は走る速さを上げた。
「残念だったなァ女ァ!あばよ!」
まさに今女を斬ろうとして刀を振り上げ、下品に笑う天人。その刃の向かう先へ、怯むことなく名前は身を躍らせた。
ギイィィィン!!!
鋼を鋼で受けた鈍い音が響く。
少々乱暴で申し訳なく思いながらも、その刃を押し返して後ろの女を天人とは逆方向に突き飛ばした。
「んだァお前は!!」
「邪魔してんじゃねェよこの薄汚いニンゲンがよォ!」
刃を止められた天人ともう一匹が逆上して襲いかかってくる。
「薄汚いのはどっちだ!」
まず一匹目。
正面から振り下ろされた刀を、名前が刀を両手で支えて防ぎ、その隙を狙って渾身の力で天人の腹を蹴り飛ばす。
倒すには至らなかったものの、その衝撃でふらついた天人の利き腕の手首を加減して斬った。
間を空けず今度は後ろに回り込み足首も狙い、そして確実に斬る。
「ぎゃぁあああああ!」
痛みに叫び、刀を取り落とす。それを蹴って遠くへ飛ばした。そのまま後ろから背中を刀の柄で殴り、一瞬呼吸を止める。
ドスッという音がして、奇麗に決まったその一撃に加え、首にもさらに打撃を与えれば、天人は目を剥いて倒れた。
間髪いれずにうろたえているもう一匹の天人に向かって走り出す。
駆けながら大きく刀を振り上げれば、それにつられた天人が一撃を防ごうとして体の前で刀を構えた。
しかし名前のそれはフェイクだ。
前から斬りかかると見せかけて、相手の刀が固定されたのを見た後、すぐさま刃の軌道を変えてまた足を狙った。
予想した衝撃とは別の場所への斬激に天人は混乱し、無我夢中で刀を振り回してくる。
その一振りが名前の頬をかすったが、名前は僅かに顔をしかめただけで引かず、また後ろに回り、近くの木で反動をつけて天人の首に柄を叩きこむ。
「がァッ…」
情けない声をあげて2匹目の天人も倒れ伏した。
その天人の刀も遠くへと蹴り飛ばす。
「貴女は逃げて!その人をつれて!」
まだ天人の気配は残っている。そう名前が女に叫ぶと、女は泣きながらありがとうございますと言い、治療所の方へ男をつれて行った。
それと同時に3匹の同じ天人が姿を見せる。
「おいおいよォ、随分生意気なんじゃねえの?」
―――囲まれた。
名前の不利にニヤニヤと笑う天人たち。
本当は名前も女と一緒に逃げることが出来た。
しかしそれをしなかったのは、ここで逃げては村まで天人が侵入してくる可能性があったからだ。
幸いなことにこの近くにこの天人たち以外の気配は感じられない、と思う。
ならばこいつらを倒してしまえば僅かでも時間が稼げる。
ここが狙われているのだというのならば、その出来た時間でこの村から逃げるしかない。
もしくは幕府に連絡をとれれば天人退治に兵力を回してくれるだろう。
それまで持ちこたえる時間が欲しかった。
(3対1か…)
残念ながら名前は刀の名手ではない。
ただ医療の勉強をしているお陰で、相手の急所や弱いところなどは外見を見ただけでおおよその判断は出来るまでの力を持っていた。
先ほどの相手も、まずは刀を持てないように手首の腱を斬って、その後弱いと思われる首を狙った。結果は見ての通りだ。
だから残りのこの3匹も首を狙えばいいのだろうが、3人はキツい。
名前が後ろを取られてしまえばそれで終わってしまう。
だからといって逃げることも出来ない。
だが幸いなことに、名前は侍ではない。
侍の誇りや矜持は持ち合わせていないのだ。
(つまり、卑怯な手で申し訳ないってこと)
名前を見てニヤニヤしている1匹に向かって勢いよく走り出した。
体制を低くして、下部を狙うように見せかける。
(引っかかれ!)
これで相手の体勢が低くなってくれれば。
ニヤついていた天人はいきなり襲いかかってきた名前に驚いたのか、刀を構えて腰を低く落とした。
(今だ!)
刀を振り上げ、斬りかかるふりをして足元で砂を蹴った。
ちょうど風下を狙ったお陰で砂は奇麗に舞い、天人の目を苛む。
「ぐあああ!目が!!」
刀をおろそかにして目に手をやった天人のその隙目がけて、今度は腱より先に首を狙う。
先ほどの2匹で完全に首が弱点だとわかったから、その一発で昏倒させてしまえばその後でいくらでも動けなく出来る。腱の切断は保険だ。
後ろから残りの2匹が駆けてくる音が聞こえる。
(いける)
これが2匹ともこちらへ向かうのではなく、1匹に隠れられたりしたらまずいことになっていた。1匹に気を取られている間にもう1匹に襲われるかもしれないし、時間をかければ昏倒させても目を覚ましてしまうかもしれない。
しかし。
名前は未だ目を抑えている天人の後ろに素早く回り込んで首に柄を叩きこんだ。そのまま前にぐらりと倒れた体を、後ろから目いっぱい蹴り飛ばす。
案の定すぐ傍まで迫っていた天人のうち1匹が、その倒れこむ体の下敷きになるのを防ぐべく進行方向の軌道を変える。
その隙をついて刀で受けとめようとしていたその腕を斬りつけた。
いくら猪が猪突猛進な素早い生き物であっても、進化して2本足になった天人は遅かった。
「ぎゃあああ!」
腕の力を失い、倒れてくる体を抑えきれなくなった天人はそのまま下敷きになって2匹が倒れる。下になった天人がもがく間にしゃがみ込み砂を握り、残りの1匹目がけてまた投げつけた。
事態を読めていなかった天人は砂をまともにくらい、同じく目をやられる。しかし名前の方向はわかっていたのでそこに目がけて刀を振り下ろすが、見えていない天人と見えている名前では分が違う。真正面から降りてくる刀を力を込めてはじき返し、ガァンという音とともに天人の刀が宙を舞った。
得物を離してしまった天人は混乱して走り出すも、見えていないせいで倒れていた天人に躓く。滑稽な光景だ。3匹の天人が一つの山になったところで、むき出しのその首の裏に名前はまたも刀の柄を叩きこんだ。
一番上になった天人もぐうという音をもらして気を失った。一番下になっていた天人は、おそらく上2匹の重さに耐えきれなかったのだろう、つぶれて動かなくなっていた。おそらく死んではいない。
名前の甘いところでもあり、絶対の信条でもある。
殺さないこと。生かすこと。
医師を目指す自分が、どんな理由であれ自ら命を奪うことは決してあってはならないと名前は思う。だから、身の危険にさらされようとも決して殺生はしない。
本当は傷つけたくもない。いや、それはあまりのエゴだ。
だから最低限の傷で済むように、出来るだけ動きを止める部位を狙うしかない。
(甘いとは思ってるよ)
けれど譲れないのだ。
自分が理想とする医師を、純粋な心で目指すためにはあってはならない。
たとえそれさえもエゴだと言われても。
(俺は、生かす責を負う者だ)
そう、それは命を救うものとして。

「名前!!」
遠くから父の声がした。
「父さん、」
「いきなり出て行って、もしものことがあったらどうするんだ!」
温和な父が珍しく鋭い声を出した。
間違ったことはしていないと思うが、親心にはやはり心配で仕方なかったのだろう心情がにじみ出ている声色だった。
「でも、俺が行かなきゃ…」
「…ああ、けれどね、患者もだけれど、私たちは息子のお前が一番心配なんだよ」
ただただ、澄んだ声でそれは名前の胸に深く響いた。
大事にしてくれている、大切に愛してくれている。
そう実感できる声だった。
なのに、名前はそこにある失望を見出してしまった。
(医師なのに、誰かを優先してしまうなんて)
潔癖な考えだと思う。医師の平等性を絶対的なものだと考え過ぎているせいか、たとえ息子であろうと贔屓にすることがおかしいことのように思えた。
「…父さん、俺は大丈夫だからさ、皆を診てやってください」
「……名前」
その失望が現れてしまったのか、僅かに刺々しくなってしまった声に父が茫然とする。
こう思っていることはきっと伝わっているだろう。
それほどまでに名前は医師という者を絶対の存在として見ていたのだから。
「…わかった、けれどやっぱり私たちの一番大切なのは名前なんだよ」
残念そうに告げる父に心が痛む。そうして、今の言葉に更に嫌悪を覚えてしまった自分にも。
「…少し休んでからくるといい」
優しく、少し眉尻を下げて困ったように微笑んだ父が名前に背を向けて歩き出した瞬間、名前は妙にその背にしがみつきたくなった。
どうしてかはわからない。いや、わかっているのかもしれないけれど認めてはいけない。
だって父は皆に平等な医師という存在であって、自分一人のものではないのだから。
幼いころからそうして自分を律してきた。
愛情を一身にうけて育ってはきたけれど、いつも自分以外の誰かのために名前は我慢をし続けてきたのだ。それが当たり前だと思っていた。
余計に、無性に寂しかった。

近くの井戸水で切れた頬の血を流したら少しピリッとした痛みが走った。
(あの人、大丈夫だったかな)
倒れていた男の方は随分と血を流していた。女をかばったのだろう。
その命を賭けても良いと思える誰かのために身を投げだせることを羨ましく思った。
その誰かを、唯一の存在を大切に思えることを。
(医師か…)
医師は平等ではなくてはならないというのは決して間違いではないと思う。
病気や怪我の程度の差はあれど、皆が皆苦しい思いをしてやってくるのだ。
それを特別な感情から優先してしまうことは他の者を見捨てているような気さえしてきて。
こんな風にしか考えられない自分が心底恨めしい。認めたくないだけで気づいてはいるのだ。
それでもやはり、医師は、両親は名前の神のような存在だったから。
親指で、また血が滲みだしてきた頬の傷をぐいっとぬぐった。舐めておけば治るような傷だ。まったくあの倒れ伏した男とは違うのだ。
(怪我とか病気とか、そういうものは皆に平等に起こるわけじゃないのに)
そこまで考えて、思考を遮断する。
矛盾には気付かないふりをした。そうじゃないと自分が目指していた道が途絶えてしまいそうだったから。
考え過ぎるのは名前の悪い癖だ。
また滲んできた血はそのままにして名前は治療場へと戻って行った。



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