Good Night (土方)



綺麗な光景だった。
地面に寝転がった俺から立ったあいつを見上げ、あいつの背後には無数の煌めきを惜しみなく与える夜空。
月の光に照らされた白い顔は、始終嬉しそうに微笑みを象りながら幽かにお気に入りの歌を口ずさむ。
俺はそれを見ながら、大して気にも留めない様に振る舞いながら、内心は今まで見た何よりも幻想的で愛おしい光景に感動さえ覚えていた。
夏だから平気だろうが、袖のない白のワンピースを揺らしながらくるくると動くあいつに、寒くはないかと少し心配になる。
そう尋ねれば、「十四朗と一緒だから暖かいよ」と返事が返ってきて、驚いて、思わず鼻で笑って顔を逸らせばクスクス笑う声が聞こえて。
俺は相変わらず寝転がったままで、あいつは相変わらず歌いながら飽きもせず月と星と空を見上げる。
ぐっと細い腕を空に伸ばし、何度か掴むような仕草をするが、やがて諦めたようにパタリと手を下ろす。
そんな様子を見て、思わず上半身を起こして「取ってやろうか」なんて言ってしまった。
言った後でどうしようか悩んでいたら、あいつは俺の側に来て、俺の手を握った。そして「もうもらっちゃった」なんて言うものだから、途端に苦しくなって思い切り細い体を抱き締めた。
剥き出しの腕はやっぱり少し冷たくて、ああ上着でも貸せばと、少し後悔した。
俺の腕の中にすっぽり収まったまま、あいつはまた歌い始めた。
誰の歌かも何も知らなかったけれど、時折出てくる"おやすみ"の言葉がいやに的を得ていて、少し悲しくなった。
抱き締めてはいても、俺の左手はまだあいつに捕まれたままで、そこだけが希望をもったかのように暖かかった。
星空を見上げれば、どこまでも果てない円形の天井がまわっている気さえしてきて。
いつまでも捕らわれたように目が離せなかった。
風が足元の草を僅かに揺らす音、あいつが歌う歌、互いの心臓の鼓動、音は無いけれど体を突き抜けるような夜空の空気。
目眩さえしそうなその感覚の洪水に、俺は二度とこの光景は忘れることは無いだろうときつくきつくまたあいつを抱き締めた。
すべてがいとおしい。
ふいにあいつが口を開いた、「このまま眠っちゃいたいね」と。
俺は風邪をひくからと軽く諫めたが、あいつは額を俺の肩に寄せて少し震えて、「このまま寝たら、朝を迎えるまで十四朗と手を繋いでいられるのにね」と、そう言った。
だから俺はまた抱く腕に力を込めた。折れてしまうかもしれない。
俺の膝にぱたっと雫が落ちた。あいつの頬を伝った地上の星は俺に降って、そして消えた。こんなにも、綺麗な、そして悲しい星。
「またここに来たいな」
そういったあいつの希望を叶えないわけがない。奇跡のようなこの夜は俺にも消えない夜となって永遠に心に刻まれたのだろう。
約束すると、繋いだ左手に力を込め、右手で俯くあいつの頭を撫でた。
また明日、月が出たら迎えに行くと。
またひとつ、雫が俺に注いだ。





俺に連絡がきたのはもう全てが終わった後で。
皮肉にもあいつを、名前を俺が迎えに行く前に違う迎えが来てしまったようだ。
病院の真っ白な部屋に真っ赤な夕日が差し込み、まだ薄らとしか見えない月はあと半刻もすればまた昨日の様に俺を照らすのか。
昨日見たように白く細い彼女の顔に手を滑らせ、冷たくなった頬をどうすれば暖められるかを真剣に考えた。
いつか迎えるわかっていた事、でもその強さは俺にはまだ無くて、だから昨日のような奇跡に縋ったのか。
あいつの歌っていた歌が、"おやすみ"がやたらと耳に蘇る。



「サヨナラ、言えなかったなあ」
それが俺のいない所で息を引き取ったあいつの最期の言葉だった。
頬を濡らしながら笑っていたらしい。





「おやすみ」

永久の眠りにつくお前へ。
俺の頬を伝った流れ星は、ただお前の笑顔だけを願うよ。




20080818_吾風




あきゅろす。
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