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誰か、この関係を御破産にする方法を知らないか



 自分の中での優先順位は、生まれた時から決まっていた。決められていた、と言い換えても良いかも知れない。
 一番が次期座主たる勝呂竜士で、二番が明陀。それから下は家族だったり友達だったりするけれど、順位が付けられることはなかった。例え付けたところで、日々入れ替わってしまうような差だったから。
 小学校、そして中学校と、明るく人当たりの良い性格だったにも拘わらず、決して友達が多い方ではなかった。一緒に馬鹿笑いする相手は何人もいたが、家に行き来したり休日に計画を立てて出掛けたことなど思えば一度も無かったのだ。
 自分の世界は箱庭の如く区切られた狭い空間で、それは生まれた時から広がることなどないのだと気が付いたのは、一体いつのことだったか。
 当たり前のように思えていたことも、一度疑問を抱いてしまえば無かったことになど到底出来ない。中学に上がり、必然的にクラスが勝呂達と別れた時、やっと思い切り呼吸が出来ると思った。
 同い年だからと付き人のような役目が与えられて、そのことに不満も無かったけれど。初めて箱庭の住人以外とまともに話してみて感じたのは、やはりこの空間は可笑しいのだということだった。
 勝呂は良い奴だったし、好きでも嫌いでも家族は家族。きっと自分はこの奇妙な違和感を感じたまま、これからも生きていくのだと漠然と思っていた。
 それなのに、地球の中の日本の中の京都の中の明陀という狭い世界から出る機会を与えてくれたのは、神様仏様でもなく勝呂本人だった。
 寺の為、明陀の為、皆の為にと、エクソシズムを学ぶ為に祓魔塾に入ると打ち明けられたのは、桜がすっかりと散って葉桜になった頃のこと。
 正十字学園。東京。それは名前だけ知っているだけの、何処か遠い世界の話のことかと思っていた。けれど勝呂は、其処に行くのだと言う。自分の力で、自分の意志で。
 自分も行くと口にしたのは、付いて行きたかったからでも付いて行かなければと思ったからでもない。ただ、此処から出て行きたかった。外の世界が見たかった。それがどんなに愚かな望みでも、甘えた考えでも。
 元々は家から近いというだけが取り得の高校に進学するつもりだったので、それからは死に物狂いで勉強した。生き甲斐でもあった恋愛遊戯もやらなくなり、その代わり勝呂や三輪と一緒に図書館や部屋に引きこもってテキストとノートだけを開いていた。
 勝呂のように奨学金は受けられなかったが、それでも普通科の合格通知を受けた時は喜びで震えた。良くやったと見当違いの理由から誉める家族にも、そうだろうと笑い返すことが出来るくらいに。
 新幹線から降りて目にした土地は、これが同じ日本なのかと思うような街並みだった。京都でもお馴染みのチェーン店やコンビニを見かけなければ、ヨーロッパにでも来てしまったと勘違いしていただろう。
 正十字学園での生活は、今までとはまるっきり勝手が違っていた。全寮制の上外出届を出さなければいけないが、大抵の物は学園内の購買で揃った。なにせこの学園には、遊園地だってあるのだから。
 それに、京都での生活に比べれば、周りが言うような窮屈さなど殆ど無かった。良家の子息・子女が通うというから構えていたが、髪を染めても制服を着崩しても厳しく注意されない。それを考えれば、食事や入浴の時間が決められていることなど問題ではなかった。
 それにこの学園の生徒は、何も知らない。寺の息子だということも、明陀宗のことも。彼らが知っているのは京都からわざわざ来た珍しい生徒だということと、友達に勝呂や三輪がいる……ということだけだった。
 建前上、祓魔塾に入ることは絶対だったし、勝呂とあからさまに離れるわけにもいかないけれど、それでも初めての自由を謳歌していた。それが仮初めでも、束の間のものでも。


 ブブブブブ……とポケットに入れた携帯が鳴る。それは本当に微かな音だったので、持ち主である自分以外で気が付いた者はいなかっただろう。にも拘わらずそれなりに盛り上がっていた話を切り上げて、これから用があるからと一抜けすることに何ら躊躇いはない。
 放課後の教室、何となく残っていたクラスの賑やかなメンバーで、今度の休みに何処か遊びに行こうかと話していた。ここで離脱することで、参加の意思無しとみなされて爪弾きになるかも知れない。
 それでも、遠ざかっていく楽しげな声を聞きながら、あの場に引き返そうと思う自分はいなかった。


 夕暮れで赤く染まる図書館は、テスト前でもなければそれほど人は居ない。その中でも自分のように軽い見た目の生徒が居るのはさぞかし目立つことだろう、などと思っていたのは最初だけ。今ではすっかり配置や造りを覚えてしまった建物の中を、迷いの無い足取りで進んで行く。
 正十字学園の図書館は、土地面積と生徒人数に比例するように馬鹿デカい。地元の図書館しか知らなかったので、まるでビルのように聳え立つ外観には暫く開いた口が塞がらなかった。
 けれど今は、文学コーナーや閲覧室に居る生徒を横目に見ながら目的地迄難なく辿り着ける。というかこの場所以外に足を運んだことはないのだけれどと、勝呂達が聞いたら呆れそうなことを思った。
 百科事典で敷き詰められた、本棚の列の更に隅。暗がりの埃っぽい空間に彼が居ると分かったのは、顔を上げた拍子に彼の掛ける眼鏡のレンズが光を反射したから。
 荷物の少ない鞄を無造作に床に放って、一歩ずつ暗闇に近付いた。
「おいで」
 ほら、と広げた両腕に温もりと重さが同時に押し寄せる。それがどうしてか切なくて、束の間堪えるように瞼を閉じた。


 一度きりの呼び出し音。それが、合図。そうした決めごとが出来たのは最近だったが、こうしてこの場所で会うのは一度や二度のことではなかった。
 どうしてこんな奇妙な関係が築かれたのかと考えた時、答えは簡単に出てくる。自分がうっかりしていたからだ。
 いつもと何ら変わり映えのしない日のことだった。薬草の効用について説明する同い年の彼を何となく見ていていた時に、ふと気が付いてしまった。微かな溜め息や、眼鏡に手をやる回数、言っては戻る視線の動き。志摩はその生まれ育った環境故に相手の仕草や心情を汲み取る術に長けていた。それは最近では異性相手に発揮されていて、週末に寂しく過ごすこともない。その日も約束を取り付けたばかりで、だからなのか少しばかり心にあった余裕から講義の後に声を掛けた。
 随分と疲れているようだが、無理をしてはいけないとかなんとか言った記憶があるが正直曖昧だった。鮮明なのは、それから後だからだ。いきなり向けられた言葉に相手は驚いたように目を見開いて、一瞬だけくしゃりと顔を歪ませた。幼い子供を思わせるような表情だった。けれどそれは本当に僅かな時間で、次の瞬間には生真面目な“奥村雪男”に戻ってしまった。
 大丈夫ですよ、お気遣いなく。そう言って直ぐにでも踵を返してしまいそうな相手の腕を掴んだのは反射のようなものだった。行かないで欲しいとも、行かせてはいけないとも思わなかった。自覚するその前に、体が一人で動いて相手を引き止めていた。それが相手にとっても自分にとっても引き金で、始まりであったのだと思う。
 近くに在った空き教室に足を向けたのは、腕を掴まれていた方で。連れ込まれた瞬間に床に突き飛ばされて、その痛みが消える前に今度は前から突撃された。尻餅をついた状態の此方と、しゃがみ込んで頭を押し付けて来る彼方。制服を掴むては、縋っていたのか堪えていたのか。
 五分だけ、君の時間を下さいと呟くように告げられて、承諾も無しに胸もそのまま貸すことになった。小動物のように震える体と、時折聞こえる嗚咽。結局五分なんて時間には到底収まらず、温もりが離れていく頃には日もとっぷりと暮れTシャツもぐっしょりと濡れていた。眼鏡越しでも分かるくらいに彼の目は真っ赤になっていて、けれど何も言わなかった。お互いに。
 これでは誰かに会った時に言い訳が大変だろうと他人事のように思っていると聞こえた、小さな声。有難う御座いましたと零した、見たことのない表情。それは自分が初めて見る、彼の年相応のものだと思った。きっとそれは、本当の彼の一部なのだと。
 知らないままなら、それで良かった。知らないまま講師と生徒のまま過ごして、当たり障りのない会話と遣り取りを積み上げて。けれど知ってしまった。触れてしまった。そうしたらもう、戻れない。知らなかった頃には。
 今度は自分の意思で手を伸ばして、口にしたあの言葉は本当に気まぐれのようなもの。受け入れられるとは到底思っていなかったし、そうしたところで自分が何をどうしたいのかも分かっていなかった。ただ、そうしたかった。ただそれだけだった。
 それから連絡先を交換した。初めは電話、次はメール。遣り取りは回を増すごとに簡略されて、今では呼び出し音が一度きり。
 相手が求める。都合が合えば行く。行きたくなければ行かなければ良いし、実際行かなくてもきっと彼は何も言わない。実行したことがないので分からないが。行かないのは簡単だ。鞄にでも放り込んでしまえば確実に気付かない。着信履歴を見て申し訳無く思うだけ。それでもその小さなサインを逃さないようにポケットに入れているのは、何故なのか。答えはとっくに出ている。


 ポケットに入れたままの携帯が震えた。三回振動しても終わらないのでメールではない。判断基準はそれだけで十分で、相手を確認しないままに手探りで何とかバイブを止める。ピクリと動いた手が、物言わぬ疑問を表していて、別に構わないのだと軽く頭を撫でた。いつもなら自分から触れることなどまずないのだけれど、これくらいなら許されたって良いだろう。
 彼は自分に慰めて欲しいわけではない。ましてや、励まして欲しいわけでも。ただ彼は泣ける場所が欲しいだけなのだ。学年主席でも、最年少祓魔師でもないない只の“奥村雪男”になれる場所が。
 きっとそれは今までなら、彼のたった一人の兄である燐の役目だったのかも知れない。何も知らない平和な兄。その温かい場所でなら、彼もこんな風になるまで溜めることもなかったのかも知れない。
 では何故自分がその場所に収まったのかといえば、それは信頼でもなんでもなく、限りなく他人に近いからに他ならなかった。家族には言えなくても見知らぬ他人になら言えてしまう――なんてことは、世の中案外沢山あるものだ。だから、彼にとって相手が自分でなくてはならない理由など何処にもない。
 ただ、タイミングが良かっただけ。偶然が重なり合って条件が揃っていただけ。……それでも。
「ゆき、お……」
 いつの間にか疲れて寝てしまったのか、のしかかる重みは増していた。掛けられていたままの眼鏡をそっと外してやれば、あの時と変わらない泣き顔があった。痛々しい目元に恐る恐る口付けて、涙を拭う。
 一緒になってつい眠ってしまった。そう言えば、許してくれるだろうか。夕食の時間を考えるとタイムリミットはどれくらいのものかと携帯を確認すれば、後二時間は余裕だった。ついでにと着信履歴を確認すれば相手は勝呂で。けれど二度目はなかったのだから急ぎの用でもないのだろうと、お詫びのメールを送る気にもならない。どうせこの後顔を合わせるのだから、その時で良い。
 いつもなら絶対に呼ぶことの出来ない彼の名を、何度も呼んだ。囁くように、乞うように。泣きそうな声で。
 一番じゃなくて良い。特別でなくたって構わない。どんなに危うい場所でも自分の居場所があるならそれで良いのだと、いつからか思った筈だった。自分にとっては一番で、特別で、代わりがいなくても。全てが対等でなくても。
 休日に女の子とのデートを取り付けなくなった。放課後に塾が無くても、勝呂達と出掛けなくなった。そのことを、その行動の意味を知って欲しいと思う反面、いつまでも知らないままでいて欲しいとも思う。
 心を向けてもらえなくても、心が許されている。ボタン一つで消えてしまうとしても、確かに自分の存在が彼の中にはある。それで満足だ。それだけで満足しなければならなかった。
 どんなに寂しくても悲しくても笑って受け入れる。それが、自分が初めて選んだ一番大切な人の望むことだというのなら。この重みと温もりと気持ちだけは、確かに真実だったから。





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