[通常モード] [URL送信]
被愛妄想



 好みのタイプはと訊かれたら、女の子全般。スタイルも料理の腕も大切だけど、決め手は笑顔の可愛い子。更に言うなら、自分を好いてくれる子。
 そんな感じで、今まで来る者は拒まず去る者は追わずのスタンスでいたら、当たり前のように女好きの節操無しのレッテルが貼られていた。別に否定する気はないし、毎週違う女の子とデートしていたら無理の無い話ではあったけれど。
 しかし、だからと言って誰でも良いわけじゃないんだと、溜め息を吐きたくなった。
「……もっぺん言うてもらえます?」
「志摩君が、好きです」
 嗚呼、と思わず天井を仰ぎ見たい心境だ。一体どうしてこうなった。
 確か、そう、本日最後の教科である悪魔薬学の授業が終わった時、今目の前にいる担当講師が片付けを手伝うように言ってきたのだ。今日は板書を写してはい終わり、の気楽な授業ではなく、実戦で使われることも多い薬を二人一組で作る実技だったので、ビーカーやらアルコールランプやらと使用する物は多かった。そうした授業の時は決まってランダムに片付けを手伝う生徒が指名されていたから、今日は自分の番かと不思議に思うことなく承諾した。
 それがまさか、最後にこんな事態が待ち受けておようとは。こんなことになると分かっていたら、拝み倒してだって他の誰かに替わって貰ったのに。
 こんな冗談を言うような人間でないことは、短い付き合いでも分かっている。彼ほど融通のきかない相手も珍しい。つまり、この告白はドッキリでも何でもなく、彼の本心だということだ。
「俺はアンタのこと、大っ嫌いやけどね」
 本当に、何て迷惑な行為なのだろうか、これは。彼が誰をどう思おうと自由だが、それに自分が巻き込まれるのは御免だった。
「そ、うですよね、すみません……本当に、何を言ってるんだろう、僕は」
 忘れて下さい、と言う声が懇願にも聞こえて。無理に笑う顔が泣いているようにも思えて。そんな彼を目にするのは、初めてだったから。
「でも、ええですよ、付き会うても」
 だから、少し、調子が狂った。
「俺はアンタのことこれっぽっちも好きやないけど、女の子第一やけど、それでもええならお付き合いしましょ」
 有り得ない提案だとは分かっていた。自分がひどく厭な顔で笑っているのも。――それなのに。
「……本当に?」
 まるで、奈落から引き上げられたような、顔をして。――本当に、馬鹿な人。


 それから雪男とのお付き合いが始まったが、表面上志摩との関係が変わったかと言えば別にそういうわけではない。第三者から見ればちょっと距離が縮まったように思うくらいの囁かな変化だ。現に、勝呂や燐から雪男との仲を指摘されたことはなかった。
 放課後や休日に二人で会ったことなど一度もない。雪男は祓魔師としての仕事があったし、志摩は女の子とのデートが優先だった。そのことに対して雪男が文句や嫌みを言ったことはないが、物言いたけで何処か淋しそうな顔をすることは稀にあった。
 別に文句くらいならいくらでも聞くのにと志摩は思う。聞くだけで改善はしないけれど。きっと雪男はそうした志摩の気持ちを分かっていて、口を噤んでいるのだ。勿論、始まりに告げた言葉も影響しているだろう。健気というか、ご苦労なことだと他人事のように感じる。
 そんな雪男との恋人としての接点は、昼休みに一緒に昼食を食べる時くらいのものだった。端から見れば異色の組み合わせな友人同士にしか見えないだろうから、気兼ねなく過ごすことが出来るし、何も毎日一緒に居るわけでもなかった。厳密に数えたわけではないが、志摩がすっぽかした回数の方がきっと多い。志摩は雪男よりクラスメートと親睦を深めることに重点を置いていたので。
 それでも雪男は、一途に志摩を待ち続けていた。二人が落ち合うのは寂れた温室だったのだけれど、其処にはいつでも雪男が居るのだ。お弁当と、その日のお供である文庫本を持って、きっちりと一人分ベンチの空間を空けて。サボリ癖のある志摩でさえ雪男に教えられて初めて知ったような場所だから他の生徒が知るわけもなく、志摩が足を運ばなければ彼は正真正銘一人きりだ。
 馬鹿な人だと、その様子を思い返す度に志摩はそう思う。あんなに愚かな人を他に知らない。
 どうせ自分と一緒に過ごしたところで共通の話題などありはしないのだ。それが分かっているからなのか、雪男は大抵志摩に話をせがむ。雪男が特に好んだのが、志摩の家族に関することだ。孤児であり今となっては育ての親も亡くした雪男にとって、大家族の志摩家はそれだけで魅力的なものらしい。ケーキ一つを分けるのだって真剣なのだと話した時、眩しそうな顔をしていたのが印象に残っている。
 対して雪男は驚くほどに話題が少ない。7歳から祓魔師を目指していた相手に流行を追えというのも酷な話だが、十代らしい話題が漫画しかないのはやはり異常だろう。今時古ぼけたCDプレーヤーを大切に持っているので、何か好きな音楽でもあるのかと問えば、専ら外国語の教材CDを聴く為に使われているのだという。本当に此奴は高校生なのかと疑いたくなった。
 生真面目なのだと、思う。きっと。
『どうしてピンク色なんですか』
『……廉造の廉は破廉恥の廉やから?』
『会いたかったな、中学生の志摩君に』
『変わらへんよ、何も』
『黒い髪も、きっと似合ってただろうから』
 もう会えないんですねと言った彼は、本当に残念そうだった。見た目で判断する人間が少なからずいることに憤慨しているようにも見えた。雪男と違って、志摩はよく生活指導のお世話になっていたから。
 其処まで思い出したところで、志摩は記憶を巻き戻すのを止めた。
 面倒事は御免だと、そう思っていた筈なのに。どうやら、もう引き返せない場所まで来てしまったようだった。


 その日、志摩は購買で手に入れたパンとパックジュースを持って例の場所へと向かっていた。購入までにそれなりの時間を費やしたので、もしかしたら相手は既に昼食を終えているかも知れない。それでも自分を律儀に待っている確信はあったから、気持ち早めに足を進める。
 今日は曇りで気温も低い。それを考えると普通外には出ないが、使用されていなくても温室は温室。光と熱を効率良く集める造りは健在だった。
 古びて完全には閉じなくなってしまった扉をくぐり抜けて、鬱蒼と繁る草木を掻き分ける。虫が殆ど居ないのが奇跡のような空間だ。そうして暫く歩けば、円を描くように等間隔で配置されているベンチの一つに相手はいた。予想と違ったのは、雪男が笑って出迎えてくれなかったことだ。
「若センセー?」
 気持ち良さそうに眠っている相手にソロソロと近付く。いつものベンチには空になっている弁当箱に彼の愛飲するミネラルウォーター、それから今となっては逆に珍しいCDプレーヤー。珍しい、読む本が無くなったのだろうか。それに、セットとなるべき教材は見当たらなかった。もしかしなくても最早そんなもの必要無いレベルなのだろうか。
 そんな疑問と好奇心から、志摩はソッとイヤホンを雪男の耳から外していた。リピート設定がされていないのか音は流れておらず、仕方なく本体へと指を伸ばす。キュルキュルという独特の音がした後、メロディーが耳に飛び込んで来た。
「へぇ……」
 入っていたCDは外国語のものではなく、志摩もよく聴くロックだった。クラッシックでも聴いていそうな雰囲気を漂わせておきながら、その実ロックとは。本当によく分からない人だ。
 もしかしたら案外趣味が合うのかも知れない、と綻んだ志摩の顔は、次の瞬間には強張っていた。気持ちの良いサウンドに乗るその声は、嫌になるくらい聞き覚えがあるものだった。
「何や、これ……」
 そんな志摩の声に応えるように、記憶が巻き戻っていく。髪の色、家族の話、物言いたげな顔、好きだと言った、彼の――

『志摩君が、好きです』

 誰なんだ、本当は。
 アンタがそう呼びたかったのは、同じ制服を着たかったのは、此処で一緒に過ごしていたのは。
 ノリの良いメロディーが終わりを告げて、空白。次いで耳に流れ込んだのは、ギターの出番が無いような静かなバラード。
 そうだ、これは確かファーストアルバムだった。祓魔師の資格を得て、正十字学園を卒業し、中学の時に仲の良かった地元の奴らと本格的にバンド活動を始めてから出した。珍しく作曲を手掛けたと思ったらそれがバラードで、当時は散々笑ってやった。
 だけど本当は、好きな曲だった。切ない中にも光が射すような、このメロディーが。自分と変わらないくらいに馬鹿だと思っていたのに、こんなに深い一面を持っていたのかと涙ぐみさえした。
 だから、気付いていたのだ。ずっと前から。こんな歪な関係になる前から。採点をする時、黒板を消す時、彼が小さく奏でるメロディーに。その音があんまり心地良くて、指摘したことは無かったけれど。
 自分と違って優等生の彼が苦手だった。でも本当は、小さな鼻歌にも薄い隈にも気付いてしまうくらいに、相手を見ていて。それを認めたくないから突き放したくせに完全に手放すことも出来なくて。
「雪男」
 いつもより低い声で、名前を呼ぶ。何の夢を見ているの。誰の夢を見ているの。
「…………う、さん」
 そんな顔で、そんな声で、自分を呼んだことなど一度もないくせに。
「大嫌いや……っ」
 教えてなんかやらない。伝えてなんかやらない。そうやって自己完結して勝手に終わらせていれば良い。好きなだけ綺麗な過去にしろ。
 叶わない恋を歌う声を、ブチリと無理矢理切る。
「起きい、雪男」
 どんなにみっともなくたって、勝ち目が無くたって、それでも終わりになんてしてやらないから。
「志摩く、ん……!?」
 両手を塞いで、目を合わせて。先ずは目覚めの儀式でも。
 小人じゃ役者不足? そんなん知るか。

 


あきゅろす。
無料HPエムペ!