【彼は彼氏にベた惚れでした(S)】
俺は今日が土曜日であることを思い出し、ふとテーブルを拭いていた手をとめた。しかしバイト中であるという自覚が、勝手に手の動きを再開させる。
(今週は何かあったのだろうか)
高校三年の終わり辺りから、大学一年の夏頃まで付き合っていたハレルヤのことを考える。付き合っていた頃ハレルヤは16歳だった。
彼は、スメラギ・李・ノリエガが経営するカフェ・トレミーのバイト仲間。今はもう辞めてしまったが、俺に会いにちょくちょく来店してくれる。
「いらっしゃいませ」
来客を知らせるベルが鳴り、俺はそう言って振り返る。迷うことなくカウンター席に座った客に呆れつつ、文句を言われないようすぐにカウンターの奥へ回った。
「定期報告か、ハレルヤ」
「いい加減心が折れる。慰めてくれよ」
「俺がタチなら構わないが」
「ならいらねぇ」
どうせコーヒーだろうとそれを差し出してやれば、ハレルヤは「サンキュ」と言って一口飲む。コーヒーだけで一時間は居座るのだから困ったものだ。
「それにしてもその様子だと、彼との進展は無しか」
コーヒーを飲みながら眉間を寄せたハレルヤに、今言ったことが間違っていないのだろうと踏む。
大学一年になったばかりのハレルヤは今、同じ高校だったニール・ディランディを狙い撃とうとしているらしい。ハレルヤと違う高校だった俺は、彼を携帯画面の上でしか見たことがない。
「大学始まって会いにくくなる前にどうにかしたかったんだが、あいつ、俺から逃げてるみてぇで」
「また意識させ過ぎたんじゃないのか」
「アレルヤの真似してメールにハートつけたのがダメだったか」
「……それ以外にも原因はたくさんあると思うが」
頬杖をついたハレルヤは唇を尖らせる。18歳になった今でもこういうところが可愛い。俺は無意識の内に頬を緩めてしまう。
「少し焦り過ぎだ。慌てなくても彼はお前にべた惚れなんだろう?」
ハレルヤが深く頷く。
話を聞いていても、ニールはハレルヤを本当に好きだと思う。それだというのに、近頃のハレルヤは焦っているように感じる。
「もう少し二人きりになる頻度を下げればどうだ。メールも減らせ」
「ニールがカワイソーだろ」
「すでに気分は恋人か」
くっ、とハレルヤが笑う。「それだ」バカだと思った。
「その自信はどこから湧いてくるんだ」
「ニールかわいーんだぜ」
俺はコーヒーのおかわりを注ぐ。そして「そうか」と適当に相槌を打ちながら、ハレルヤへ話の続きを促した。
「あーこいつ俺のこと好きだな、ってすげぇ思う」
「俺も思う」
「だから早く付き合いてぇ」
「お前の話が本当なら、相当喜んで貰えるだろう」
未来の恋人を想っているハレルヤが柔らかく笑む。
彼の双子の兄はもっと優しく笑うし、そちらの方が柔和という表現がぴったりかもしれない。けれど俺は、ハレルヤのこの笑い方がすごく好きだ。
「――少し嫉妬する」
「前も言ってたよな。別れてんのに嫉妬するって」
こくりと首を縦に振り、俺は過去の記憶を辿っていく。
ハレルヤに三人目の彼氏ができたとき、やりきれないモヤモヤとした感情が生まれたことを思い出した。
あの時は、自分の次の男だったということもあり、変に嫉妬してしまったと思っていたが、どうやら違うらしい。
「お前との恋愛は良過ぎる」
カップに口をつけていたハレルヤは、あまりの驚きに身体を凍らせ、暫しして喉をごくりと鳴らした。
「……あんたいきなり変なこと言うよな。コーヒー噴いてもしらねぇぞ」
「他の男に聞いてみろ。きっと同じことを言うぞ」
「言わねぇ」
ハレルヤがはっきりと言った。本当にそうだろうか、などと少し黙考してから、俺は流れた沈黙を切り裂くように呟く。
「だから別れたくなくなる」
そんなことは無理だというのに。永遠には続かないと分かっているから、辛さに耐え切れず自分から別れを切り出すのだ。少なくとも俺はそうだったと独語をつく。ハレルヤの真っ直ぐは、心地良いと同時に痛かった。
ハレルヤが、信じられないと今にも言わんばかりの表情でこちらを見上げている。俺はそんなハレルヤを真っ直ぐ見つめて、信じておいて方がいい、ということを目で訴えてみた。
「定期報告か、ハレルヤ」
店にハレルヤが入ってきたのを確認し、コーヒーの準備をしようと俺はカウンターに背を向ける。
「いらねぇ」
そう言ってハレルヤはカウンターに手をつき、目を丸くして振り返った俺に不敵な笑みを見せた。俺はその口元に、なぜか『負けた』と思った。
「これからニールと会うんだ」
「……うまくいったんだな」
「ああ。今度祝ってくれよ」
俺は考える素振りをしてから、溜め息雑じりに「分かった」とハレルヤの要求を承諾する。それを聞いたハレルヤがニッと歯を見せて笑った。
「んじゃあ夜にでも連絡する。またな」
「彼と仲良くな」
おう、という返事を最後にし、ハレルヤが店の出入り口を再び通り抜けて行った。
その背中が見えなくなってから、俺はカウンターを背に口元を手で覆って少し俯く。
「――どうかした? 刹那」
事務所から出て来たオーナーが、不思議そうに問い掛けて来る。しかし今、この顔をあげてはいけない。俺は「手洗いに行って来る」と告げて床を見やったままオーナーの隣を通り過ぎた。
無人のトイレに着いて、洗面台に手を置いた。そろりと顔をあげる。鏡にうつった自分の顔が、未だに熱を残していた。
ハレルヤとニールの仲を引き裂きたい、もう一度やり直したい――などという感情は、きっと、ない。
単純に嬉しかったのだ。自分のこともああやって、忘れず気にかけてくれることが。別れた相手だというのに、何一つ変わらず友人でいてくれることが。
(良過ぎると何度言えばあいつは分かるんだ……)
付き合っていた男と別れ、後悔という感情を残さなかったのは、ハレルヤが初めてだ。
残ったのは長い余韻。次の恋には少しばかり邪魔かもしれないが、俺はまだ、この余韻に浸かっていたいと思う。
end.
【彼は彼氏にベた惚れでした(S)
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