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【刹那さんの休日】


 朝七時数分前、キッチンに突然現れたのはスメラギだった。彼女の料理スキルの低さは知っていたし、つまり自分に用事があるのだろうと、刹那は「なんだ」と声を発した。

「いつも悪いわね、朝早くから食事つくらせて」
「構わない。好きでやっていることだ」

 七時には食堂にソレスタルビーイングの主なメンバーが集まる。それまでに食事を準備するのが刹那の日課だ。
 ソレスタルビーイング社内でも限りなくトップに近い刹那が、こうして食事を用意することを、周囲があまりよく思っていないのは明白だった。日々激務をこなす刹那に、少しでも多く睡眠をとって欲しいというのは皆の総意であったが、作りたいから作るという刹那を誰かが止めれるわけもなく。

「できた。向かうぞ」

 ワゴンを押してキッチンを出ていく刹那の背を追いながら、スメラギはちゃんと片されたキッチンを一瞥した。

「綺麗に片付けたのね。またメイド達の仕事が減るわ」
「食器を洗って貰っている」
「本来は料理も運搬もすべてメイドの仕事よ、刹那」

 刹那は少し眉間を寄せ、隣を歩いているスメラギを見やった。目が合ったことでスメラギは瞬きをし「あら」と呟く。

「もしかして気を悪くさせたかしら?」
「……好きでやっていると何度も言っている」
「分かってるわ。たまには休んでね、って言いたいの」

 適当に返事をした刹那は、食堂のドアを開けてスメラギを促す。
 ドアを抜けながらスメラギが「本当に分かったの?」と苦笑いをする。刹那はワゴンを押しながら深く頷く。

「そう、なら今日一日休んで頂戴」
「今日は平日、」
「関係ないわ。私が休みといったら休みよ」

 スメラギは人差し指を立て、反論する刹那を遮りはっきりと言った。

「ハレルヤも今日は休みみたいだから、二人で出掛けてらっしゃい」

 そして、ぽかんとしている刹那の胸元を指先でつつき、スメラギは口端をつりあげたのだった。






「わざわざ歩きで出なくてもよかったと思うが」
「たまには歩け」

 改札を抜け駅から出たところで、ハレルヤは歩みをやめて刹那に振り返った。

「どっか行きてぇとこあるかよ」
「どこか、と言われても……そうだな……」

 首を深めに折った状態で、顎に指をあてて刹那は考え込む。
 今日はガンダムの新作プラモデルが発売する日だということは分かっていたが、あんな変人ばかりの場所にハレルヤを連れて行って良いのだろうか――。
 黙考している刹那に、ハレルヤが「おい」と苦い顔をして話しかけた。

「今のあんたが考えていることくらい俺でも分かるぜ」
「そうか」
「案内してくれよ」

 すまない、と謝罪を述べようとしていた刹那にとって、ハレルヤのその言葉はいささか幻聴のようだった。

「だが、」
「あんたの趣味くらい理解してるつもりだ、引いたりしねぇよ」
「違う、そうじゃない。ハレルヤがこれくらいで引かないことなど分かっている」

 ハレルヤが目を丸くしている。
 どうやら、こちらの反応が想定の範囲外だったらしい。

「俺の行きつけのショップにはゲイがいる」
「はあ!?」
「今日はプラモの発売日だ。必ずあの男もやってくる」

 腕時計で時間を確認すれば、丁度ショップが開店した頃だった。今から行けば出会ってしまう可能性は高いが、案内してくれと言ってくれたハレルヤの想いを踏みにじるわけにもいかなかった。

「話しかけられても無視を決め込んでくれ」

 ハレルヤが口元を歪ませる。もしあの男にハレルヤが絡まれたら、自分が助けてやらなければならないが――できるだろうか。刹那は思わず眉をひそめた。



 ショップに入った途端、レジで話し込んでいた男が早足にやって来た。

「久しぶりだな少年!」

 真後ろにいたハレルヤがびくっと肩を跳び上がらせていたが、刹那は構うことなく前に出る。ここで自分が前に出てあの男の相手をしなければ、ハレルヤがロックオンされてしまう可能性があったからだ。

「グラハム・エーカー。俺はもう少年ではない」
「そうだったか。すまない、私としたことが――彼は?」

 グラハムの反応の速さに、刹那は内心で舌打ちをした。
 物珍しそうにプラモデルがたくさん置かれた棚を見るハレルヤを、グラハムが同じような瞳で見上げる。

「大学の後輩だ」
「後輩? そうは見えないが」
「よく言われる」

 一連の会話を聞き、ハレルヤが僅かだが事情を呑み込んだらしい。横目でアイコンタクトをしてやれば、分かっているよ、と云うように笑みをみせてくれる。

「先輩、それで新作の方はどれっすか」

 聞き慣れないハレルヤの敬語ににやけそうになるが、刹那は表情を変えずレジに向かって歩き出す。
 レジの奥で座っていた店長のビリー・カタギリが、すぐに椅子から腰をあげて微笑んだ。

「久しぶりだねセイエイくん」
「ああ。例の物は」
「勿論取ってあるさ」

 ビリーは後ろにある棚を向き、両腕を少し伸ばして三つの大きめの箱を順番にテーブルに置いた。三つともすべて同じパッケージ、心待ちにしていた本日発売のプラモデルである。

「ありが、」
「って、待てよ!!」

 隣に来たハレルヤが箱を確認し、焦燥感たっぷりに叫んだ。

「なんで同じの三つも買うんだよ!?」
「なぜ、と言われても」

 刹那はきょとんとハレルヤを見上げる。表情を蒼くしているハレルヤの肩を叩き、グラハムが「私が説明しよう」と言った。

「観賞用、保存用、そして実戦用だ」
「じ、実戦……?」

 ふっ、とグラハムが微笑を浮かべる。

「難なら私が身をもって教えてやっても、」
「遠慮する。行くぞ、ハレルヤ」

 プラモデルが一つずつ突っ込まれた三つの袋を左手に、右手にはハレルヤの手を握り、刹那はさっさとその場を去ろうと足を踏み出す。
 しかしその刹那の肩を、グラハムが思いきり掴んだ。

「冗談だ青年。私はすでに、君に心を奪われている」
「何度も聞いた」

 蒼白しているハレルヤと反し、刹那はほんの少しだけ笑う。
 その刹那の表情を見たのか否か、ハレルヤが何か言いたげに「あんた、」と小さく零し、その後の言葉を丸呑みしていた。



「――刹那、あんたさ、あの金髪のこと、」
「恋愛感情はない」

 迷いなく刹那はそう言い放つ。ハレルヤは安堵したのか胸を撫で下ろした。

 他のホビーショップも回っていたら、少し遅めの昼食になってしまった。しかし、ライルが紹介してくれたこのラーメン店で腹を満たすことはできそうだ。思っていたよりも何倍もおいしかった。

「勝手に後輩ということにしてすまなかった」
「ああ。ばれたくなかったんだろ?」

 刹那は、自分の隣に置いてあるプラモデルをちらりと見やり、こくりと首を縦に振る。

「ソレスタルビーイングの刹那・F・セイエイであるということを、どうしてもばらしたくなかったんだ」
「別にばれたところで変わらねぇと思うがな、あの人ら」
「それは実際にばれてみないと分からない。だから、ばれないに越したことはない」

 ずず、と塩ラーメンを一口すすってから、刹那は更に話を続けた。

「共通の趣味を持っている知り合いには、立場を考えずに接されたいんだ」

 黙って聞いていたハレルヤだったが、何か引っかかったことでもあったのか「あ?」と疑問の声を洩らす。

「あいつ一体何者だよ」
「ユニオンの次期社長候補だ。社内の立ち位置は俺と似ている」

 なんでユニオンのそんなのが、と凍り付いたハレルヤ。刹那は「だからよけい、ばれるわけにはいかない」と付け足す。

「あんた意外と交友範囲広ぇんだな」
「そんなことはない。顔だけ知っていて名前を覚えていない者がたくさんいる」

 チャーシューを口に含んだ刹那は、顔しか知らない友人達を思い浮かべ顔をしかめる。だが考えたところで名前が分かるはずもなく、刹那はすぐに思考を断った。
 無表情に戻ったことで、考えることをやめたのだとハレルヤにも伝わったらしい。彼はクッと笑っていた。

「じゃあさ、今日は立場も忘れてパーッと遊ぼうぜ」
「……ハレルヤといるときは元々立場など忘れている」

 ハレルヤが目を瞠る。それから照れ臭そうに「そりゃよかった」とはにかんだ。





 刹那とハレルヤが両手に大きめの紙袋をいくつも提げ、朝に最初に通った駅へ戻ってきたのは午後六時を回った頃だった。ここから住居まで徒歩十分ほどだ。
 丸一日刹那に振り回されたハレルヤは疲労の色を隠せておらず、刹那は申し訳なさに少し頭を下げた。

「すまなかった、一日中付き合わせて」
「いや、良いぜ……。あんた楽しそうだったしよ」
「ああ、楽しかった。やはり店に足を運ぶのは、その場で購入を検討するのが醍醐味だ」

 などと何度も口にしたことを改めて話していると、突如後ろから肩に手を置かれ、刹那はすぐに振り向いた。

「ライル・ディランディ?」
「おかえり、刹那、ハレルヤ」
「なぜ貴様が、」
「ハレルヤにメールを貰ったんだ。車出せってな」

 足にすんな、とライルがハレルヤを睨みつける。だがハレルヤは怯むことなく、ライルに荷物をすべて押し付けた。そして、駅の外に止まっていた車のドアを開け、後部座席を指差して刹那を見やる。

「今日のあんたは休みなんだ。後ろに乗って貰うぜ」
「あ、ああ。ライル、荷物くらいは俺が」
「遠慮せず先に乗ってくれ」

 十個はある箱を持ち、ライルがトランク側に回る。刹那が車に乗り込めば、ハレルヤがドアを閉めてトランクへ足を進めた。

「準備はできてんのか」
「勿論だ。できてなかったら迎えに来ねぇよ」

 ハレルヤがトランクを開け、荷物を入れるライルを手伝う。
 座席からそれを見ていた刹那は、やはり手伝おうと少し腰を浮かす。しかしハレルヤに『座っていろ』と目で訴えられた気がし、仕方なく座り直した。

「ははっ、いつも通りだな刹那」
「今はな」
「今? さっきまでは違ったのか?」
「ヒミツ」

 刹那を見て僅かに笑むハレルヤに、ライルは唇を尖らせる。

「言わねぇとキスするぜ」
「バカ言ってねぇで早く車出せ」

 トランクの蓋を勢いよく閉めたハレルヤは、さっさと助手席に回りドアに手を掛けた。

「俺は、今日の刹那ことを言うくらいなら、あんたに何でもされてやる」

 ライルは肩を竦めて「分かった。聞かねぇよ」と言ってから運転席のドアを開ける。
 それぞれシートに腰を落ち着かせた二人に、刹那は「ありがとう」と礼を述べた。

「それにしても、今日は何か特別なことでもあるのか?」

 刹那の問い掛けに、ハレルヤとライルが同時に振り向いた。ハレルヤはくくくと肩を震わせて笑い、ライルは驚愕に瞳を丸くする。

 心からの疑問だった。ずっと考えていたが答えは出て来なかった。
 なぜ突然休暇を貰えたのか、ハレルヤがこちらのわがままに何も言わずに付き合ってくれていたのか。

「な? 分かってねぇって言ったろ?」
「ほっ、本当に忘れてんのか!?」
「……何のことだ」

 むうっと表情を曇らせた刹那にプッと短く笑ったライルは、前を向いてハンドルを握る。

「自分のことになるとほんと無頓着だな」

 ライルはそう吐き捨てるように言ってからアクセルを踏んだ。走り出した車にハレルヤも前を向く。刹那は肘かけに肘をついて車窓に視線をやった。

 もやもやとした気持ちを解放したい一心で、今日について改めて思考してみるが、プラモデルの発売日だったということ以外の何かは出てこない。おそらく、それが嬉しすぎて他が霞んでしまっているのだろう。

 これは思い出せそうにないな、と刹那は諦めて溜め息を吐く。
 そう長く思索にふけっていたつもりもなかったが、いつの間に着いたらしく、車が正門を抜けてゆっくりと停止していった。

「んじゃ俺はこのまま車庫行くから」
「おう。サンキュー」
「ん。荷物任せたぜ」

 助手席を降りるハレルヤを見て、刹那もすぐに下車しようとドアを開け――ようとしたが、すでにドアは開け放たれていた。

「……ニール・ディランディ?」
「おかえり。待ってたぜ」

 これは本格的におかしい。刹那は戸惑いながら地に足をつけ、ニールを探るように下から見上げた。

「なんだ?」
「な、何か企んでいるのか」
「企むか。その通りかもな」

 ふっ、とニールが口元をゆるめる。企んでいるというが、それ以上の情報を渡す気はないらしいニールに、刹那は肩をおとす。

 乗車している人間がライルのみとなった車は、ハレルヤがトランクを閉じた音の後に車庫へ向かって走り出した。

「おい刹那!」

 名前を呼ばれて刹那が前の方を見やれば、プラモデルの山を業務用のワゴンに積み上げたハレルヤがいた。そのワゴンを押しながら、ハレルヤは刹那に質疑を放つ。

「これあんたの部屋やっときゃいいよな!」
「あ、ああ! 包装はそのままにしておいてくれ!」

 三秒ほど止まったハレルヤだったが、首を縦に振って家内に入って行く。ニールが「袋そのままで良かったのか?」と訊ねてきたことで、今し方ハレルヤが静止した理由が分かった。

「ああ。あの中には知り合いにあげようと思っている物もあるんだ」

 グラハムがずっと探していた希少価値の高いプラモデルを、中古ではあるが見つけたので衝動買いをしたのだ。彼がすでに手に入れていた場合も問題はない。自分の物にすればいいだけである。

「そりゃきっと喜ぶぜ」
「喜んで貰えれば俺も嬉しい」
「奇遇だな、俺らもだ」

 不思議そうな表情をしてニールを見やれば、彼に背中を叩かれて家内に入ることを促された。

「なぜだって訊かねぇのか?」
「言っても無駄だろう」

 すっかり諦めた刹那に、ニールは笑いを吹き出す。

 いつもは出迎えのメイド達がいる玄関先は静けさに満ちており、刹那は首を傾ける。少し前を歩いて行くニールに「こっちだ」と呼ばれ、不審がりながらもその背中を追った。

「ここは……」

 パーティールームの前に導かれ、ドアの前に立った際にそんなことが口から零れた。
 ニールがドアノブを少し押してすぐに身を引いた。それでも大きなドアは動き、ゆっくりと口を開けていく。

「――ハッピーバースデー!!」

 パンッ、というクラッカー音が何十発と響き渡り、刹那は目を見開いた状態で動けなくなる。

「なっ……」

 ソレスタルビーイングの面々が、パーティールームに揃っていた。室内にはいくつもの装飾されたテーブルが設置されており、おいしそうな食事がたくさん並んでいる。
 それらを目の当たりにしたことと、みんなが言った台詞に、刹那は今日が何の日かをやっと思い出す。

「俺の、誕生日だったのか……」
「まさか本当に忘れてたの?」

 スメラギが面白そうに刹那を覗き込む。それに正直に頷いた刹那に、室内にどっと笑いが起きた。

「本っ当に忘れてたんだー!」
「他のやつの誕生日は忘れねぇくせによ」

 クリスティナとラッセが笑いながら刹那に向かってそう言う。刹那は反論もせず――する気もなかったが――薄らと笑みを浮かべた。

「ありがとう、みんな。わざわざ俺のために」
「こちらこそ。いつもおいしい食事をありがと」

 はい、とスメラギが刹那へ、シャンパンがなみなみと注がれたグラスを差し出す。それを慎重に受け取った刹那を確認し、スメラギが「カンパーイ!」とグラスを高く掲げた。



「せ、刹那、」
「フェルト?」

 おずおずと歩み寄って来ていたフェルトが、刹那の前で両足をそろえてとまった。

「乾杯していいかな? まだ、してないよね。私と刹那では」
「ああ、そうだったな」

 かちんとグラスを当て合い、お互い一口飲む。刹那はシャンパン、フェルトはオレンジジュースだった。
 パーティールームの隅で、二人は騒がしい室内をぼーっと眺めながら、何度か飲み物を口にする。そして五度目のそれの後、口を開いたのはフェルトだった。

「……ハレルヤとのデートは楽しかった?」
「デート?」

 不安そうに訊ねてきたフェルトに疑問形で返せば、フェルトは「みんな言ってた」と付け加えた。

「デート……ではなかったと思うが」
「ほんと?」
「もしデートだとしたらあの双子が黙っていない」

 フェルトはハッとしたのか「そ、そうだねっ」と少しばかり目を輝かせながら応答する。あまりの急変ように刹那はたまらず笑ってしまい、手の甲で口元を隠す。

「だがハレルヤには、今まで見せていなかったところまで見せた」
「ど、どこ?」

 どこ、とはおかしな質問だ。刹那はシャンパンを一口飲み、グラスに口をつけたまま数秒黙考した。

「そうだな」

 真っ直ぐにこちらを見上げてくるフェルトを一瞥し、恥ずかしさにすぐ目線を正面に変える。

「次の休暇はフェルトと一緒に貰えるよう、スメラギ・李・ノリエガに俺から頼んでおく」

 フェルトがグラスをきゅっと握る。彼女は深く深く何度も頷いていたが、真っ赤にした顔を隠すように、最後には俯いてしまった。
 ぴくりとも動かなくなってしまったフェルトにつられ、刹那も言葉を発せなくなる。

 そんな二人を助けにいこうか、はたまたからかいにいこうか――周囲の人間が楽しんでいることに、二人が気付くことはない。
 そして、誕生日プレゼントである新作プラモデル(観賞用、保存用)をいつ手渡すか、いつ打ち明けるかについて皆が悩んでいることに、刹那が気付いたのは数時間後のこととなる。


end.

【刹那さんの休日/100408】




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