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【トモダチごっこ】


 ハレルヤ・ハプティズムが目を丸くしたのは、刹那・F・セイエイが道場の更衣室に入った瞬間だった。

「どうかしたか、ハレルヤ」
「いや、おめぇこそ。今日九日だろうが」

 刹那は専用のロッカーを開け、肩に担いでいた剣道用の大きめのバックを下ろした。その中には、部活のために持ち運びをしている、愛用の剣道具が入っている。ついでに勉強道具も一式揃っていた。
 高校三年のこんな時期でも部活をやめていないのは、それが生き甲斐であり趣味であり学校へ行く意義であるからで――推薦を貰えたということが一番の理由だが。

「今日、こっちで練習試合があると言っていただろう。来れるようなら来いとも。だから部活は休んで来た」
「そりゃ確かに言ったが……」

 黒色の袴の袖を揺らし、ハレルヤは頭をがしがしと掻く。いつも右手の薬指に付けている、シルバーのリングは見当たらなかった。すっかり気持ちは剣道へ向いているらしい。
 そんな彼の表情は気まずそうで、刹那は不審に眉をひそめる。

「何か不都合でもあるのか」
「おめぇ本当に日付分かってんのか?」
「十二月九日だろう。それがどうかしたのか」
「はあ?」

 分かり合えていない。
 刹那はそう思った。故に、分かり合わなければ、という想いで真っ直ぐハレルヤを見やる。

「……確認だ。あのクソ眼鏡とはまだ別れてねぇんだよなぁ」
「ああ。前年度の三学期から今まで、安定した付き合いをしている」
「本当に今日が何の日か知らねぇのか?」

 刹那はハレルヤを見上げて「いや」と答えた。

「知っている。今日はティエリアの誕生日の前日だ」
「……は?」
「分かっている。忘れているわけでは、」
「あいつの誕生日今日だぜ?」

 室内に刹那が現れたときのハレルヤ以上に、刹那は目を剥いた。同時に心臓を鷲掴みにされたような、息の詰まる感覚に、時間までも止まった気分になる。

「だ、だが俺はティエリアから十日だと、聞いたっ」
「それを聞く前に、九日に練習試合があることを言ったんじゃねぇか?」

 刹那は顔を俯けて思考する。
 十二月三日、練習試合の決定に喜び、ティエリアへいち早く報告する自分を思い出す。ティエリアはその前に、何かを言い掛けていたと思う。直後に追求すれば、ちょうど来週十九歳になるのだと告げられた。

「……どうすんだぁ、刹那」

 ハレルヤが苦笑いを浮かべている。こちらの顔色がひどく悪いせいもあるのだろう。刹那は更に頭を下げ、表情を隠した。

「何なら練習に来てる奴らに代行して貰えよ」
「……いや、必要ない」

 ブレザーを脱いでハンガーに掛ける。元よりネクタイをしないため、次に刹那はカッターシャツのボタンに手をやった。

「会わねぇのか」
「ティエリアがそれを望んでいるのなら、俺もそれで構わない」

 望んでるねぇ、とハレルヤはぼやいてロッカーを閉める。――そのロッカーが閉まったと同時に、開いたのは更衣室の扉だった。

「入ってよかったか?」

 突然姿を見せたのはニール・ディランディだった。ハレルヤ同様、刹那にとっては一つ年上の先輩にあたる。道場の生徒ではない彼だが、練習試合があるときは時々、こうして見学へ訪れていた。

「バイトは?」
「急遽ラッセに代わって貰った。今度なにか奢ることになっちまったが」

 暖かそうなジャケットの首元を少し開けながら、ニールは言って微笑む。
 ああ、この顔は。と思い、刹那はハレルヤへ横目をやった。
 予想通り、彼は普段見せない表情をしていた。ほんの少しの間ではあるが、この瞬間が唯一、ハレルヤに柔和という熟語が使えるときである。

「俺が勝ったらなんか奢れよ」
「お前さんが負けたとこ見たことねぇ」

 ははっ、とニールが笑い声をたてる。

 ハレルヤとニールは、関係を知っている人物しかいない場でも、不必要に『恋人』をしない。あくまで親友のように、距離を保ち、言葉も選ぶ。
 気を遣わなくていいとハレルヤに言ったこともあるが、遣った覚えはないと笑われた。

「ああそういや、二十四日は夜十時までバイト、入れてよかったんだよな?」
「ああ。他の奴らもどうせバイト終わってから集まるだろうし」
「オーケイ。ま、実際一人身じゃねぇんだが」

 刹那は黙々と着替えながら思考を進める。クリスマス付近の日程を確認し合う二人は、やはり良き友人でしかないように思えた。

 恋人をしないことで相手を守っているのだと、気付いたのはわりと最近だった。
 だから、ニールは刹那にとって憧れだった。
 人前でハレルヤを恋人扱いしないことで、男としての彼を守っているニールは、最も恋人らしかったのだ。

 自分もティエリアを、そういうふうに守りたいと、思っている。
 しかし自分には、ティエリアとの間に、一枚の壁を作ることはできなかった。
 彼が大学生になってしまった今、会う機会は極端に減り、傍にいれるときはずっと恋人でありたいというのが本心だ。

(とてもニール・ディランディのようには立ち回れない)

 嫌味にもとれる尊敬の言葉を胸中に吐き、刹那はふうとため息を洩らした。

 不意に携帯が鳴ったのはその時だった。ハレルヤのロッカーから、何の変哲もない着信音が聞こえる。

「げ、電源切ってねぇ」

 ロッカーを再び開け、ジャケットに突っ込んだままだった携帯を手にしたハレルヤは、画面を確認して舌打ちをした。

「どうした?」

 あからさまに機嫌を悪くしたハレルヤへ、最初に質問をしたのはニールだった。
 ハレルヤは通話ボタンを押す直前に応える。こちらを見下ろしながら。

「ティエリア」

 と。

 刹那は思わず目をみはり、ティ、と口を形作った。それを見たハレルヤは口元に指を立てて、静かにしていろという命を示す。
 きょとんとしたニールも、何かを振られるまでは存在を隠していなければいけないことを悟ったのか、口を引き結んでいた。

「家だ。――刹那ならまだ来てねぇが」

 今どこにいる、刹那はもう道場へ来ているか。という疑問を、ティエリアが口にしたのだろうと刹那は推測する。

「またくだらねぇ嘘をつきやがる」

 ティエリアを嘲笑したハレルヤは「へいへい」と面倒臭そうに返事をすると、刹那を一瞥してから背を向けた。見慣れた後ろ姿から視線を外し、刹那はぎゅっと拳を握る。

「誕生日おめでとーございます」

 ハレルヤが、実は一日間違えて覚えていた、という可能性が砕かれる。会話のテンポが何一つ変わらなかったからだ。

 固い拳をそのままに、ハレルヤの声を聞く。今日は無理だが後日何か奢るだの、二千円以内にしろだの、いつにするかはまたメールするだの――まるで恋人のようで、嫉妬を抱いてしまう内容だった。

 会話の合間で、ハレルヤが密かにニールをかいま見たことを刹那は気付いた。ニールは携帯をいじっていてそれに気付いてはいなかったが。

「おう、その内言う」

 何度かの相づちの後、息をついて携帯を閉じたハレルヤは、すぐに刹那へ振り向くと「刹那」と、若干苛立ちがこもっている声で言った。

「このまま試合に出ろ。眼鏡もそれがいいらしい。俺に釘まで差してきやがった」
「おいおい、ティエリアのやつ何考えてんだ?」
「知るかよ。刹那のためだだの、くだらねぇこと言ってたぜ」

 ハレルヤが、電源を切った携帯をロッカーに投げ入れる。私服に携帯がダイブしたことを確認する間もなく、ハレルヤは少し乱暴にロッカーを閉じた。






 試合は散々だった。高校でも道場でも勝ち続けていたというのに――ハレルヤやアレルヤが相手のときはカウントしない――こんなところで連勝がストップしてしまうとは。

 考えをあまり巡らせる前に着替え終わった刹那は、大きなバッグを肩に掛け、一人きりの更衣室から去ろうと扉を横に引く。
 他の皆は、先生に指導を受けているのだろう――顔面が固い胸板に当たったのは、そう思考したときだった。

「……っ!」
「っ何してる! 前見やがれ!」

 頭上からした怒鳴り声はハレルヤのものだった。
 刹那は鼻頭を撫でながら、出端を折られた、と内心思った。しかし、そう口に出してもいいくらい、考えは固まっていたのかと問われれば答えはノーである。

「すまない。これからティエリアの元へ行こうと焦っていた」
「あ?」
「今日も良い試合を見せて貰った。ありがとう、ハレルヤ」

 それだけ言ってハレルヤの隣を通り過ぎようとするが、彼がそれを許してはくれなかった。肩を右手で押され、更衣室に押し戻される。

「やめとけ。明日にしろよ」
「それでは駄目だ」
「あいつの中ではうまくいってる、合わせてやれって言ってんだよ」
「このままお互い嘘をつき続けることが、ティエリアのためになるとは思えない」

 ぎっ、とハレルヤがなぜか口端を噛む。

「ティエリアと俺は恋人だ。ハレルヤに言えることを俺に隠すのは、おかしいと思う」

 あのハレルヤが一切反論しないことに刹那は驚く。理由は分からないが、今ならいけると思った。
 突っ立っているハレルヤの隣を抜け「口を滑らせてくれたこと、感謝する」と今日会ったときのことへ対し礼を言った。

「おっ、お急ぎかい」
「ああ」

 更衣室のすぐそこまで来ていたニールとすれ違う。紫色のマフラーを巻きながら、刹那は場内を進んだ。

「刹那?」
「急ぎの用か?」
「ああ、急いでいる」
「そう、お疲れさま」

 セルゲイ・スミルノフ先生から指導を受けているソーマやアレルヤ。他の生徒の姿もあった。

「あっ、刹那、ハレルヤは道場にいる?」
「更衣室にいる」

 人数分のペットボトルが入ったカゴを抱えてきたマリーとも会話を交わし、刹那は走った。

 道場を抜けて渡り廊下を通り、玄関でズックを履いて外に出た。白い息が黒い空に吸い込まれていく。
 冷えた手でポケットから携帯を取り出すが、着信が入っていたという表示はなかった。そして同時に、電源を切っていなかったことを知り、今日の自分からどれだけ剣道が抜け落ちていたのかを自覚した。






 刹那がティエリアへ電話を掛けたのは、彼が住んでいるアパートの手前に到着したときだった。各階五部屋ずつある三階建てアパートの角部屋を見上げながら、刹那は「ティエリア」と恋人の名を口にする。

『どうした、刹那』
「練習試合を終えてすぐに来た」
『そうか。勝敗は聞くまでもないといったところか』
「いや、今日は負けてしまった」

 え、とティエリアが驚きに声を洩らした。刹那は止めていた足を動かし、アパートの出入り口に立つ。

「今ティエリアのアパートの前にいる。部屋に上がらせて貰っても構わないか」
『か、構わないが――』
「ありがとう」

 ティエリアの応答を聞きながら、刹那はパネルに305を入力する。そしてインターホンを鳴らせば、305号室の住人であるティエリアがそれに応えてくれた。開いたアパートの自動ドアを抜け、階段を駆け上がる。冬の夜風が冷たかった。

 何度も訪れている305号室の前で、刹那は一度深呼吸をする。
 そしてチャイムに手をやった――ところで、ドアがゆっくりと押し開けられ、ティエリアが顔を覗かせた。

「足音が聞こえた。寒いだろう、早く入るといい」

 刹那は、自身よりも少しばかり背の高いティエリアを上目遣いで見据え「すまない」と一礼してから玄関に入る。
 ピンクのカーディガンを着ているティエリアは普段通りだった。その様からは、今日が特別だということは一切窺えない。刹那は痛む胸に顔を顰める。

「負けるとは君らしくないな」
「ティエリアのことを考えていた」
「……僕のせいにするな」

 部屋は平常と変わらず綺麗だった。綺麗、というよりも物が少ないのだが。プラモデルが並ぶ刹那の部屋とは違い、ティエリアの部屋には趣味の物が一つもなかった。本人いわく趣味がないのではなく、勉学に励むことが趣味らしい。

「ココアでも飲むか?」
「いや、必要ない。それより――」

 刹那はデスクにある電波時計で時間を確認する。
 十二月九日、午後九時三十五分。

「誕生日おめでとう、ティエリア」

 ティエリアが眼鏡の下の大きな瞳を丸くする。祝いの言葉を口にできたことへの満足感と安心感で、無意識で刹那は口元を緩めた。

「……ハレルヤから聞いたのか」
「俺が知っているものだと思って言ってきた」
「なっ、電話で釘を差してっ、」
「あの時すでに、俺はその場にいた」

 突っ立っていたティエリアが、のろのろとベッドに座る。表情は不機嫌そのもので、口をへの字に曲げているようにも見えた。

「俺のために我慢してくれているティエリアを想って、ハレルヤの言う通り、騙され続けるのも有りだった」

 刹那はバックを下ろしてから、ティエリアの隣に手をついてみる。拒まないティエリアに安堵しながら、そのまま傍に腰を下ろした。

「しかし、ハレルヤが知っていることを、俺が知らないのはおかしいと思った」

 淡々と想いを声にし、分かり合っていく。
 特別な日だというのに、いつも通りの自分達は、変だろうか。

 触れ掛けていた手に触れ、ぎゅうと握り締める。いつもは冷たいティエリアの手が暖かく感じるのは、自分がつい先程まで外にいたからだろう。

「君が、プラモデルと剣道に熱心過ぎるのが悪い」
「プラモデルと剣道とティエリアだ」

 刹那はティエリアの体重を肩に感じ、恋人が寄りかかってきたことを知った。マフラーに頭を少し埋めたティエリアが、ゆっくりと目蓋を下ろす。

「不愉快な順番だ」
「プラモデルとティエリアと剣道だ」
「冗談だよ」

 ふっ、とティエリアが微笑する。

 直後ティエリアは、右手を前に伸ばして、何やら指を注視した。刹那は首を傾げ「どうした?」と問い掛ける。

「恋人が知らず、僕が知っていることといえば、これだ」

 見えない指輪がそこにはあるようだった。

「ハレルヤが、ニールに貰った指輪を無くしたらしい」

 だから様子がおかしかったのか、と一つの疑問への答えが出る。

 刹那は、ティエリアの手の甲に手を重ね、男のわりには細い薬指を撫でた。

「ティエリアは、俺からそういうものを貰えたら嬉しいか」
「当然だ。僕は君の恋人だ」

 ティエリアが口端を持ち上げて笑む。絡ませていた手を放し、弱い力で肩を押して顔を合わせる。あまりにも近い距離に、自分がこれからどうしたいかを、考えるよりも先に理解していた。

「ティエリア」

 刹那は恋人の眼鏡をそっと外して、真っ直ぐにティエリアを見つめる。赤くなった頬がすぐに分かった。

「ありがとう、刹那」

 小さく小さく口を動かしティエリアはそう言って、紫色のマフラーに両手を掛けたのだった。






 ハレルヤと次会ったのは、あれから三日後の日曜日だった。早く剣道がしたいという想いで、少し早めに道場に着いた午前八時頃。
 更衣室に入った途端、よくここで見る男の袴姿にギクリとした。まさか先客がいるとは思わなかった。

「早いな」
「午後から出掛ける」

 うんと背伸びをしたハレルヤを見上げれば、右手の薬指に光る物が――無かった。刹那はティエリアの言っていたことを思い出し、本当に無くしてしまったのか、と顔を曇らせる。

「なに変な顔してんだぁ」
「……ティエリアから聞いた、指輪を無くしたと」

 そうだというのに、三日前の違和感はもうなかった。この数日の間で吹っ切れてしまったのか。そんな簡単に吹っ切れられてしまっては、恋人のニールが可哀想である。

 顔を俯けて思考していた刹那は「ああ、あれか」というハレルヤの声につられるように顔を上げた。

「おめぇがティエリアんとこ行ったすぐ後に、マリーが見つけてきてくれてよ」
「本当か?」
「こんな嘘ついてどうする」

 風呂場にあったんだとよ、とハレルヤは付け加えた。

 刹那は今一度ハレルヤの薬指を見やり、やはりどちらの手にも無いことを確認する。その視線に気付いたのか、ハレルヤは首元をとんとんと指で叩いた。

「あいつが、こっちなら失くさねぇだろっつって押し付けてきやがった」

 そこにはリング型のシルバーアクセサリーがあった。見覚えがある、と刹那は思う。記憶は掘り起こすまでもなく出てきた、あれは以前までニールが身に付けていた物だ。

 揃いの物ではないが、おそらく同じブランドのものだろうとは予想がついた。そして、ハレルヤが元々していた指輪が、今はニールの元にあるのだろうということも。

「……惚気か」

 刹那は若干顔を下に向けてぼやく。普段のハレルヤならすぐに、そんなわけがないと返してくるのだが――暫し経ってもこない返事に、眉を寄せて刹那は顔をもちあげた。

「…………惚気だ」

 ハレルヤが、らしくなく弱々しい声でそう言った。照れのあまり声が張れなかったのだろう。

 ティエリアにプレゼントを渡したとして、こんなふうにハレルヤの前で惚気られるのか――そう思うと、渡したいが渡したくない、などという変な矛盾が心に起きた。

(俺はティエリアの恋人だ)

 誰よりもティエリアのことを知っていたい、そう刹那は思い、ハレルヤを睨み上げたのだった。


end.

【トモダチごっこ/101213】




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