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パンドラの海、罪人は沈む。





あれから何度、季節は巡っただろう。
あれから何度、おまえを思い返しただろう。

あとどれだけの孤独を乗り越えたなら、オレは出逢えるのだろう。



オレだけの太陽に――――。


【act.2:一輪の薔薇と、咎の証】






また、独りの夜がきた。
時折そよぐ風に撫でられ葉擦れの音色が駆けて行く。しん、と静まり返ったこの山には人など住んでは居ないのだ。
今夜も何をするでもなく山を歩き回る。日中は外へ出られないからこうして、知らないモノ等有りはしないのに毎日散歩を繰り返す。

いつもの様に決まった道を歩いていると、何かを感じ取る。空気の乱れに、酷く濃い――血の臭い。誘われるままにその方向へと向かうと、一人の男を見付けた。艶やかな漆黒の髪と、赤く染まる白いシャツに浅い息遣い……あの伏せられた瞼の下には一体、何色の瞳が隠れているのだろうか。


「なあ、おまえ死ぬのかぁ?」

気が付けば声を掛けていた。声に反応し、目を開く男の瞳は――濡れながらに燃える、焔の様な緋だった。ああ、なんて美しいのだろう。
オレの存在に気が付くと、気配や息遣いががらりと変わった。苦し気な素振りを少しも見せずに時折、吐息を溢す程度。向けられた瞳からも奴の放つ統べる者の独裁的なオーラからも、強い意志を感じる。
強烈な光を放つ燃える様な紅の瞳から伝わる拒絶の色に、男の中に自分の姿を垣間見た気がした。――欲しいと、細胞が涸渇した。血が騒ぐ。

「……べらべらと、うるせぇんだよ」

何度目かの投げ掛けに返されたのは――低く、それでいて色の有る声で。想像していた通りの魅惑的な音色に、自然と顔が笑う。ああ、いつぶりに笑ったのだろう。久方ぶりにも関わらず、顔面の筋肉は正常に動いた。
一度聴けば二度、三度と先が欲しくなる。もっと鼓膜の奥深くまで……身体は欲求に忠実に、膝を折り、男と距離を詰めた。目線を合わせて宝石の様なその深緋を覗き込み、次にはその身を案じていた。こんな極上の男がそう簡単に死んでいいはずがない。
そう思ったらもう、止まらなかった。我が物にしたいと肉体的欲求等ではなく、本能にも似たそれが騒ぎ立て衝動に突き動かされる。獣が傷を癒すかの様に、持ちうる限りの慈愛を尽くし傷付き血を纏う肌を洗った。丁寧に、丁寧に、この男に降り注ぐ痛みを拭い去った。
生まれて初めて自分が人ではない事を喜んだ。生まれて初めて、命を繋ぎ止めた。奪う事しか知らなかったこのオレが、出逢ったばかりの男を。

知らなかった感情が芽生え始めた事に気付く。








「……本当に、いいんだな?」
「それで何度目だ」

傷を治したからか幾分顔色を戻した男の胸に凭れながら、何度目かの問いを投げ掛ける。いい加減うんざりした様子で溜息混じりに答えるこいつの指先は、優しくオレの髪を撫でていく。心地良さと比例して募る、仄かな胸の痛みは警告音を鳴らす。――だからオレは“覚悟”した。


「出逢ったばかりでこんな事を言ったら気味悪がるかもしれねぇが、オレはおまえが欲しい。好きだ……きっと明日はもっと好きになる、明後日はもっと。誰にもやりたくねえ、閉じ込めてしまいたい」

おまえを失うのが恐いんだとは、どうしても言えなかった。オレにはまだ“あいつ”の事を話す覚悟は出来て居なかったから。
不安な心情を隠す様に、瞼を伏せる。

「好きにすりゃあいい」
「これは監禁だぁ……一生、オレに縛りたい」
「縛れよ、――そんでてめーもオレに縛られろ、“死んでも”だ」

……嗚呼。この聡い男は何処までオレを見抜いて居るのだろう。まだ何一つ教えては居ないのに。
凭れていた頭を起こし、瞳を覗く。濡れた様に燃える深紅は冷たさも主張し、その二面性が惹き付けて離さない。深く吸い込まれる様な、それでいて奥深くまで全てを暴かれる様な、そんな危うさが堪らなく心地いい。

「名前……知りてぇ」
「――XANXUSだ」
「XANXUS……XANXUS……いい名前だぁ」

「おい、てめえこそ教えやがれ」





「あぁそうか、悪ぃ……オレの名前はスクアーロ、S・スクアーロだぁ」
「スクアーロ、か……はっ、大層な名前だな」

鮫、か……悪くねえ名前だ。この男特有の傲慢さを称えた笑みにも相応しく、妙に納得する。もう一度囁く様にオレの名を呟くと、触れるばかりの口付けを寄越し腰を浮かせた。それからオレの隣に落ち着き、やんわりとその膝へ招く。されるがままに頭を預けると忘れ掛けていた睡魔が、急速にオレの意識を蝕んだ。見越したとばかりに奴のひんやりと冷たい手がそっと目を覆い隠す。こんなに眠るのを拒否したくなったのは初めてだ。

「大丈夫だぁ……大丈夫だから、今は眠れ……起きたら二人だけの城だ」
「……寝る」
「ああ、おやすみXANXUS……愛しき者」

穏やかな眠りを誘うだろう甘い囁きを最後に、オレは意識を手放した。
唇に羽根が触れる様な、細やかな口付けを感じながら。








意識が覚醒したと同時に背に当たる軟らかな弾力から、それが寝台であると覚る。身体に痛みは無いにしろ、相当な血を流した為に気怠さは拭えず思わずと眉を寄せる。瞼から透けて染み込む様な陽射しを受け、仕方無しにと目を開けて起き上がると部屋には誰も居なかった。
絨毯の敷かれた床へ足を下ろし、ゆっくりと立ち上がる。側に在る窓を覗くと眼下には庭が見えた。薔薇園か何かだろう。室内の装飾や調度品の質を見ても目を見張る物が有り、なかなかの年代物であると見て取れる。
この部屋はきっと、奴の部屋だろう。二人だけの城と言って居たが、この分だと本当に“城”である可能性が出てきた。――奴は一体何者だ。

「XANXUS、おはよう。ごめんなぁ席外してて……メシの支度してたんだ」
「今起きたばかりだから構わねぇ」

小さな音を立てて扉は開き、望んでいた銀を見付ける。昨夜と違い片側で束ねられた髪は胸元を垂れ、首が無防備に曝されている。顔には昨夜と変わらぬ笑みを乗せ、捲ったままのシャツの袖口をちょい、と掲げて見せた。その左腕を見た所で、目は止まる。包帯を巻いたその上から黒い手袋を着けている。昨夜は気付かなかったそれに、新たな好奇心が芽生えた。

「ん゛ん?あぁ、これかぁ……そうだなあ、話しておかねぇとだな」
「無理に話さなくてもいい」

本心だった。オレにはこいつが、例え何者であったとしても手放すつもりは――無いのだから。


「そうじゃねぇ、オレは先におまえにメシ食わせてぇんだよ」
「なら食いながら聞いてやる」

そう促すと奴は出来上がった料理を配膳台に乗せて運んで来た。スープの鍋に肉料理とサラダ、パスタの入った鍋。ずっと一人きりで暮らしていたのだろう、小柄な鍋は良く使い込まれている様だった。

「ベッドから出ても辛くねぇ?大丈夫ならこっちのテーブルでいい?」
「あぁ、構わねえ」
「ん」

席に付き、甲斐甲斐しく料理を皿に盛り付けていく男を眺めた。目が合えば“もうちょいな”と笑い掛けてくる。
そんな些細な仕草にすら、胸の内は満たされた。




「――んじゃあ、適当に食いながら聞いてくれぇ。……昨日も言ったが、オレは人間じゃない。だが、自らを的確に表す言葉が見付からねえ……月の出る夜、オレ達は生まれる。オレの場合は満月だった。月の満ち欠けで力の強さは決まり、オレは畏れられ、忌むべき存在であると――早い話が村八分にされていた。それはこの髪のせいでもある。白に限りなく近い銀を宿すオレは、言い伝えられてきた白魘(はくえん)という者だと思われていた。災いを招くとされている、終焉を魅せる悪魔とでも言うのか……オレは他人へ干渉する気もなかったから此処へ隠居してきた」
「なるほどな、……此処へ住んでいる経緯はわかった」

向き合う形で席に付いたあいつは瞳で食事を薦めながら自らもそれに手を付けた。食が細いのか、あまり手は動かさずに向かいに座るオレを見詰め嬉しそうに目を細める。語られる言葉とそれは、酷く不釣り合いだった。

「オレ達はひどく人に似ている。生まれた姿も人間の赤ん坊と変わらず、人でいう成人くらいまでは成長スピードも同じくらいだ。だが、成人以降は大体5倍から7倍くらい遅くなる。力の強さに関わるらしいから、オレの場合はきっともっと遅い。――そして、この……左手、」

カチャ、と手にしていたフォークを皿へと預け、徐に手袋を外した。丁寧に巻かれた包帯をゆっくりと解いていくその動作を、ただ言葉も無く眺める。外気に曝された奴の手は、手首から上が人のそれではなかった。白くて滑らかな骨が浮き彫りになり、それらは緩く螺旋を象る。手の甲の真ん中辺りには蒼い宝石の様なものが埋め込まれ、静かな光を湛えて煌めく。

「この手は何でも破壊してきた。切り裂き、握り潰し、命を摘み取る度に蒼く輝きオレの時を止める。……でも、オレはまだマシだった。変異で片手しかなかったから、おまえに右手で触れることが出来る。オレはそのことが、堪らなく嬉しい……嬉しいんだぁ……」

寄せた眉間を僅かに持ち上げ困った様に笑うこの男が、何故か泣いている様に見えて――気付いたら席を立ち、奴を抱き締めていた。腕の中に閉じ込めたそれは酷く狼狽えて“危ねぇだろ”と左手を遠ざけながら、恐る恐ると弱々しく凭れ掛かってきた。背に回された右手は緩く、オレのシャツを握って小さく吐息を溢す。


「XANXUS……」
「どうした」
「好き……おまえのことが、好きだぁ……オレ、どうしたらいい?」

「どうもしなくていい。ただ、オレのモンになればいい。それだけでいい……出来るな?――スクアーロ」
「出来る……XANXUS、オレをおまえのモンにしてくれ」

見上げてくる瞳は熱を帯びながら昨夜と同じく微かな感傷が浮かび、複雑な光彩を湛えていた。それが酷く儚げで、愛おしいとさえ思った。
オレはこいつを――スクアーロの事を愛し始めていた。





「う゛ぁっ、あ……ァ、あっ、」
「泣くな、スクアーロ……好きだ、おまえのことが好きだ」
「XANXUS……うれし、ッ……はぁっ、好きだぁ……ん゛、ぅ……」

繋がる箇所は焼け付く様に熱く、濡れながらに燃える奴の瞳の様だ。
熱くて、苦しくて、……そして愛おしくて、涙が零れる。心が果てるかの様に酷く欲情し、また焦がれる程に歓喜に奮えた。
放さない。離さない。


やっと見付けた、――オレだけの太陽。
オレだけの……。








枯れた園に、一輪の薔薇が咲いた。
紅く、朱く、緋く。


罪人は咎を忘れ、その薔薇を愛した。
酷く、愛した。
囚われたままの過去へ鍵を掛け、新たな決意を胸に。







薔薇はまだ、知らない。



――2009.10.20.

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