04
ぎいぎいと五月蝿い壊れかけのハシゴを登りきると、そこは案外広かった。
ピカピカとまではいかないが、掃除されたかのようにホコリもゴミもくもの巣も鳥のフンも散在していない。
おおよそ五階の位置にあるここは、眺めも非常に良い。
「いらっしゃい」
胡坐をかく脚に、両肘を乗せて頬杖をついている少年――うずまきナルト――はにこっと笑った。
おおきな瞳がきゅっと細まり、目の下の涙袋がぷくりとする。綺麗に弧を描く唇。
――まぁ、あいもかわらず、きれいなお顔でいらっしゃいますな。
そして、ポツポツと血ぬれのシャツ。結ばれていないネクタイ。
こちらとしては衝撃的に覚えてあるのだが、目の前の美少年はきっと自分のことなどすこしたりとも記憶にないだろう。
冷静に見受けるシカマルだが、とりあえず、ため息を共に少年の隣に腰を下ろした。
「……どうも」
「わりぃーね。ちょっとこれ、放課後までにやんなきゃヤバイもんで」
片方の頬杖を崩して、広げられた数学のプリントをきれいに並べる。五枚あった。
だが、どれも消した跡すらない白紙(名前だけでかでかと書かれてはいる)だ。
「あ。オレ、うずまきナルトっていうんだけど、アンタは?」
「奈良シカマル」
「シカマルね、よろしく」
適当に返事をして呟くと、仲良く並んでいるプリントに目を配せる。
「…で。どこがわかんねえの」
「んー?…ここと、ここと、ここと…」
「全部じゃねえか!」
トントンと華奢な指先で示すのは、[問一]から[問三]までの、つまりすべての問題だった。
問一なんかは中学のときに習ったような基本中の基本だ。
ハハ、と苦笑まじりに舌を出すナルト。
「まあ、そういうことだってば」
「……よくそれで進学できたな…」
シカマルはまた大きな空気をひとつ吐き出してから、ゆるりとプリントの解説を始めた。
「…で、ここはこうなる」
「……こう?」
「そう」
ふらふらと彷徨っていた鉛筆の先が、意志を持って動いた。
空白だった用紙に段々と文字が埋まっていく。ようやく、プリントの一枚目が終えるところだ。
「……できた!」
「ん、どれ…………おお、合ってんよ」
「まじで?! 数学解けたのなんて足し算以来だってば!」
「……まじでか……」
もはや数学という以前にそれは算数なのではないか、と思う。
隣でプリントを覗き込んでいた少年は、ふいにその眼差しをシカマルに向けた。尊敬の念がこもる。
「オマエってばすっげー頭いいんだな! 教え方もうめーし」
「…べつに、普通だろ」
「フツウじゃねーよ! これだってシカマルのおかげで出来たんだし!」
「それは俺の成果じゃねーよ。……ナルトががんばったからだろ」
「オレ?」
「オマエ物覚えはいいんだよ。やれば、出来るんだからさ」
がいに、要点だけを簡単に教えただけでナルトはすらすらとコツを掴んで解いていた。
きょとん、と小首を傾げていたが、
「……そんなこと言われたの初めてだってば」
「ふうん?」
「…シカマルってやさしーんだな」
ちょっぴり困ったような、照れたような、そんな表情が一瞬あった。
だがすぐに屈託なくニコっと微笑んでシカマルを見上げる。瞳の虹彩が光に反射してキラリと輝いた。
「……べつに」
直視して、かあっと頭に血が登る。なぜかまた、あの「ドキ」が心臓に直撃したような気がした。
ありえねーと振り払いつつ、話題を切り替えるために視線を階下にそらした。
「そういや…どうやってここ、来たんだ?」
立ち入り禁止だろ、と言うまでもなくわかりきったことを問う。ナルトはポケットから針金のようなものを取り出した。
「これ、オレの合鍵」
「ピッキングか」
くすくすとしながら、お手玉のようにして投げて、落とす。
幾度か弧を描くそれを眺めていると、ふいにポイッと投げて寄越された。
シカマルが反射的に手のひらを差し出すと、ちょうどいい位置に収まる”合鍵”。
「……なに」
「あげる。それ、鍵穴に入れてちょっと右に回してくるっとすればすぐに開く」
「……」
オレはもうひとつあるから、と付け足したところで、予鈴の音楽がすぐ近くでのんびりと鳴りだした。
ピアノでもオルゴールの音色でもない、籠もった音のどこかもの悲しい曲だ。
「そのかわり」
その旋律に混ざるように、ナルトの溌剌とした声が聞えてきた。
「これからも勉強教えてくれねぇ?」
「……数学?」
「それもだけど。理科とか日本史とか……あと、英語も。いろいろ溜まってて大変なんだよな」
なぜどのようにしたら課題が溜まっていくのかはうかがい知れないが、
「なあ、お願い! いいだろ?」
とグイグイ腕を引っ張ってくるのにはさすがに困窮する。
纏わりつく細い腕もそのままに、
「……まあ、いいけど」
らしくもなく、口走ってしまう。
口から飛び出たあとに、あぁめんどくせー、とシカマルの本質が億劫に呟いた。
だけど、どうにも断れなかった。
なぜだか。
とりあえず、目の前のキラキラしたものを直視できずに視線を泳がせた。
「まじで? いーの?」
「…ああ」
「すっげ助かる! これでしんきゅー出来るってば」
「進級って」
「まじでサンキューな! ……あっ。そだ、オレ、担任に呼ばれてるんだった! 行かなきゃ!」
腕がするりと解けた。
散らばったプリントを集め、カバンへと乱雑に詰め込みながら細い身体が慌てて駆けていく。
梯子がかかる近くまで来ると、振り返って片手を振った。
「じゃあ、明日もよろしくな〜」
…金髪がふわりとひらめいたかと思うと、視界から消える。続いて、タンッ!と軽妙な音がしてから、すぐさま元気な足音が響いて去っていった。
「……」
まるで、プチ嵐のような少年。身軽だな、と口の中でぼやいてからふいに顔を上げた。
太陽が、じりじりと肌を焼き付けていく。青がどこまでも空を包んでいた。
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