からげんき
最近のあたしの日課である、骸の特製ホットチョコレートを飲みながら、今日という長い1日を振り返る。数時間経った今も恐怖は生々しく蘇り、先生に触られたところが気持ち悪い。
横に控えている骸をちらりと見ると、いつもと変わらない穏やかな表情。あの怒りが嘘みたい。彼が助けに来てくれなかったら、あたしは先生にあのまま犯されてたんだと思うと、改めて背筋が寒くなった。
「お嬢様、」
『何?』
「本当に、あれで良かったのですか?」
『あぁ、うん。いいの。』
あの後先生は、そりゃあもう笑えるくらい(まるで漫画)骸にボコボコにされた。警察に突き出そうかどうか迷ったけど、事情を色々聴かれるのも面倒だし、事を大袈裟にしたくなかったから結局やめた。今後一切あたしにも、若宮家にも関わらないという条件で、そのまま家に帰らせることにした。そしたら先生は「助かった!」って顔しながら、物凄いスピードで屋敷を出て行ったのだ。
『パパとママにも余計な心配かけたくないし。だから今日のことは誰にも言っちゃダメよ?』
あの出来事を知るのは、あたしと先生と骸だけ。勿論使用人さん達も何も知らない。
「お嬢様がそう仰るのなら。」
『うん、ありがと。』
いつもならこの後寝る前にフランス語の復習をするんだけど、今日はどうもそんな気になれない。残りのホットチョコレートを飲み干すと、ふぅと小さく溜め息をついた。
『あたし、もう寝よっかな。今日はその、色々疲れちゃったし。』
空になったカップをワゴンの上に置き、部屋を出ようと椅子から立ち上がる。
『じゃあ骸、お休み。』
「お嬢様…!」
ヒラヒラと手を振って骸の横を通り過ぎようとした時、いきなり手首を掴まれて足が止まる。驚いて振り向けば、オッドアイをうっすらと細めてこっちをじっと見つめている骸がいた。
なんて……、
なんて、哀しげな顔してるのよ…
『むく、ろ?』
「…無理しないで下さい。」
『え?』
「だから、」
掴まれた手首を強く引き寄せられて、あたしは骸の胸板にぶつかった。片方の手に背中を、もう片方の手に後頭部をがっちりと固定されていて、身動きがとれない。つまりあたしは今骸の腕の中にすっぽり納まっているわけで。
な、なんなの!?この恥ずかしい体勢は!これじゃまるで、恋人同士、みたいじゃない…
「僕の前では無理しなくていいんですよ。」
『えっ、あの、骸!?』
「ご両親に心配をかけたくないという気持ちは分かります。だけど、辛いことを1人で我慢するのは感心しませんね。本当は今も、思い出すと怖くて震えが止まらないのでしょう?こういう時こそ、僕に頼って下さい。」
がっちりと後頭部を固定していた手はいつの間にか、ふわふわとあたしの頭を撫でていた。骸の香水が押し付けられた胸元から仄かに香る。さっき散々泣いたはずなのに、再び涙腺が緩むのを感じた時には涙が頬を伝っていた。
『ごめ…』
「どうして謝るのです?辛いのを隠そうとしているあなたを見ているのが、僕は一番辛いです。」
『……っ、本当は、今も、こ、怖いの。でも、迷惑かけちゃ、ダメ、と思って、』
「迷惑なんかじゃないですから。」
泣きじゃくるあたしを、骸は温かい抱擁で受け入れてくれた。あたしは恥ずかしさも忘れて骸の胸に顔を埋める。何か、安心感とは別の感情が、胸の奥をきゅうっと締め付けるのを感じた。
からげんき
(この胸の苦しみは、一体何なの…?)
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